9月30日水曜日、天気は快晴で最高気温は23℃、最低気温は11℃。朝方は冷えていたけど、太陽が上ると同時に暖かくなり外出は半袖でも十分。9月最後の日も晴れていて、暑くもなく寒くもなく9月は旅するには最高の季節だったのでは!
さて、二十間坂下へと降りて行きます。この建物は函館市内の老舗レストランの「五島軒」。
明治12年(1879年)に東京からやって来た若山惣太郎氏がパン屋を開業したのが始まりで、やがて西洋料理店の「レストラン五島軒」へ。名前の由来は、初代料理長を務めたが長崎県五島列島出身の五島英吉氏から取っています。カレーライスが有名ですが、なかなか予約が取れず予約せずに行っても断わられることが多い、それほど人気のお店で値段もそれなり。観光客にも評判で、レトルトカレーはお土産にもなっています。

さらに下へ降りると、衣服店の「ロフト」。レンガ造りの建物で、若者に人気です。

北側はツタが全面に覆っています。坂の上に「五島軒」が見えていますね。

地図をズームすると分かりますが、二十間坂の真下は港ではなくまだ陸地。

坂の下が電車通りで見上げると、どこの坂からも函館山が見えます。坂をアップダウンするたびごとに2長さにすれば200m以上、長い坂では300m以上あり、標高差にすれば100m近くを上がったり下がったりの繰り返しで、結構脚にきます。

市電の通りから下は開港通りというストリート。幕末の1854年に日米和親条約が結ばれ、伊豆の下田とともに箱館が開港します。鎖国をしていた幕府相手に強引に開港させたのは、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリー(1794~1858)。彼は箱館にもやって来ます。港を見て、「ここは自然の良港だ!」と感嘆したとか。

紹介したいのがこれ!コンクリート製真四角の電柱です。

これは「日本最古のコンクリート電柱」で、1923年(大正12年)に建てられたものとか。

赤レンガ倉庫群に近く観光客が多い地域でもあって、お土産物屋さんが多く出店しています。建物は明治時代や大正時代、昭和初期の頃の「和洋折衷」。1階が和風で2階が洋風の建物です。

2階の窓を見れば分かりますね。上下に開ける窓です。カラーも違います。1階が和風の昔風の地味な茶色に対して、2階は洋風のモダンな明るいカラー。屋根は瓦屋根ではないのが北国の特徴です。
本州では、どうして瓦屋根にしているのだろう?といつも疑問に思うのです。
①瓦は重いし、値段も高い。
②冬は雪が降り昼間融けて夜凍結し膨張して瓦を壊す。
それよりは、最近は最新型の鋼板を張る屋根の方が軽く耐久性がある。
と、特に地震で崩壊した古い家屋を見るたびごとに思うのですが。

次の坂を目指します。二十間坂の北にある坂へ。市電が通り過ぎようとしている坂がそれです。二十間坂に比べるとかなり細い。

坂の入り口へ来ました。左側には古めかしい建築物。かつては毛皮商人の店舗だったそうですが、現在はエビス紹介という会社の建物。1921年(大正10年)の大火後に建設されています。

右側には洋風の木造建築物で、川越電化センターという会社が入っています。

道路は細いけど、なかなか素敵な坂道に見えるここは、大三坂。「日本の道100選」に選ばれています。

名前の由来は、幕末の1857年(安政4年)のこと。この坂の下に木下さんという人物が暮らしていて、家の印が大三だったとか。で、その頃は「大三の坂」と云われていたが、やがて「の」を省略して「大三坂」となったとか。

この石畳の坂には、和風だったり、洋風だったり素敵な建物が数多くあって見応えはバッチリ。
それについては次回で詳しくお伝えいたします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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さて、二十間坂下へと降りて行きます。この建物は函館市内の老舗レストランの「五島軒」。
明治12年(1879年)に東京からやって来た若山惣太郎氏がパン屋を開業したのが始まりで、やがて西洋料理店の「レストラン五島軒」へ。名前の由来は、初代料理長を務めたが長崎県五島列島出身の五島英吉氏から取っています。カレーライスが有名ですが、なかなか予約が取れず予約せずに行っても断わられることが多い、それほど人気のお店で値段もそれなり。観光客にも評判で、レトルトカレーはお土産にもなっています。

さらに下へ降りると、衣服店の「ロフト」。レンガ造りの建物で、若者に人気です。

北側はツタが全面に覆っています。坂の上に「五島軒」が見えていますね。

地図をズームすると分かりますが、二十間坂の真下は港ではなくまだ陸地。

坂の下が電車通りで見上げると、どこの坂からも函館山が見えます。坂をアップダウンするたびごとに2長さにすれば200m以上、長い坂では300m以上あり、標高差にすれば100m近くを上がったり下がったりの繰り返しで、結構脚にきます。

市電の通りから下は開港通りというストリート。幕末の1854年に日米和親条約が結ばれ、伊豆の下田とともに箱館が開港します。鎖国をしていた幕府相手に強引に開港させたのは、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリー(1794~1858)。彼は箱館にもやって来ます。港を見て、「ここは自然の良港だ!」と感嘆したとか。

紹介したいのがこれ!コンクリート製真四角の電柱です。

これは「日本最古のコンクリート電柱」で、1923年(大正12年)に建てられたものとか。

赤レンガ倉庫群に近く観光客が多い地域でもあって、お土産物屋さんが多く出店しています。建物は明治時代や大正時代、昭和初期の頃の「和洋折衷」。1階が和風で2階が洋風の建物です。

2階の窓を見れば分かりますね。上下に開ける窓です。カラーも違います。1階が和風の昔風の地味な茶色に対して、2階は洋風のモダンな明るいカラー。屋根は瓦屋根ではないのが北国の特徴です。
本州では、どうして瓦屋根にしているのだろう?といつも疑問に思うのです。
①瓦は重いし、値段も高い。
②冬は雪が降り昼間融けて夜凍結し膨張して瓦を壊す。
それよりは、最近は最新型の鋼板を張る屋根の方が軽く耐久性がある。
と、特に地震で崩壊した古い家屋を見るたびごとに思うのですが。

次の坂を目指します。二十間坂の北にある坂へ。市電が通り過ぎようとしている坂がそれです。二十間坂に比べるとかなり細い。

坂の入り口へ来ました。左側には古めかしい建築物。かつては毛皮商人の店舗だったそうですが、現在はエビス紹介という会社の建物。1921年(大正10年)の大火後に建設されています。

右側には洋風の木造建築物で、川越電化センターという会社が入っています。

道路は細いけど、なかなか素敵な坂道に見えるここは、大三坂。「日本の道100選」に選ばれています。

名前の由来は、幕末の1857年(安政4年)のこと。この坂の下に木下さんという人物が暮らしていて、家の印が大三だったとか。で、その頃は「大三の坂」と云われていたが、やがて「の」を省略して「大三坂」となったとか。

この石畳の坂には、和風だったり、洋風だったり素敵な建物が数多くあって見応えはバッチリ。
それについては次回で詳しくお伝えいたします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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