昨日紹介した、函館山山麓の墓地にあった遊郭で働き倒れて亡くなった遊女たちのお墓に関して、関連して大門の話を少ししました。それで、昨日調べに行ったので、紹介します。

「江戸の吉原以北最大の遊郭」と呼ばれたのが、函館山山麓の蓬莱町(現在市電宝来町付近)の遊郭、どれ程大きかったのか?想像も出来ないが、1908年(明治40年)8月25日の大火で多くの建物は焼失する。そのため遊郭は、西部地区から駅近くの大森町周辺へ移動した。それが、大門の始まり。
入り口には巨大な門が左右に二つあったという。今はない。
大平洋戦争時は遊郭の賑わいは冷え込んだが、1945年10月アメリカ軍の函館進駐で再び活況となる。1956年(昭和31年)5月売春防止法が出来るまで、警視庁が赤い線で囲んだエリアでのみ遊郭が営業許可された。いわゆる「赤線」である。
そんな、隠れた歴史があった、なんて知らなかった。まして、江戸・吉原に比する蓬莱遊郭があったとは。
大門の名があるか?探して歩いてみました。

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まずあったのは、「大門横丁」。居酒屋、ラーメン屋を中心に30店舗以上集まって形成されている。さすがに朝は閑散しており、10時ではオープンしている店は一つもなかった。

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でも夜は賑わっていますよ。駅からゆっくり散策していたら、見つけた美鈴(みすず)コーヒー。この写真にあるのは、1935年(昭和10年)の北海道初のコーヒー焙煎機。ここは1933年(昭和8年)からコーヒー販売を始めたそう。なお、函館は日本で最初にコーヒーが飲まれた町です。カレーライスが最初に食べられたところが、「五島軒(ごとうけん)」で、コーヒーもそう。開国時に西洋から伝わってきたのを、レシピを教わり、見よう見まねで創作したのでしょうね。なお、五島軒の創始者、若山さんは長崎県五島列島の出身なので、五島軒と名を付けたのです。

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市電松風町の電停付近から大森浜方向を見ました。「大門通り」の小さな看板がありました。

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帰りしな発見した「大門銀座」の名がついた通り。電車通りから1本海側へ入った通りで、銀座なんてものは何ひとつない。空き地が広がり、銀座と書かれた旗も破れていた。

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というわけで、かつては人であふれた函館駅からの通りの大門地区。デパートは3軒もあった。文化の中心である函館最大の書店だった「森文化堂」も本州資本に敗北し、10年以上前から潰れたまま放置されている。
柳小路という文字通り小さな路があり、昔は飲み屋がたくさんあったところも裏寂れて寂しい限り。そこに、「杉の子」という小さなお店がありました。

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ラグビー関係者が良く行くお店ですので紹介します。
駅から少し入ると空き地が広がり、更地になっていて駐車場ばかり。新幹線が開通しても賑わいを取り戻すことはあるのだろうか?大門と呼ばれて、私の子供の頃は函館で一番の繁華街だったこの町もやがては廃れていくのだろう。時代の流れとはいえ、寂しいですね。
そんなわけで、今日は、遊郭があった大門の歴史を少しだけ紹介しました。
それでは、また明日!!