毎日冷凍庫の中で、生活しています。これで、9日連続真冬日。道内は例年よりも
かなり 冷え込んでいて、それに加えて灯油やプロパンガスの価格が上昇し、厳しい
生活を余儀なくされています。早く春が来ないかな、とまだ1月の中旬なのに願ってい
る有様です。
旅のブログを見ると、南の地方では颯爽と自転車やオートバイで走っています。そん
な姿を見ると同じ日本でも随分違うなあ、と改めて地図を広げて見直すし、日本は冷帯
から亜熱帯まであって、旅するには四季折々楽しめる国なんだ、とつくづく思いました。
それでも冬の北海道は、それなりの覚悟をして旅しないといけませんよ!列車や飛行
機の遅れは良くあることだし、吹雪による高速道路の閉鎖や交通事故。十分気を付けて
旅して下さいね。
さて、昨日の続きです。トラピスト女子修道院の周囲を歩いています。

私が小学生のころですから今から半世紀も前のこと。ここまで来るのは大変な道のりでした。
道路は未舗装だったし、友人と自転車で行った時のことを思い出すと、険しい山道を登ってた
どり着いたホントに不便な場所だったのです。
その頃は、このような高い塀はなくて、柵があっただけで内部を見ることが出来たが、今は観
光客が多く来るために造らざるを得なかったのでしょうね。

それにしても、まさに冬の森そのもですね。小学生のころ、この周囲はよく熊が出ました。
ここから通う子もいたので、春や秋には集団下校が行われていました。地域の人や学校
の先生が笛やラッパを吹きながら、上級生が下級生を庇うように下校したのです。
今では想像も出来ない光景でしょうが、当時はそれが普通でした。
学校の校区は準農村地区だったので、春の田植えと秋の稲刈りの時期には学校を休んで
親の手伝いをしていた同級生が何人もいて、教室には空席が目立っていました。また、2年生
の時の記憶が鮮明に残っているのが、クラスの女の子が赤ちゃんをおぶって連れてきていた
ことです。2年生というと、8歳ですよ。8歳の子供が、1歳に満たないかの赤ちゃんを背負い授
業を受けていたのです。もちろん、先生方は知っていて何も云わなかったし、クラスの女の子
たちは進んでおしめを取り換えるのを手伝っていました。そんな時代だったのです。
今思うとミルクなどはどうしていたのかな?と不思議なところもありますが、赤ちゃんを背負う小
さな同級生の姿が脳裏に焼き付いているのです。
まるで、「おしん」のシーンみたいですね。1960年ころの話で、それこそ半世紀以上も前のこと
です。

こんな道が延々と3kmほども続きますが、さすがに寒くてすべてを歩き通すことは断念。
戻ることにしました。早歩きで歩いていたので、防寒具の中で体は暖かくなったけど、指
先や足元は冷たく、我慢の限界。帽子をかぶりネックウォマーをして出来るだけ顔を覆っ
ているが、息をするたびにメガネが曇る。特に坂道を登っている時など、レンズが真っ白
になってしまう。
ダイヤモンドダストは出来なかったけど、それに近いくらいの気温で、とても寒かったので
す。
家への帰り道で、ラグビー場へ寄って見ました。

雪原といってもいいくらい。雪でまっしろのコート。

ゴールポストとスコアボードが見えますね。私の次男と三男は、小学生の頃からここで
練習していましたし、高体連の大会はここで行われるので何度も嫁さんと一緒に応援に
駆けつけていた思い出の場所でもあります。ここで、北海道大会の決勝が行われて敗退
した苦い思い出もあります。何回か決勝に進出し、あともう少しで夢の大阪・花園へ行け
るぞ!と。しかし、ニュージーランドからの留学生を擁する札幌の私立強豪校の前に僅差
で敗退、悔し泣きをしたことも。
そのニュージーランド留学生は、今日本代表のフォワードである東芝のマイケル・リーチ
選手です。
そんな相手と165cmの小さな我が子(三男)が闘ったのも思い出の一つです。
ズームすると、遠くに先ほどのトラピスチヌ女子修道院の建物が見えます。

中央左寄り、丘の上にレンガ色の建物が見えますね。今は周囲に小学校も出来たし、民家も
建てられるようになってきました。田んぼはほとんどなくなってしまった。
ラグビー場の隣の野球場も今は冬眠中。

というわけで、氷点下15度近くまで下がったこの日、凍てつく大地を紹介しました。
2月になると雪まつりや冬フェスティバルがあり、活気づくのですが、今の季節は一番寒く
人々はおとなしく家の中に引きこもりかな?
空気が乾燥していますね。気温だけではなく、湿度も気にしながらストーブ・加湿器の両方
を使用しています。風邪には十分気を付けましょう。
それでは、また明日
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かなり 冷え込んでいて、それに加えて灯油やプロパンガスの価格が上昇し、厳しい
生活を余儀なくされています。早く春が来ないかな、とまだ1月の中旬なのに願ってい
る有様です。
旅のブログを見ると、南の地方では颯爽と自転車やオートバイで走っています。そん
な姿を見ると同じ日本でも随分違うなあ、と改めて地図を広げて見直すし、日本は冷帯
から亜熱帯まであって、旅するには四季折々楽しめる国なんだ、とつくづく思いました。
それでも冬の北海道は、それなりの覚悟をして旅しないといけませんよ!列車や飛行
機の遅れは良くあることだし、吹雪による高速道路の閉鎖や交通事故。十分気を付けて
旅して下さいね。
さて、昨日の続きです。トラピスト女子修道院の周囲を歩いています。

私が小学生のころですから今から半世紀も前のこと。ここまで来るのは大変な道のりでした。
道路は未舗装だったし、友人と自転車で行った時のことを思い出すと、険しい山道を登ってた
どり着いたホントに不便な場所だったのです。
その頃は、このような高い塀はなくて、柵があっただけで内部を見ることが出来たが、今は観
光客が多く来るために造らざるを得なかったのでしょうね。

それにしても、まさに冬の森そのもですね。小学生のころ、この周囲はよく熊が出ました。
ここから通う子もいたので、春や秋には集団下校が行われていました。地域の人や学校
の先生が笛やラッパを吹きながら、上級生が下級生を庇うように下校したのです。
今では想像も出来ない光景でしょうが、当時はそれが普通でした。
学校の校区は準農村地区だったので、春の田植えと秋の稲刈りの時期には学校を休んで
親の手伝いをしていた同級生が何人もいて、教室には空席が目立っていました。また、2年生
の時の記憶が鮮明に残っているのが、クラスの女の子が赤ちゃんをおぶって連れてきていた
ことです。2年生というと、8歳ですよ。8歳の子供が、1歳に満たないかの赤ちゃんを背負い授
業を受けていたのです。もちろん、先生方は知っていて何も云わなかったし、クラスの女の子
たちは進んでおしめを取り換えるのを手伝っていました。そんな時代だったのです。
今思うとミルクなどはどうしていたのかな?と不思議なところもありますが、赤ちゃんを背負う小
さな同級生の姿が脳裏に焼き付いているのです。
まるで、「おしん」のシーンみたいですね。1960年ころの話で、それこそ半世紀以上も前のこと
です。

こんな道が延々と3kmほども続きますが、さすがに寒くてすべてを歩き通すことは断念。
戻ることにしました。早歩きで歩いていたので、防寒具の中で体は暖かくなったけど、指
先や足元は冷たく、我慢の限界。帽子をかぶりネックウォマーをして出来るだけ顔を覆っ
ているが、息をするたびにメガネが曇る。特に坂道を登っている時など、レンズが真っ白
になってしまう。
ダイヤモンドダストは出来なかったけど、それに近いくらいの気温で、とても寒かったので
す。
家への帰り道で、ラグビー場へ寄って見ました。

雪原といってもいいくらい。雪でまっしろのコート。

ゴールポストとスコアボードが見えますね。私の次男と三男は、小学生の頃からここで
練習していましたし、高体連の大会はここで行われるので何度も嫁さんと一緒に応援に
駆けつけていた思い出の場所でもあります。ここで、北海道大会の決勝が行われて敗退
した苦い思い出もあります。何回か決勝に進出し、あともう少しで夢の大阪・花園へ行け
るぞ!と。しかし、ニュージーランドからの留学生を擁する札幌の私立強豪校の前に僅差
で敗退、悔し泣きをしたことも。
そのニュージーランド留学生は、今日本代表のフォワードである東芝のマイケル・リーチ
選手です。
そんな相手と165cmの小さな我が子(三男)が闘ったのも思い出の一つです。
ズームすると、遠くに先ほどのトラピスチヌ女子修道院の建物が見えます。

中央左寄り、丘の上にレンガ色の建物が見えますね。今は周囲に小学校も出来たし、民家も
建てられるようになってきました。田んぼはほとんどなくなってしまった。
ラグビー場の隣の野球場も今は冬眠中。

というわけで、氷点下15度近くまで下がったこの日、凍てつく大地を紹介しました。
2月になると雪まつりや冬フェスティバルがあり、活気づくのですが、今の季節は一番寒く
人々はおとなしく家の中に引きこもりかな?
空気が乾燥していますね。気温だけではなく、湿度も気にしながらストーブ・加湿器の両方
を使用しています。風邪には十分気を付けましょう。
それでは、また明日
コメント
コメント一覧 (2)
私は函館の伊藤秀雄の大学の同級生です。 彼の紹介でこのページを見ています。
定年後、去年初めて伊藤宅を訪問、根室のカニ祭りをメインとして道南を写真撮影
して回りました。(趣味が写真なもんで)
大野さんはいろんなところへいらしているいるんですね! 参考になります。
よろしく。