12月30日月曜日、天気は晴れで気持ちの良い朝を迎えています。 毎朝のルーティンは体操、ストレッチ、ウォーキングで1時間ほどしますが、歩く方は冬は滑るので30分ほど。 今朝も何度も凍結した路面で滑り、転びそうになりました。 冬は慎重に歩いているけど、それでも怖い! 簡易アイゼンを付けてもアイスバーンの道路はおっかない! のです。
さて、ここは岩手県一関市藤沢町の大籠地区で、大籠キリシタン資料館から300段の階段を登っている途中です。
9番目に来ましたね。 「イエスはみたびお倒れになる」場面です。
ローマ帝国から派遣されたユダヤ総督のピラトは、イエスに対し「この人には何の罪も見つからない」と三度ユダヤ人を説得しイエスを釈放しようとしました(新約聖書 ルカの福音書23の4 「ピラトは祭司長たちや群衆に、この人には何の罪も見つからない、と言った。 )
しかし、ユダヤ人の敵意と憎悪がこの罪のないイエスを十字架へと送ったのです。

10番目は「イエスはおん服をはがされる」場面。
ピラトの兵士たちは、囚人のイエスが着ていた服をくじ引きで分けます。 当時、それは兵士たちの役得だったのです。 ヨハネによる福音書では4人の兵士たちが四等分したと記しています。
十字架刑は国家に対する反逆罪への刑罰として、2000年前のローマ人が採用していました。 残忍で苦痛を伴う極刑だったので、十字架につけられる者は限定されていたのです。
犯罪者は裸にされ、両手・両足首に15cmの大釘を打ち込まれて十字架に固定されます。 手足首の神経は切断され全身に激痛が走り、両肩は脱臼し傷口に全体重がかかる、まさに地獄の苦しみだったのです。 だから、この場面は十字架刑になる直前だったのでしょう。

11番目は、「イエスは十字架にくぎづけられる」場面。 想像するだけでも残酷な刑罰です。 しかもピラトが無罪放免しようしとしたのに関わらず、イエスと同じユダヤ教司祭やユダヤ人民衆が極刑を望んだのです。

12番目は「イエスは十字架の上でなくなられる」場面です。
ローマ帝国の官吏がイエスの右横腹に槍を刺し死亡を確認した記述が福音書にあります。 右横腹の傷は心臓を突き刺した致命傷ではなく、当時は血液循環の中心で急所と信じられていた肝臓を槍で刺し、生死を確かめた傷だったそうです。

江戸時代に前期、1630年代の隠れキリシタンへの弾圧は相当に厳しいもので、処刑の前に行った尋問は今では考えられないもので「何と酷いことをするんだ!」目を背ける場面も登場します。それらは下山後にキリシタン資料館を見学して分かったことです。

13番目は「イエスは十字架からおろされる」場面。
イエスの死をそばで見守っていたのは誰でしょう?
イエスの母マリアと母の姉妹たち、使徒ヨハネ、と女性たち。
マタイの福音書27の55には「そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。 イエスに仕えてガリラヤからついて来た女であった。」

14番目は「イエスは墓におさめられる」場面。
イエスの亡骸は隠れ弟子であったヨセフとニコデモが、ピラトに願い出て遺体を引き取り埋葬した、とされています。

アルファベットの言葉は、「アニュス・デイ」。 ラテン語で「神の子羊」を意味しています。 確かに子羊の絵が描かれています。
キリスト教における子羊は、イエス・キリストや罪を贖うための生贄、神やイエスによって導かれた信者を象徴する意味がありますからね。

カリオンが見えてきました。やっと、山頂へと。でも、まだ30段くらいありそう。もう少しの頑張りだ!
良く見ると、十字架も見えているから教会があるのかな?

クルス館という名の教会がありました。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のメッセージもあります。
きっと、ここの殉教の歴史を知ってメッセージを送ってくださったのでしょう。

姥石とは?

9時前だったので開館しておらず、残念!後で資料館で係りの人に尋ねたら「9時に開館して誰でも見学出来るんですよ」とのこと。ここへ来るのが早すぎたのです。




次回は、資料館で隠れキリシタンの歴史を学び、残酷な弾圧があって殉教した人々がいたことを紹介いたします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、ここは岩手県一関市藤沢町の大籠地区で、大籠キリシタン資料館から300段の階段を登っている途中です。
9番目に来ましたね。 「イエスはみたびお倒れになる」場面です。
ローマ帝国から派遣されたユダヤ総督のピラトは、イエスに対し「この人には何の罪も見つからない」と三度ユダヤ人を説得しイエスを釈放しようとしました(新約聖書 ルカの福音書23の4 「ピラトは祭司長たちや群衆に、この人には何の罪も見つからない、と言った。 )
しかし、ユダヤ人の敵意と憎悪がこの罪のないイエスを十字架へと送ったのです。

10番目は「イエスはおん服をはがされる」場面。
ピラトの兵士たちは、囚人のイエスが着ていた服をくじ引きで分けます。 当時、それは兵士たちの役得だったのです。 ヨハネによる福音書では4人の兵士たちが四等分したと記しています。
十字架刑は国家に対する反逆罪への刑罰として、2000年前のローマ人が採用していました。 残忍で苦痛を伴う極刑だったので、十字架につけられる者は限定されていたのです。
犯罪者は裸にされ、両手・両足首に15cmの大釘を打ち込まれて十字架に固定されます。 手足首の神経は切断され全身に激痛が走り、両肩は脱臼し傷口に全体重がかかる、まさに地獄の苦しみだったのです。 だから、この場面は十字架刑になる直前だったのでしょう。

11番目は、「イエスは十字架にくぎづけられる」場面。 想像するだけでも残酷な刑罰です。 しかもピラトが無罪放免しようしとしたのに関わらず、イエスと同じユダヤ教司祭やユダヤ人民衆が極刑を望んだのです。

12番目は「イエスは十字架の上でなくなられる」場面です。
ローマ帝国の官吏がイエスの右横腹に槍を刺し死亡を確認した記述が福音書にあります。 右横腹の傷は心臓を突き刺した致命傷ではなく、当時は血液循環の中心で急所と信じられていた肝臓を槍で刺し、生死を確かめた傷だったそうです。

江戸時代に前期、1630年代の隠れキリシタンへの弾圧は相当に厳しいもので、処刑の前に行った尋問は今では考えられないもので「何と酷いことをするんだ!」目を背ける場面も登場します。それらは下山後にキリシタン資料館を見学して分かったことです。

13番目は「イエスは十字架からおろされる」場面。
イエスの死をそばで見守っていたのは誰でしょう?
イエスの母マリアと母の姉妹たち、使徒ヨハネ、と女性たち。
マタイの福音書27の55には「そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。 イエスに仕えてガリラヤからついて来た女であった。」

14番目は「イエスは墓におさめられる」場面。
イエスの亡骸は隠れ弟子であったヨセフとニコデモが、ピラトに願い出て遺体を引き取り埋葬した、とされています。

アルファベットの言葉は、「アニュス・デイ」。 ラテン語で「神の子羊」を意味しています。 確かに子羊の絵が描かれています。
キリスト教における子羊は、イエス・キリストや罪を贖うための生贄、神やイエスによって導かれた信者を象徴する意味がありますからね。

カリオンが見えてきました。やっと、山頂へと。でも、まだ30段くらいありそう。もう少しの頑張りだ!
良く見ると、十字架も見えているから教会があるのかな?

クルス館という名の教会がありました。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のメッセージもあります。
きっと、ここの殉教の歴史を知ってメッセージを送ってくださったのでしょう。

姥石とは?

9時前だったので開館しておらず、残念!後で資料館で係りの人に尋ねたら「9時に開館して誰でも見学出来るんですよ」とのこと。ここへ来るのが早すぎたのです。




次回は、資料館で隠れキリシタンの歴史を学び、残酷な弾圧があって殉教した人々がいたことを紹介いたします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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