函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2024年12月

12月30日月曜日、天気は晴れで気持ちの良い朝を迎えています。 毎朝のルーティンは体操、ストレッチ、ウォーキングで1時間ほどしますが、歩く方は冬は滑るので30分ほど。 今朝も何度も凍結した路面で滑り、転びそうになりました。 冬は慎重に歩いているけど、それでも怖い! 簡易アイゼンを付けてもアイスバーンの道路はおっかない! のです。

さて、ここは岩手県一関市藤沢町の大籠地区で、大籠キリシタン資料館から300段の階段を登っている途中です。
9番目に来ましたね。 「イエスはみたびお倒れになる」場面です。
ローマ帝国から派遣されたユダヤ総督のピラトは、イエスに対し「この人には何の罪も見つからない」と三度ユダヤ人を説得しイエスを釈放しようとしました(新約聖書 ルカの福音書23の4 「ピラトは祭司長たちや群衆に、この人には何の罪も見つからない、と言った。 )
しかし、ユダヤ人の敵意と憎悪がこの罪のないイエスを十字架へと送ったのです。

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10番目は「イエスはおん服をはがされる」場面。
ピラトの兵士たちは、囚人のイエスが着ていた服をくじ引きで分けます。 当時、それは兵士たちの役得だったのです。 ヨハネによる福音書では4人の兵士たちが四等分したと記しています。
十字架刑は国家に対する反逆罪への刑罰として、2000年前のローマ人が採用していました。 残忍で苦痛を伴う極刑だったので、十字架につけられる者は限定されていたのです。
犯罪者は裸にされ、両手・両足首に15cmの大釘を打ち込まれて十字架に固定されます。 手足首の神経は切断され全身に激痛が走り、両肩は脱臼し傷口に全体重がかかる、まさに地獄の苦しみだったのです。 だから、この場面は十字架刑になる直前だったのでしょう。

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11番目は、「イエスは十字架にくぎづけられる」場面。 想像するだけでも残酷な刑罰です。 しかもピラトが無罪放免しようしとしたのに関わらず、イエスと同じユダヤ教司祭やユダヤ人民衆が極刑を望んだのです。
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12番目は「イエスは十字架の上でなくなられる」場面です。
ローマ帝国の官吏がイエスの右横腹に槍を刺し死亡を確認した記述が福音書にあります。 右横腹の傷は心臓を突き刺した致命傷ではなく、当時は血液循環の中心で急所と信じられていた肝臓を槍で刺し、生死を確かめた傷だったそうです。

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江戸時代に前期、1630年代の隠れキリシタンへの弾圧は相当に厳しいもので、処刑の前に行った尋問は今では考えられないもので「何と酷いことをするんだ!」目を背ける場面も登場します。それらは下山後にキリシタン資料館を見学して分かったことです。
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13番目は「イエスは十字架からおろされる」場面。
イエスの死をそばで見守っていたのは誰でしょう?
イエスの母マリアと母の姉妹たち、使徒ヨハネ、と女性たち。
マタイの福音書27の55には「そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。 イエスに仕えてガリラヤからついて来た女であった。」

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14番目は「イエスは墓におさめられる」場面。
イエスの亡骸は隠れ弟子であったヨセフとニコデモが、ピラトに願い出て遺体を引き取り埋葬した、とされています。
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アルファベットの言葉は、「アニュス・デイ」。 ラテン語で「神の子羊」を意味しています。 確かに子羊の絵が描かれています。
キリスト教における子羊は、イエス・キリストや罪を贖うための生贄、神やイエスによって導かれた信者を象徴する意味がありますからね。
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カリオンが見えてきました。やっと、山頂へと。でも、まだ30段くらいありそう。もう少しの頑張りだ!
良く見ると、十字架も見えているから教会があるのかな?
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クルス館という名の教会がありました。
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ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のメッセージもあります。
きっと、ここの殉教の歴史を知ってメッセージを送ってくださったのでしょう。
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姥石とは?
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9時前だったので開館しておらず、残念!後で資料館で係りの人に尋ねたら「9時に開館して誰でも見学出来るんですよ」とのこと。ここへ来るのが早すぎたのです。
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 次回は、資料館で隠れキリシタンの歴史を学び、残酷な弾圧があって殉教した人々がいたことを紹介いたします。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月29日日曜日、天気は晴れで積雪は数㎝と毎日雪は降るけど、日本海側の地域みたいなドカ雪は降っていないので、毎日の雪かきは楽に過ごしています。それにしてもここ数年の季節の変化は極端ですね。熱帯地方みたいな猛暑が続く夏が半年近くなって、長すぎて春や秋が短すぎて、そして夏が終わるといきなり寒い冬がやって来て四季の長さがおかしくなってきてます。
これも地球の温暖化による急激な気候変化なんでしょう。日本だけではなく、世界中でおかしくなっていますからね。

さて、ここは岩手県一関市藤沢町の大籠。昨日は大籠キリシタン資料館前からお伝えしました。9時オープンの開館前だったので、資料館前にあるこの階段を登ってきました。
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この先も急傾斜の階段が続きます。それはここで殉教した数、300人以上の人々のために山に向かって300段の階段をこしらえたのです。キツ~イ!
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横を見ると、イエス・キリストがゴルゴタの丘で磔に遭う時の様子が描かれていて、その説明も書かれています。1番目は「イエスは死の宣告をお受けになる」場面。イスラエルを支配したローマ帝国から派遣された5代目のユダヤ総督ポンティオ・ピラトはイエスを十字架にかけて処刑します。
紀元後30年、ユダヤ教の祭司などからイエスの告発を受けたピラトはイエスを尋問。有罪とする理由はなかったのですが、祭司らに扇動された民衆の要求に応えてイエスを十字架に架ける判決を下したのです。
ユダヤ教徒の祭司たちから見たら、イエスの言動は新興宗教に当たりユダヤの敵とみなされたのでしょう。
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2番目には「イエスは十字架をになわれる」場面。イエスは重い十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩み始めます。ゴルゴタの丘とは?丘の形が頭蓋骨に似ていたことで名付けられたそうですが、古代の言葉のアラム語で「頭蓋骨」意味していたとか。
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3番目の前に、石碑があり「南無阿弥陀仏」と書かれていて、えっ!仏教用語の漢字があって、不思議?に思ったのですが、左の説明を読んだら分かります。
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千松集落は前回の説明でしましたが、戦国時代にここ大籠地方にやって来てキリスト教を伝道した兄弟たちの名。その名を取り千松という地域名にしたのでしょう。
南無阿弥陀仏の石碑は後に供養のために建てられたそうで、江戸時代の禁教令が出された時に通行人をキリシタンかどうか調べた踏絵が行われた地にあったものをここへ移転したそうです。
台転場と呼ばれる場所で、千松集落の中央にあって別名キリシタン改めの場でした。両側に柵を巡らし通行人を一人一人を木戸口から通して踏絵を行い、拒んだ者は容赦なく地蔵の辻まで連行し処刑にした恐ろしい場所だったのです。
だから、その後に地域の人々が「南無阿弥陀仏」と亡くなった人々に念じたのでしょう。
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3番目は「イエスは、はじめてお倒れになる」場面。ローマの兵士たちが周囲を囲んでいて弟子たちは助けることが出来ません。イエスは一人で重い十字架を背負って歩きましたが、あまりの重さに倒れたのでしょう。
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4番目は「イエスはおん母にお会いになる」イエスの母、マリアが助けに来てくれた場面です。
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5番目は「クレネ人が十字架を荷うのを助ける」場面。
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急な階段ですが前回にも書きましたが、遠回りになるけどクネクネと蛇のような道が左右にあるのです。脚を高く上げるよりも、緩斜面で歩く方が楽と云えば楽ですからね。その分距離は長くなりますけど。
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中間地点ですが、上を見上げるとまだまだあります。
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6番目は「ヴェロニカがイエスのお顔をふく」場面。左側の跪いているヴェロニカはエルサレムの敬虔な女性で、十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうキリストを憐れみ、額の汗を拭くために自身のヴェールを差し出しました。イエスは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女に返したと云われています。
この出来事により、ヴェロニカのヴェールにはイエスの顔が奇跡的に刻印されたそうです。
ヴェロニカは、カトリックや正教会では聖人の一人になっています。
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7番目は「イエスはふたたびお倒れるになる」場面。
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8番目は「イエルサレムの女たちにお話になる」場面。
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トキゾー沢刑場は「徒刑場沢」が訛って「トキゾー沢」になったと伝えられています。12名の処刑者がいました。ハシバ首塚はトキゾー沢刑場で処刑された殉教者の首を架けてさらし者にした地です。見せしめにしたのです。
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 このように、イエスの処刑の場面を詳しく紹介しているとともに、ここ大籠で起きた殉教の歴史も説明していて、如何に酷かったかが理解できます。階段はまだまだ続きます。場面もさらにありますので、次回はさらに一歩一歩上へと階段を上がり、山頂へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月27日金曜日、天気は1日中降雪で最高気温もマイナスの真冬日。道路は凍結していてアイスバーン状態だから車はゆっくりと慎重に走っていますが、それでも事故はあちこちで発生していて冬道は怖い!と実感します。早く冬が終わって欲しい!と願うのは道民ほとんどでしょう。
もう雪はいらない!寒さも終わって暖かくなって欲しい!と。

さて、前回は宮城県大崎市鳴子温泉の潟沼からお伝えしましたが、その日の宿泊は同じ宮城県でも北東部の登米市東和町の道の駅「林林館」。最初は三陸自動車道のIC三滝堂の道の駅「三滝堂」で車中泊しようと思ったけど、結構車の通りがあって断念し5㎞程離れた国道346号線の道の駅「林林館」へ移動。それが正解でした。とっても閑静でぐっすりと寝れたからです。

で、翌朝は曇り空の中、10㎞程北東にある岩手県一関市藤沢町の大籠(おおかご)地区へ。ここには大籠キリシタン殉教公園があるのです。
ここは大籠キリシタン資料館。でも、朝早かったので9時開館にはまだ時間があって周辺を散策。
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散策後に資料館を見学する予定です。駐車場は無料で50台くらいは停めれそう。
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周辺は公園となっていて、山の上にはクルス館という教会もありローマ教皇のメッセージ碑もあります。
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「殉教の苦しみに耐えた人々の信仰が今この地に・・・」とありますが、実は江戸時代の初め300人を超すキリシタンがこの地大籠で殉教したのです。
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江戸時代この地を治めていた藩主は仙台藩伊達政宗。当初彼はキリスト教に寛大で、逆にヨーロッパへ使節を送ったほどです。支倉常長はヨーロッパに派遣された人物で、180人を率いてスペイン経由でローマに赴いています。遣欧使節の目的は通商交渉でしたが、スペインとの軍事同盟もあったとか。当時、伊達政宗は討幕を計画していたとの説もあるからです。
支倉常長はヨーロッパでキリスト教を信仰し洗礼を受け、有色人種として初めてのローマ貴族になりフランシスコ派カトリック教徒となった人物なのです。
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ところが江戸幕府の取り締まりが厳しくなり、伊達政宗は1620年には禁教令を出して弾圧に乗りだしますが、それでも江戸から遠い東北の地ではまだまだ寛大ではあったのです。
それ以前の話ですが、1612年徳川家康は直轄地に禁教令を発布しますが、それは翌年の1613年には全国へと広がり1622年には元和の大殉教があり長崎で信者ら55名が火刑や斬首の刑に処せられました。
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正宗が亡くなり(1636年6月27日)、島原の乱(1637~38)が起こると大籠で伝道していたスペイン人神父は捕縛され江戸で殉教。ここ大籠では日本人信徒らが1639年に84名、1640年に94名、その他合計300名以上の殉教があったのです。
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キリスト教において魚は、イエスキリストやキリスト教徒を象徴するシンボルとして用いられています。その理由は、ギリシア語で「イエスキリスト・神の・子・救世主」の頭文字を組み合わせると「 イクテュース」となること。12使徒の中でペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人が漁師だったことなどからです。魚の下に書かれたギリシア語の文字IXOTとMを横にした文字がそれに当たりますね。
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なぜここ大籠でキリシタンが多かったのか?というと、戦国時代の1550年代から60年代にかけて、千松大八郎と小八郎の兄弟がここ大籠へ来て、鉄の精錬をしながらキリスト教の伝道活動をしたことによります。当時大籠を中心に周辺の地では、南蛮流製鉄で良質の鉄を増産していたのです。
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ちょうど、火縄銃が伝来して(1543年ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えた)、鉄製品の需要が高まったことにもよりますね。それと織田信長がキリスト教を保護し、布教活動を許していたことも関係してますね。
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資料館から階段が続いていて、この階段の数は何と殉教者と同じ300!
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 この階段を登って行きますが、かなりの急な階段で息が切れてしますほど。でも、途中から螺旋状に、まるで蛇が行くがごとく遠回りになるけどクネクネした道があったのでそこを通りました。

で、そこで見つけたものに感動したのです。それについては次回で!

では、また次回でお会いできるのを楽しみにしております。

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12月25日水曜日、天気は晴れで最高気温は3℃と日中は冬にしたら暖かい日で、太陽が当たる部分は雪が解けて舗装路が見えていて日陰の部分は凍結している、まさに真冬の道路です。

さて、山形県から国道47号線を東へ。中山峠(350m)の県境を越えて宮城県へ入り鳴子温泉へと。そして温泉街から山越えして2㎞ほどのところにある潟沼(かたぬま)へ。
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ここは火口湖で、昔の火山の火口だったところ。火口湖には蔵王のお釜や秋田男鹿半島の一の目潟二の目潟などがあります。カルデラ湖とは規模が違い、直径2㎞以内が火口湖(マール)と呼ばれています。周囲は外輪山で、流れ出ている河川はありません。
海抜306mの地にあり周囲は1.3㎞。一周出来る散策路があります。
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楕円形の形をしていて、長い方は450m、短い方で350m。面積は0.14平方キロメートル。淡水ですが強酸性の湖です。現在はP2.4だけど、かつては1.4と世界1の酸性湖だったそうです。だから魚はいません
とても魚が生息できる環境じゃないのです。湖底から湧出するガスや蒸気で真冬でも凍結することなく、凍らない湖です。
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深さは最大で16.2m、平均10mで、それほど水深はないですね。
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歩いて行くと途中で硫黄の臭いがして来て、立ち入り禁止の場所があります。きっと有毒ガスが噴出しているのかな?温泉地だし、火山の地形そのものです。函館近郊の恵山(618m)にもありました。
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赤い屋根の建物はカフェで、軽食や飲み物を注文できます。駐車場は舗装されてないけど30台は停めれるスペースで、もちろん無料。他にカヌーも借りれます。トイレもありますよ。
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ほとんど平坦で苔むした道もあって歩きやすい。幅は2mくらいで散歩道と云った感じ。クマの出没はないでしょう・・・と思うけど。野鳥の鳴き声が聞こえて来て、のんびり歩いて一周25分ほど。
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気持ちの良い散策路ですが、歩いている人は誰もおらず。もっとも、駐車場には5,6台くらいしかなくカフェでお茶を飲んでいる叔母様たちが数人いたくらいでした。
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対岸までやって来ました。先ほどの硫黄の出ている崖も見えています。湖は風もなく穏やかそのもの。
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温泉が湧き出ているところもあります。ここが源泉地なのでしょうか?湯気が出ていますよ。熱そう!
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パイプから熱湯が出ています。湯華も形成されていますね。
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触ってみたら熱い!源泉は熱すぎてお風呂には無理。でも水を足して温度を下げれば入れそう。
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透明度もあって、とってもきれいな湖でした。
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ということで、一周歩いてマイナスイオンを浴びて気分爽快!良い運動になりました。
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 ということで、鳴子温泉は有名な観光地で賑わっていましたが、ここまで足を運ぶ人はあまりいません。ここは知られざる隠れた穴場です。鳴子温泉へおいでになった方は是非ここまで来ていただきたい地です。歩くとさらに良さを知ります!

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月24日火曜日、天気は晴れで最高気温は1℃。太陽が出ている部分では暖かく、家の中では暖房いらずの1日となっています。ニュースでは日本海側の降雪は激しく、札幌辺りでは相当積もったみたいですが、こちらの積雪量は数㎝程度で大したことはなく日の当たる地は舗装路が見えていているし、日陰では凍結しているものの気を付けて歩けば大丈夫。

さて、清水城跡を見学した後は大蔵村の温泉、肘折(ひじおり)温泉へ。村役場のある場所から南へ国道458号線を10数㎞行った場所です。谷沿いにあって、ループ状の道をぐるっと回って温泉街へ。駐車場は外れの広い地で、そこから歩いて5分ほどでここ中心地へ。
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名前の由来は面白い。807年というから平安時代の初めの頃。大分からやって来た源翁という人物が、洞窟内であるお坊さんと出会います。そのお坊さん曰く「私は地蔵菩薩。100年ほど前にがけから転落して肘を骨折して苦しかった。が、岩の間から出る温泉の湯につかったら痛みが取れて傷が治った。温泉の効き目は素晴らしい。どうか人々に知らせて、皆の病気を治してもらえないか。」と。
そこで名付けたのが「肘折温泉」だったのです。
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細い道沿いに旅館やホテル、お土産物店などがびっしりと並んでいて、地元の人以外の車の通行は無理。歩いて散策する道です。
1390年というから室町時代の初めに月山遥拝道として整備されると、その麓の温泉として賑わいます。江戸時代の1709年には2週間で12000人以上の人々が訪れたそうです。
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ここは共同浴場の上の湯。日帰り入浴が可能で一般の人は400円。ここの旅館に宿泊している人は100円で済むという安さ。午前10時過ぎだったので誰もおらず、一人でのんびりと湯船を独占。湯船の上にはお坊さんの像があって、ご利益ありそう!
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 今日のblogはこの4枚で、申し訳ないくらい。でも、肘折温泉はとっても良い温泉でおススメです。
ここまでの国道458号線は酷道死いや!と呼ばれるほどの酷い道で、地図を見ると峠を越えて南の寒河江市に通じているように見えるけど、ここから南方面は通行止めで事実上ここでストップ。この先道はない、行き止まりの温泉地です。

次回は宮城県へ行き、日本1の酸性度の高い潟湖(かたこ)へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月23日月曜日、天気は雪。最高気温でもマイナス1℃という真冬日の天気となっていますが、積雪はせいぜい5cm程度で、道央辺りの豪雪地帯と比べたら大したことはありません。

大蔵村に入り前回は山形県で最古となる酒蔵と本陣跡を見ましたが、マップ(昭文社の10万分の1地図、マックスマップル東北)には名所旧跡として近くに清水城跡が書かれてあり、興味を引いたので訪ねてみることに。
駐車場は10台くらいは停めれるスペースがあり、もちろん無料。周囲は田んぼや畑が広がる田園地帯。村役場から最上川を渡り2㎞くらいの場所です。
二の丸跡と書かれた標識は田んぼで、稲刈りが終わった収穫後。
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説明板を読むと、ここは最上家の城だったようです。山形で戦国武将と云えば、何といっても最上義光(もがみ よしあき)ですね。県庁所所在地の山形市の市街地にある山形城跡には大きな最上義光の像もあるくらいですから。
清和源氏の子孫である源氏の末裔である最上氏2代目の直家は六男兼義の子である孫にあたる満久を1476年ここ清水へ移転させて、清水氏を名乗らせ2年後の1478年に清水城を築きます。
1478年と云えば、室町時代9代将軍の足利義尚の時。8代将軍の義政の時の1467年から始まった応仁の乱により戦国時代となり、10年後の1477年に乱は一応終結していますが、時代は完全に日本各地に戦国大名が割拠する幕府の統制が効かない世の中になっている、そんな時代に城は築かれたのです。
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歩いて行くと、内堀がありました。草ぼうぼうですがあ、確かに5mほどは掘られています。当時は水をたたえていたのかな?今は木々が茂り水もなく、ぱっと見堀だとは分かりません。標識があるから分かります。
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朝露で靴は濡れ、靴下もびっしょり。でも、ここまで来たら引き返すのはもったいない。最後まで見てやろう!本丸跡までやって来ました。結構広い敷地に本丸があったのですね。
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清水家はここで7代にわたり138年間城主を務めていたようです。3.5万石というから小規模の石高でしたが、最上川という河川交通の中心地として重要な地だったのです。
しかし、1614年大坂冬の陣で7代目の義親は豊臣側に付いたため、兄の最上家親に攻められて落城し、清水家は城とともには滅びたのでした。
その最上家も義光が病で倒れ(1614年)、家親が急死(1617年)し、子の家信が藩主を継いだが家信は若年で国政を執るには力不足で、藩の中でまとまらず内紛へ。それが原因で最盛期57万石もあった最上家改易となって山形藩は終わりとなったのです。
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確かにここは立地が良い。背後には最上川が流れていて、急峻な崖は裏からは攻められない。表側を防御するだけで良い地形的有利があります。そして最上川は山形地方の交通網として最適で、船運が発達しているから経済的にも潤う地。ここ清水城は好条件の城だったのです。
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朝霧の中での行動は服は濡れるし、靴はびっしょり。でも、思わぬ城跡と出会いうれしかったのです。決して日本百名城続日本百名城でもないけど、名もなき城跡は日本全国各地にあるのですから。

次回は、大蔵村のさらに奥地にある肘折温泉へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月21日土曜日、天気は雪が降ったり止んだりで、気温も上がらず終日マイナスの真冬日の天候となっています。道北や道央に比べると雪の量は大したことはなく、それほど積もる心配はないですが道路が凍結してアイスバーンになるのが怖い。

さて、秋の旅は前回は最上川の中流域で、江戸時代の俳人松尾芭蕉が船に乗って下った地である庄内市本合海(もとあいかい)を紹介しました。
そこから南へ5㎞の地にある大蔵村へ。村役場の駐車場に車を停めて村内を散策。役場のすぐ前で発見した建物は、何やら歴史的な建造物みたいな感じがします。それって、長年旅してきた臭覚みたいなもので、何かがあるな!とピンと来たのです。
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大きな扉の横に説明板があって、その横には衆議院選挙のポスターがあったけど、ここの選挙区は3人立候補していたんですね。
入り口の上には所有者の家紋と横には「本陣跡」と書かれた表札。奥の庭はかなり広い。
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説明板には「藩政期の清水町本陣と小屋家」とあります。大蔵村の以前の地名は清水。次回でお伝えしますが清水城跡を訪ねますが、多分合併して大蔵村へと名を変えたのでしょうね。
本陣とは、江戸時代の参勤交代の時の宿駅で、今風に言うなら道の駅+ホテル+レストラン、って感じですか。北海道では昭和の初めまであった「駅逓」みたいな存在です。
小屋とは、ここ清水集落の村長さん的な存在で、庄屋さんか大商人だった家です。
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よく読むと、ここより北の藩である津軽藩や秋田藩、亀田藩、本庄藩などのお殿様一行が参勤交代で江戸へ向かう途中、ここでお休みして宿泊したり食事を取ったりした建物なのです。
とりわけ江戸からの帰り道では、最上川の本合海で船に乗るためここで宿泊して1里と少し歩いて船乗り場へ、とちょうど良い場所だったのでしょう。
ここの部屋数は広間のような22畳半以下の部屋が8室もあって、百数十人が宿泊出来たとか。湯殿、つまりお風呂も3か所、雪隠はトイレのことですが4か所もあって、参勤交代時のお殿様と部下たち一行がお休みするのは最適な場所だったのでしょう。
マンホールには「おおくら」の文字とキジみたいな鳥の絵。
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もう一つのマンホールには、アヤメだろうか?花が描かれています。
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周辺を散策していたら、「花羽陽(はなうよう)」と書かれた大きな暖簾みたいなものがあって、創業1593年とありますよ。1593年といったら、安土桃山時代で豊臣秀吉が摂政関白として天下を握っていた時代で、前年の1592年には朝鮮半島へ侵攻した文禄の役があった、そんな時代に開業したお店です。
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その横には、「花羽陽」株式会社小屋酒造 とあります。小屋家は江戸時代の本陣を営んでいた理由には、ここの地区で酒造業を営む大商人だったからなのです。調べてみると、山形県最古の酒造で、430年余り、26代にわたり続けてきた酒造りです。
そして米沢藩の上杉家の請負をしていたとか。さらに地元新庄藩の戸沢家はもちろんのこと、庄内藩の酒井家秋田藩の佐竹家らそうそうたる大名たち、お殿様たちが小屋家の酒を飲んでいたとか。
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ぐるっと一周して見たらこちらは工場でしょうね、大きな建物がありました。
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ということで、大蔵村の本来の目的地は次々回で紹介する肘折温泉でしたが、その前に立ち寄った村役場の近くにあった本陣跡と小屋酒造にとても興味深いものを発見したのでした。

次回は、ここ大蔵村で地図を見たら「清水城跡」の文字を発見。清水集落に本陣跡と小屋酒造があったので、城もあったのか!と思わず行ってみよう、と地図を読みながらナビを見て行きました。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月20日金曜日、天気は晴れたり曇ったりで最高気温は1℃で、最低気温はマイナス5℃と外を歩いていても寒いと感じる真冬の天候です。今日は全国的に寒い日で、西日本でも降雪や積雪もあった地域もあったとか。やはり世界的天候不順は、今年の夏は猛暑となり冬は極寒になっており、今までの常識が通用しない時代に入ったかもしれません。
地球の温暖化は、今までの本州の温帯地域は亜熱帯地方へ、冷帯だった北海道は温帯へと変化しておりこの先がとても心配です。自分は先は短いけど、若い人たちは今後さらに暑い夏になることへの備えが必要ですが、どう対処すべきなのか?不安材料がいっぱいの世の中です。

さて、秋の旅10月16日は山形県北部真室川町のJR奥羽本線真室川駅前で車中泊。ここ車中泊には適した地です。駅前駐車場は広く駅舎の目の前以外が閑静。さすがに目の前は送り迎えの車が遅くまで出入りしてうるさいけど、奥の方は静かです。それと駅舎内には待合室にフリーWi-Fiがあり、売店もあるから軽い食事も可能。24時間開放のトイレも完備です。
駅に来る前に、となりの鮭川村の温泉、羽根沢温泉の共同浴場で入浴。300円の自動ドアで湯船は小さいけど、温泉の質が最高なのです。ヌルヌルしたまるでローションみたいな温泉で、体がずっと温まってとても快適でした。
翌朝は真室川駅を出発し、今日の午前中の目的地である大蔵村へ向かう途中の新庄市の一番南の地区で、山形県を代表する大河川の最上川が流れる中流域付近です。
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上の写真は下流方向で、庄内地方酒田市へと向かって流れていきます。
一方下の写真は上流方向で、山形市米沢市方向へと流れていきます。
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そしてここは、江戸時代に松尾芭蕉が訪れた地。銅像も建てられていて、同行した弟子の曽良(右)もいますね。「史蹟 芭蕉乗船之地」の立て看板もありますよ。1689年元禄2年に、松尾芭蕉一行がここから乗船して最上川を下っていったのです。
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ここの地名は奥の細道の風景地である本合海。なんて読むかと云うと、「もとあいかい」。
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5月に山形入りして、尿前(しとまえ)の関では「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿する 枕もと」と詠んだ後、立石寺(山寺)で「静かさや 岩にしみいる 蝉の声」。
そして最上川では「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠んでいます。
いずれも中学や高校で学んだ有名な俳句ですね。
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そして、ここは兜太(とうた)通りでもあるんですね。兜太とは文化功労者である俳人の金子兜太(1919~2018)さんのこと。戦前、東京帝国大学を卒業した金子さんは芸術院会員でもあり、ここを訪れ松尾芭蕉のことを紹介していて、それで地元では兜太通りと名付けたのでしょうね。
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そしてあの西郷隆盛も訪れているのです。戊辰戦争で新政府軍のリーダーだった西郷は会津藩を陥落した後、東北最大の強力な藩だった庄内藩を攻め落とすためにここに来ています。西郷隆盛と庄内藩は戦争では宿敵同士だったけど、戦後の明治初めには庄内地坊の人々が西郷を尊敬しているのです。
それは庄内藩を潰すことをせず、逆に産業を興すことを奨励したから。藩士たちは刀を捨て、鍬を持って荒地を開墾して養蚕業を発展させたからです。
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ということで、朝方は冷え込んでいて霧の中を走り、ここまでやって来ました。この後はとなりの大蔵村へと向かいます。そこで酒蔵を発見!もし六角精児さんがいたら「うれし~い!」と歓声を上げるのでは?と思います。BS・NHKの「六角精児の呑み鉄本線」を良く見ているので、そう思った次第です。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。


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12月18日水曜日、天気は快晴。今朝の最低気温は放射冷却現象でマイナス8℃まで下がり、窓には氷の結晶が張り付く真冬のまさにしばれる朝を迎えましたが、太陽が出ている今午前10時半は家の中にいる限りは暖房なしでも暖かいです。
28cmの降雪があったけど、圧雪されたり雪かきされて道路には雪はほとんどなし。しかし、道内では倶知安や岩見沢は1mを超す積雪で、大変な状況になっています。少しの雪なら季節感があるけど、1m以上も降って積もったら生活が成り立たなくなるかも知れず、「雪はもうたくさんだ!」と云うの分かりますね。

さて、ここは山形県上山(かみのやま)市にある上山市立上山城。「うえのやま」ではなく「かみのやま」という地名です。市立となっているのは、城の形をした郷土資料館になっているからです。
入城料ではなく、大人470円の入館料を徴収されます。
別名月岡城とも呼ばれていて、周囲は月岡公園となっていて月岡神社もあります。城の近くにある駐車場は無料。
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入り口付近には「城の歴史」が書かれています。室町時代の1400年前後に山形県を代表する戦国武将の最上義光の祖である人物がこことは別な地に山城を築いたのが初めで、ここに城を築いたのは1535年のこと。最上氏の最南端の城塞で、上杉氏伊達氏といったみちのくの戦国大名との攻防の舞台となっていました。
江戸時代は土岐氏の頃が全盛時代で城下町を含めて城の整備が成されたとのこと。しかし、土岐氏は1692年に転封されると城は取り壊されて無くなってしまいます。
現在の城は1982年に外観を城郭風に建築し、郷土資料館として290年ぶりに再建した、エレベーター付き鉄筋コンクリート製の近代的建築物です。
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その土岐氏は、1628年下総の国の相馬藩から2.5万石の藩主へ。2代目の頃に3.5万石へ。しかし、1692年越前の国へと移されたのです。土岐頼行の時代に、流刑されてきたお坊さんがいました。沢庵和尚と云い、彼と殿様のお話が面白い。
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それが、これ。上中下の三字の話。上の文字をひっくり返すと下。
詳しくは今看板をお読みになってください。なかなか良いお話で、今の時代にも当てはまる話です。
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内部へ入りましょう。確かに上山市の歴史が、それこそ縄文時代から戦国時代、江戸時代、現在に至るまで詳しく説明されています。
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山伏は湯殿山信仰から来てるのでしょうね。法螺貝を吹いた人形は、ほんものそっくり!
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展望台から上山市街地を一望します。蔵王の山並みを雲の中で、きっと雨降り。手前の山低い山で、500mクラス。奥に蔵王の最高峰の熊野岳(1841m)があります。確かに福島県から宮城県を通り、奥羽山脈を東から西へ横切る時は雨でしたからね。
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少し南へ向けると、30階建ての高層マンションが目につきます。バブルの時代に建てられたもので、場違いな建物といった感じ。特に南の米沢市から北上すると、いきなり目に入って来るから驚きです。
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西側は山。だからここのお城は平山城で、城下町より少し高台の丘の上に城が築かれているのです。
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北を見ます。ガイドさんの話では、城から歩いて5分ほどで上山温泉の共同浴場があるとのこと。
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上山市出身の、こんな大きなお相撲さんがいたそうです。
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出羽ケ嶽文次郎という名の足サイズは、何と!33cmジャイアント馬場さんは34cm(よく16文=38cmキックと云われてきたが、馬場さんの靴の16号が勘違いされただけで、実際は34cmでした。)
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それにしても大きな足!自分も大きい方で27cmの靴を履いていますが、それよりも6cmも長い。体も大きかったのでしょうね。馬場さん並みに2mを超す身長があったことでしょう。

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12月17日火曜日、天気は晴れたり曇ったりで、気温は終日マイナスの真冬日。昨日積もった雪はほとんど融けることなく残っていて、道路は幹線道こそ舗装路が見えているけど脇道に入ると圧雪状態で、車をゆっくりと走らせています。こんな時は無理して走らない、運転してものんびり・ゆっくり慌てずにハンドルを握ることを心掛けています。

さて秋の旅14日目の朝は、福島県石川郡浅川町のJR水郡線浅川駅で迎えました。そこから北へ向かうこと50㎞ほどで三春町へ。三春町の名前となった「三つの春」とは何か?というと。
梅・桃・さくらの花が同時に咲きほこり、一度に三つの春が来る、ことを意味しているとのこと。このことが町名の由来となっていて、三春町は「日本1の春が来る町」とも呼ばれているそうです。
もっとも、私が訪れたのは10月だから梅も桃も桜もとっくに終わってしまって、見えるのは紅葉間近の落葉樹の森でした。
本丸への矢印が書かれた看板の横は、苔むした長い階段がずっと上まで続いていますね。
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ここは「本丸裏門跡」。奥には、ここのお城の説明が書かれている看板がありますね。
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別名「舞鶴城址」とも呼ばれているお城です。鶴が舞うような形をしたお城かな?
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小高い丘のような山の上に築かれた平山城でしょう。築城は1504年のことで、地元の武将田村義顕が建てています。江戸時代に入り、1645年に秋田俊季が5.5万石で三春藩主として入城して以後223年間続き明治維新まで城はありましたが、明治元年には廃城となっていますね。
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この階段を昇って行きましょう。この日は朝から太陽が出ていて、木漏れ日が心地よくて快調に足が動きます。
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天守閣は残ってないけど、「在りし日の三春城がみよがえる!」とVRで楽しむことが出来そう。
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町の歴史も分かるような、詳しい説明板。城の下には町役場など市街地が広がっています。
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続日本百名城の一つでもある三春城。ピンク色の幟が素敵な色合い。きっと桜色かな?
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東屋もあって、ここで休憩出来そう。
三春町は二度目の訪問で、一度は数年前の春4月中頃に訪れています。その時は桜100選の「三春滝桜」を見に行ったのですが、残念ながらまだ早くて5分咲き状態で、満開ではなかったのです。
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南西側には、福島県1の都市である郡山市の高層ビルも見えていますね。
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結構広い敷地の中に三階櫓跡があります。
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こちらは北の方向。青空がとってもきれい!10月だからススキの穂もあって、秋だなぁ!と感じます。
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眼下には三春町の市街地。付近には「歴史民俗資料館」があるから寄ってみましたが・・・。
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残念ながら休館日。うーん、自分が行くときはお休みの時が多いな、とガッカリです。

この日はさらに北上して飯舘村「いいたて村の道の駅 までい館」の道の駅で車中泊。ここは大好きな道の駅で、Sランク。翌日は山形県へと行きます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月16日月曜日、天気は晴れたり雪が降ったりの、まさしく冬型の天候です。昨夜からの積雪は24cm!朝から雪かきに追われて良い運動になりました(笑)。

さてここは、とある1000mを超す山の上。茨城県で1000mを超す山と云ったら?八溝山しかありませんね。標高1022mの山です。地図を見たら、8つ以上ある八溝山系の最高峰で、そこの山頂展望台からの眺望で、南の方角、関東平野を見渡すと低く垂れこめた雲の中でほとんど見えず。わずかにすぐ下の方しか見えていません。
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東の方も同様。この日は曇り空だったから、仕方がありませんね。
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場所は何処にあるのか?というと。この地図の北西、茨城県の一番北に位置するところで、福島県と栃木県の県境付近です。もっとも山頂は茨城県の久慈郡大子(だいご)町
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八溝山ジオサイトという地形的に珍しい地。名前の通り、8つの溝がある、というかそれ以上の溝があってそのせいか、白毛水、銀性水、金性水、鉄水、龍毛水と名付けられた湧水地があちこちにあって八溝山湧水群が名所で、名水100選にもなっているほど。
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展望台から真下を見たら神社があって、これは後から紹介いたします。
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巨大なアンテナもありますね。たくさんあるアンテナの方向がマチマチで、これってテレビの放送を流すのに使用しているのでしょうか?それともそれ以外のアンテナ?
下に八溝山の山頂を示す看板がありますが、上のアンテナの方が高そう!
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北も西も雲の中で、この日は視界不良で残念。ここへは昨日紹介した雲厳寺から県道321号線を北上し、途中で林道へ。この林道がかなりラフロード。険しい山道を走ってやっと山頂へと到着したのでした。駐車場から歩いて3分もかからずに山頂まで行けます。
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奥久慈県立公園に指定されているんですね。久慈郡の奥にあるから?きっと、県立公園にはあの有名な袋田の滝も含まれるのでしょう。同じ大子町だし、「奥久慈だいご」という名の道の駅もありますからね。
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こちらが下に見えていた神社で、名を八溝峯神社。多分ですが、この山自体がご神体で、その聖なる山を守る神社でしょうか?
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最後に展望台です。まるでお城のような建物で、コンクリート製。階段を昇って上の階へ。でも、この日眺望は悪かったのでした。
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 この日は、福島県へ入りJR水郡線の駅である浅水駅で車中泊。駅は無人駅ですが、となりに清潔なトイレがあり、駐車場が30台ほどの広さ。何台か駐車しているし、大丈夫だろう、と確信して車中泊したのでした。さすがにWi-Fiはなし。付近にスーパーやコンビニもなく食料は事前に勝っておくべしです。

次回は、福島県の三春町から三春城跡を紹介します。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月15日日曜日、天気は1日中降雪で積雪も10cmほど。朝に雪かきをした後、夕方にももう一度雪かき。いよいよ真冬に突入か?来週はまさにホワイトクリスマスになることでしょう。

さて、秋の旅13日目の10月14日は栃木県大田原市の郊外にある雲厳寺
地図に赤字で書かれた名所旧跡の一つで、何となく引かれたのでナビで検索して到着。無料駐車場も完備。トイレもあるから車中泊には良いかも?旅していて、トイレがあって閑静で無料の駐車場を見ると、「ここは車中泊には適するな」なんて、勝手に思っちゃう自分があるのです。

きれいな朱色の橋がありますね。
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地図を見ると、山門を潜り抜けて橋を渡ると、仏殿があります。
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その山門の手前には巨大な杉の木。大田原市の令和の名木となっている杉の大木です。ご神木にもなっているでしょうね。
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結構参拝に訪れる方もいて、駐車場には5,6台の車が停まっています。
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太平洋に注ぎ茨城県最大の河川である那珂川の支流の武茂川が流れている、こちら上流側。よく見ると小さいけど滝が連続してます。
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こちらは下流側。ここでは細くて小さな川だけど、栃木県北端の那須岳に水源を発し、茨城県に出て県庁所在地の水戸市を通る頃には大河川となり、ひたちなか市大洗町の境を流れて太平洋へと注ぐ、長さ150㎞、流域面積3,270平方キロメートルの関東地方では利根川に次ぐ大河川です。
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こちらが巨大な山門。臨済宗のお寺で、創建は1126年というから平安時代の終盤の頃。実に900年近い歴史のある古刹です。
開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺とともに日本の禅宗の四大道場と呼ばれたほどの歴史あるお寺なのです。
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鐘楼のある建物の下には、巨大な年輪を持つ木、多分杉の木でしょうね、が置かれています。それこそ数百年の年輪があることでしょう。
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仏殿には本尊の釈迦牟尼仏が安置されていて、築300年以上とか。
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山の中腹にあって、階段を登るにつれて次々と建築物が現れてきます。
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松尾芭蕉も訪れているんですね。奥の細道紀行で立ち寄り、歌もあります。
キツツキも 庵(いほ)はやぶらず 夏木立 
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一番高いところにある方丈から仏殿と山門を見下ろします。
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 次回は隣の県、茨城県の八溝山へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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12月14日土曜日、天気は晴れ。ニュースでは北海道中央部から北部にかけて、記録的な大雪が降って積もっているとか。同じ道内でも太平洋側と日本海側では天候は大きく変わり、例えば岩見沢とか夕張などの中央部では冬は豪雪地帯ですが、太平洋側はほとんど降雪はありません。
函館は一応太平洋側に面していて冬の降雪は少なく、今日現在では積雪1cm程度で日向ではまったくありません。全国ニュースでは、「北海道で豪雪!」と流れて広い北海道なので、それは一部の話。雪がない地域も多いのです。

さて、秋の旅は10月13日は福島県桧枝岐(ひのえまた)村の道の駅で車中泊して、朝の最低気温は5℃という10月にしたらかなり寒い朝を迎えましたが、近くの湯の花温泉の共同浴場で朝風呂に入り元気百倍!関東地方へ!ここは福島県境に最も近い栃木県日光市の野岩(やがん)鉄道の最北端駅である男鹿高原(おじか こうげん)駅
東京は浅草を出発した東武鉄道鬼怒川線川治湯元駅で終点、そこから北は野岩鉄道で、野は旧国名である下野(しもつけ)の国(現在の栃木県)からきた野。岩は同じく旧国名の会津地方と中通りを合わせた地域の岩代(いわしろ)の国からきた岩。合わせて野岩ということです。
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もっとも、野岩鉄道の駅は、湯西川温泉駅、中三依(なかみより)温泉駅、中三依塩原温泉口駅、男鹿高原駅の栃木県側の3駅、それと福島県側では会津高原尾瀬口駅の1つだけの計4駅。そこから北は会津鉄道となり会津若松駅まで伸びています。
つまり、1本の線路に3つの鉄道会社が走っているということです。
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上りは東京スカイツリー・浅草方面まで、下りは会津若松方面と書かれていますね。1時間に1本ほどですが、10時を過ぎると、上り10:05を最後に下り15:14まで5時間以上ないです。ここで下車したらしばらくここの山の中で待機しなくてはいけないから怖い!
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標高759.7m。ほぼ760mの高さは早朝や夜間は寒い!それに山間部だから野生動物も出るでしょう。ここでの駅寝は厳しそう!
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上り浅草、下り会津と書かれていますね。
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周囲にはまったく人家はありません。なぜ、こんな山の中に駅が出来たのだろう?
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外へ出てしばらく歩くと、何と!ヘリポートがありますよ。Hの字に〇が描かれた舗装した広場。ここでヘリコプターが降りて何のために?
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せいぜい山菜取りに来る人がいる程度の山で、登山で来る人はいないでしょうね。どうして人が住まない場所に駅があるのか?そして謎のヘリポート。ここは関東地方では最強の秘境駅と呼ばれていていて、ここへ来るとそれの理由が分かる気もしますが、それにしても謎だらけの駅でした。

次回は栃木県を西から東へ横断して茨城県へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月11日水曜日、天気は曇り時々雪で最高気温3℃、最低気温はマイナス4℃の冬日の1日となっています。さすがに、冬は車中泊の旅をすることは気力も体力も無理でしょうね。北海道では雪も降っているし、積もっているところではアイスバーンになっている箇所もあるから車の運転は怖いし、何より車中で寝るのは寒すぎる。最近ではポタ電持参で電気毛布を掛けて寝る方法もあるけど、そこまでして車中泊しようとは思いません。雪解け後の春を待ち望みながら、来春のプランを練るのが冬の楽しみの一つでもあります。
地図が大好きだから、日本各地のマックスマップルを買って細かいところまで調べるのを毎日楽しみにして行っています。

さて、南魚沼市の雲洞庵を参拝した後、車を北走らせ魚沼市でガソリン給油。たまたま地元JAのGSがオープン記念で安く売っている現場を通り、そこで給油。
その後、道の駅「ゆのたに」でトイレ休憩を挟んで一休み。進路を東南東へ352号線を進み、途中で県道50号線へ。全長22㎞のうち18㎞がトンネル、二輪車禁止、11月~3月まで冬期間閉鎖という奥只見シルバーラインというトンネルだらけの道を走って日本最大のダム湖である奥只見湖へ。
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ダム湖の全景の絵をご覧ください。長大トンネル5つをつなぎ、やっとたどり着いた場所は越後三山只見国定公園に指定されている地みたい。
地図を見て目に留まったスキー場があるけど、調べたら何と!「冬期間は雪が多すぎて閉鎖される」とのこと。第一、冬は車ではここへは来れないです。車以外での交通手段もないから、スキー場は運営出来ないんですね。
ダム湖の上に行くには、この地図を見ればスロープカーなる乗り物があるみたい。
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これがそう。時間にすれば3分ほどの坂道。歩いても10分くらいでダムの上に行くのだが、これに乗れば100円で行けます。もちろん私は歩きます。健脚ではないけど、普段歩くのは苦じゃないから歩けますよ。
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この日は10月の三連休の初日で、大勢の観光客が来ていてスロープカーは満員。確かにラクチンだものね(笑)。
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足元のマンホールには、「山と湖と温泉」の三文字。
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ダム堤防から見た駐車場。関東地方中心に数百台の車が停まっていました。緑色の屋根の建物はレストランで、かなり混んでいましたよ。
堤防の高さは157m、日本最大の重力式ダムで人造湖では日本最大の面積。
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この写真からは想像もつかないけど、地図を見るとまるで魔女の手の爪みたく、細長い指が奥深くまで広がっているから面積が広大なんでしょうね。そして、ここは新潟県と福島県の境界に湖があるのです。だから、途中から福島県なのです。
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まるで芦ノ湖みたいな遊覧船もあって、こちらも結構込み合っていました。
人造湖はダム湖やため池で、それ以外は自然な湖。日本には美しい自然の湖が多いのです。カルデラ湖(洞爺湖、支笏湖、屈斜路湖、摩周湖、十和田湖など)や火口湖マール 潟湖、蔵王のお釜など)、堰止湖(富士五湖、中禅寺湖、大沼湖)、潟湖ラグーン サロマ湖、網走湖、厚岸湖)などがそうです。
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ランチタイムは自炊。続いて、長大トンネルのわずかな隙間に出来た空間に分かれ道があって、そこで右折して国道352号線へ。舗装こそされているけど、一車線しかない細くてクネクネした山道を走ること30分以上で枝折(しおり)峠へ。ここからは東西南北の絶景が見れるのです。
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わずかに駐車できるスペースに車を停めて峠を少し登ります。軽自動車だからこそ可能な駐車です。もっとも、ここへキャンピングカーでは無理でしょうね。軽自動車でも対向車を何度も下がって待ちましたから。
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見晴らしの良い場所で撮影。東西南北どちらも山、山、山。山ばかりです(笑)。
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東の方向は福島県の山。
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西の方向は新潟県の山。越後駒ケ岳(2002.7m)かな?その奥は八海山(1778m)か?
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 その後は枝折峠を下山後、細くてクネクネした山道の国道352号線を福島県へ2時間以上も走り桧枝岐村の道の駅「尾瀬桧枝岐」で車中泊。翌朝は最低気温は5℃という、かなり冷え込んだ朝を迎えたのでした。

次回は福島県から栃木県へ。秘境駅を訪ねます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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12月10日火曜日、天気は快晴で最低気温は4℃まで上昇して日の当たる場所では暖かく、朝9時過ぎに「冬の散歩」をしてきました。もっとも、日陰では凍結していて、アイスバーンの道もあるからおっかなびっくりのへっぴり腰で歩いたところもありましたけどね。

さて、昨日の続きです。新潟県南魚沼市の雲洞庵という曹洞宗のお寺です。広い境内を歩くと大きな山門があって、両側には仁王様が睨みを利かせ大きな草鞋も立てられています。
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左の仁王様は右手に何かを持っていますが、何だろう?
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右側の仁王様も手に何かを持っていますが、金網越しではよく見れず。
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それよりも両側に巨大な草鞋があって、そこには絵馬が掛けられていますよ。願い事を書いて、草鞋に結ぶ。これって、こちらの風習なんでしょうか?
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左手側にも同じような絵馬!それだけではなくおみくじも結ばれていますよ。
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そして本堂への参道は石畳。その石畳の下に法華経を一字一石づつ刻んで、それを1メートルの深さに敷き詰められていて、その道を踏みしめて歩けばご利益があるとか。
これはありがたい!ゆっくりと、一歩づつ願い事を念じつつ踏み歩きます。
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その教えこそ、仏教、そして禅宗の教えそのもので、まさに寛容の精神。世界の宗教も寛容の気持ちを持って世界平和を祈れば良いのですが、如何せん一神教の世界では自分たちの宗教こそが一番だ!と我を張るから戦争になるのですよ。どの宗教も相手を認めて寛容の気持ちを持たないといけないですよね。
この道の1メートル下に法華経を刻んだ石が埋められているのです。
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鐘楼もあります。お堂は江戸時代前半の元禄4年というから1691年の建立。鐘は戦争で金属供出があり行方不明。その後、造られたものだそうです。
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杉の巨木に囲まれた参道は、森閑とした空間でとても気持ちが落ち着き厳かな雰囲気になります。
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本堂が見えてきました。
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右には雲洞の文字、中央は漢国でしょうか?左は禅庵か? 果たしてその意味は?
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開くのは9時過ぎなので、ここで終わり。1時間以上待たなければいけないので、拝観できずに終わりましたが、内部も見たいくらい豪華絢爛な本堂でした。

次回は新潟県のもっとも険しい福島県へ道である国道352号線を通り、途中でほとんどがトンネルという県道50号線を走って日本最大のダム湖である奥只見湖へと向かいます。

では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。

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