長野県上田市は、最初から上田という地名があったわけではなく、幸村の父である
真田昌幸が1583年城を築いた時に「上田城」と名付けたことによります。
1583年は、その前年に織田信長が本能寺の変で明智光秀により暗殺され、豊臣秀吉
が柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、信長の後継者としての地位を固め、大坂に城を築
き本拠地とした年でもあります。その前に父昌幸は甲斐の国の武将、名門武田信玄の
家来となり各地で戦い勝利しその名を知らせていました。
そんな父を持つ次男幸村は1615年大坂夏の陣で、徳川家康の前に敗れて世を去る
ことになるが、彼には10人の強力な助っ人=サポーターがいたのです。
それが十勇士、10人のヒーローたち。実はフィクッションで、明治時代以降の立川文庫
という文庫本を発行する出版する会社が誕生させたのです。
私が子供のころ、「少年サンデー」・「少年マガジン」などの週刊マンガ本でよく登場し
読みました。毎週ワクワクしながら、楽しみにしていたものでした。

根津甚八(ねづじんぱち)。同名の俳優がいましたね。
彼は真田幸村の影武者の一人となって、1615年大坂夏の陣で討ち死にされました。
望月六郎(もちづきろくろう)。火術が得意。早くから昌幸・幸村親子に従い、幸村の側近
として智謀をふるい、影武者にもなった。大坂冬の陣でも活躍した。

御存知猿飛佐助(さるとびさすけ)。甲賀流忍術の名人。山中で猿と遊んでいるところを
戸沢白雲斎に見つかり忍者となる。その後鳥居峠(昨日紹介しました、群馬県と長野県の
境)で幸村と出会い家来となった。徳川家康の身辺を探ったり、三好清海入道と諸国漫遊
(放浪の旅に出る)し、天下の大泥棒である石川五右衛門と術を争ったこともある。サスケ
の名はここから広まり、プロレスラーにいたり、テレビ番組になったり、運動能力抜群の身軽
なアスリート系人物の代名詞になっていますね。

筧 十蔵(かけいじゅうぞう)。鉄砲の名手で、鉄砲隊を率いて大坂冬の陣・夏の陣で活躍
した。その時に家康を狙撃したが、失敗に終わった。彼は右肩に銃を乗せていてスナイパー
であることが分かりますね。

三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)。兄に青海入道がいる。兄とともに幸村に従い
大坂の陣で戦うが、兄に負けず大男で怪力の持ち主である。鬼に金棒の意味が分かり
ますね。

海野六郎(うんのろくろう)。十勇士のまとめ役で、10人の中では目立つ方ではないが、
頭を使って徳川方を大いに悩ました策士である。手に巻物を持っていることで知恵者である
ことが分かりますね。

穴山小助(あなやまこすけ)。頭が非常に良く、槍の達人でもある。幸村の知恵袋であり、
幸村と容姿が似ていたために影武者として身代わりにもなった。
残念ながら、ここだけ像がなかった。修理中だったのかな?

三好青海入道(みよしせいかいにゅうどう)。昌幸候と縁戚である。その縁で子の幸村に
仕えることとなった。身の丈6尺、約180cm。今なら2m近い高さか?この大男怪力の持ち主
で、この像を見てもお分かりのように巨大な岩を持ち上げている。太い樫の棒を振り回して戦
った。

由利鎌之助(ゆりかまのすけ)。くさり鎌の名手である。穴山小助との一騎打ちで、生け捕り
にされて以来幸村の家来となった。大坂の陣では勇猛果敢に戦った。左手に鎌を持っていま
すね。

最後に登場するのが、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)。彼は伊賀流の忍者。華麗な姿であっと
驚く術の使い手。上田の太郎山の霧から雲隠れの術を、神川の千古の淵ですいとんの術を身
につけた。大坂夏の陣ではその術で家康の寝首を狙ったが、失敗した。

というわけで、上田市にはこの真田十勇士の像があちこちに設置されています。だから、
探し出すのに自転車が役に立ちました。市内を駈け回り10人をすべて写真撮りに成功、嬉し
かったですね。
少しは興味を持ってもらえたでしょうか?戦国時代の武将の中では幸村が一番好きですね。
明日は上田市のお城跡などを紹介します。
ではまた明日
真田昌幸が1583年城を築いた時に「上田城」と名付けたことによります。
1583年は、その前年に織田信長が本能寺の変で明智光秀により暗殺され、豊臣秀吉
が柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、信長の後継者としての地位を固め、大坂に城を築
き本拠地とした年でもあります。その前に父昌幸は甲斐の国の武将、名門武田信玄の
家来となり各地で戦い勝利しその名を知らせていました。
そんな父を持つ次男幸村は1615年大坂夏の陣で、徳川家康の前に敗れて世を去る
ことになるが、彼には10人の強力な助っ人=サポーターがいたのです。
それが十勇士、10人のヒーローたち。実はフィクッションで、明治時代以降の立川文庫
という文庫本を発行する出版する会社が誕生させたのです。
私が子供のころ、「少年サンデー」・「少年マガジン」などの週刊マンガ本でよく登場し
読みました。毎週ワクワクしながら、楽しみにしていたものでした。

根津甚八(ねづじんぱち)。同名の俳優がいましたね。
彼は真田幸村の影武者の一人となって、1615年大坂夏の陣で討ち死にされました。
望月六郎(もちづきろくろう)。火術が得意。早くから昌幸・幸村親子に従い、幸村の側近
として智謀をふるい、影武者にもなった。大坂冬の陣でも活躍した。

御存知猿飛佐助(さるとびさすけ)。甲賀流忍術の名人。山中で猿と遊んでいるところを
戸沢白雲斎に見つかり忍者となる。その後鳥居峠(昨日紹介しました、群馬県と長野県の
境)で幸村と出会い家来となった。徳川家康の身辺を探ったり、三好清海入道と諸国漫遊
(放浪の旅に出る)し、天下の大泥棒である石川五右衛門と術を争ったこともある。サスケ
の名はここから広まり、プロレスラーにいたり、テレビ番組になったり、運動能力抜群の身軽
なアスリート系人物の代名詞になっていますね。

筧 十蔵(かけいじゅうぞう)。鉄砲の名手で、鉄砲隊を率いて大坂冬の陣・夏の陣で活躍
した。その時に家康を狙撃したが、失敗に終わった。彼は右肩に銃を乗せていてスナイパー
であることが分かりますね。

三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)。兄に青海入道がいる。兄とともに幸村に従い
大坂の陣で戦うが、兄に負けず大男で怪力の持ち主である。鬼に金棒の意味が分かり
ますね。

海野六郎(うんのろくろう)。十勇士のまとめ役で、10人の中では目立つ方ではないが、
頭を使って徳川方を大いに悩ました策士である。手に巻物を持っていることで知恵者である
ことが分かりますね。

穴山小助(あなやまこすけ)。頭が非常に良く、槍の達人でもある。幸村の知恵袋であり、
幸村と容姿が似ていたために影武者として身代わりにもなった。
残念ながら、ここだけ像がなかった。修理中だったのかな?

三好青海入道(みよしせいかいにゅうどう)。昌幸候と縁戚である。その縁で子の幸村に
仕えることとなった。身の丈6尺、約180cm。今なら2m近い高さか?この大男怪力の持ち主
で、この像を見てもお分かりのように巨大な岩を持ち上げている。太い樫の棒を振り回して戦
った。

由利鎌之助(ゆりかまのすけ)。くさり鎌の名手である。穴山小助との一騎打ちで、生け捕り
にされて以来幸村の家来となった。大坂の陣では勇猛果敢に戦った。左手に鎌を持っていま
すね。

最後に登場するのが、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)。彼は伊賀流の忍者。華麗な姿であっと
驚く術の使い手。上田の太郎山の霧から雲隠れの術を、神川の千古の淵ですいとんの術を身
につけた。大坂夏の陣ではその術で家康の寝首を狙ったが、失敗した。

というわけで、上田市にはこの真田十勇士の像があちこちに設置されています。だから、
探し出すのに自転車が役に立ちました。市内を駈け回り10人をすべて写真撮りに成功、嬉し
かったですね。
少しは興味を持ってもらえたでしょうか?戦国時代の武将の中では幸村が一番好きですね。
明日は上田市のお城跡などを紹介します。
ではまた明日
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