今朝もBS・NHKの「こころ旅」見た後で書いています。火野正平さんは浜松を走って
いましたが、陽が照っていて浜名湖周辺のサイクリングはとても楽しそうでした。
というわけで、今朝は今年最初のテーマソング「こころ旅」を聞きながら、お読み下さい。






 今朝の北海道新聞を読んだらとてもうれしいことが書いてありました。それは、「旅行
サイトの観光スポット総選挙」で北海道代表の函館山が堂々日本第1位の記事でした。
世界最大の旅行口コミ情報サイト・トリップアドバイザーが行った「都道府県代表観光
スポット(TDFK47)」で、道代表でエントリーした函館山が日本1の観光地に選ばれた
のです。
北海道の代表に選ばれるだけでも大変なのに、まして各都府県代表にも勝利して1位
となったことに地元の人間として、とても光栄に思います。うれしい!
ちなみに、東京都代表は東京スカイツリー、京都府代表は清水寺、沖縄県は美ら海水族
館。
1位函館山に続く2位は長野県の松本城、3位は島根県の出雲大社、4位は宮崎県の
千穂峡、5位は鹿児島県の桜島となっています。
昼間の景色も素晴らしいですが、やっぱり何と言っても函館山からの夜景ですね。世界三
大夜景の一つであり、日本では長崎神戸日本三大夜景となっていますが、長崎・神戸
どちらも見て来ましたが、どう見ても函館山からの夜景が一番! NO.1です。きっと、夜景
を見た人たちが投票したのでしょう。だから、1位に選ばれたのですね。

 さて、それでは昨日の続きです。山五十川から庄内平野の中心、江戸時代、酒井氏が治
めた庄内藩・14万石の城下町鶴岡市へ向かいます。

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県都山形市(人口25.4万人)に次ぐ県第2位の人口、13.6万人の都市。その中心に鶴ケ岡
がありました。堀が残る今は鶴岡公園となっていて、その三の丸は庄内藩の御用屋敷と
なっていました。現在は致道(ちどう)博物館になっていて、今日はその紹介初日です。
「致道」とは庄内藩の藩校「致道館」によるもので、その出典は中国の古典「論語」の一説「
君子学んで以って其の道を致す」から来ています。道に致す、つまり道を究めるということ。
良い言葉ですね。
城主酒井氏は、徳川四天王の一人である酒井忠次を祖として、3代目の忠勝が1622年に
信州松代藩から移封されてきてから、明治維新に至るまで変わらずに治めていました。
酒井氏は明治後も鶴岡にとどまり、1950年(昭和25年)に郷土文化向上のため土地・建物
並びに旧藩校の資料などを寄付され、その後致道博物館として発足したわけです。

最初の写真は旧西田川郡役所。1881年(明治14年)に建てられた洋風建築で、明治天皇が
東北巡幸のおりは鶴岡行在(あんざい)所となった由緒ある建築物です。郡役所とは、当時の
郡(一定のエリア)の役所のことで、当時の建物が残っているのは全国でも数少なく、稀有な
存在です。函館周辺では江差に郡役所があり、今復元されていますね。

次に旧鶴岡警察署庁舎です。
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松の木が立派。
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1884年(明治17年)に鶴岡市馬場町に建築されたもので、新しい洋風工法に在来の手法を
加えて造られています。棟梁は、先の西田川郡役所を建築した名匠高橋兼吉です。
どちらも凝った造りで、時代を感じさせる素晴らしい建物ですね。函館での公会堂を思い出さ
せる洋風建築物です。

このような、建物がいつくか集まっているのがここの博物館の敷地で、次に田麦俣(たむぎまた)
の民家を紹介します。上の2つは鶴岡市内にあったものを解体し、ここで復元したものですが、
この民家は、出羽三山の一つ信仰の山である湯殿山(1500m)の山麓の村、旧朝日村田麦俣
から移築し保存しているものです。
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山村豪雪地域の多層民家であることが分かりますね。木造3階建てとなっていて、白川郷の
合掌造りのような建物ですね。合掌造りと同じく2階、3階は養蚕場となっていました。明治の
時代は農家は、田畑を耕す片手間に蚕を飼い生糸を生産していたのですね。それは国策で
もありました。重工業がまだ成り立っていない時代の明治時代前半、生糸の生産をし、輸出し
外貨を稼ぎます。日清戦争の前の産業革命の中核を担ったのは製糸・紡績業などの軽工業
だったのです。農民たちはそのため養蚕を強いられました。そして、農家の若い女性たちは
女工として、厳しい監督下で奴隷のように働き続けたのです。そこら辺はブログ12月後半の
「野麦峠」をご覧下さい。
壁にそりの土台が立掛けられていますね。冬は3メートルを越す豪雪地帯、馬に引かせたそり
で荷物を運んだのですね。
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兜(かぶと)造りと呼ばれる美しいかやぶき屋根の民家です。この建物、1965年(昭和40年)
に移築したものです。
私が大学2年生の1972年(昭和47年)夏、東京から青森まで自転車で帰省した時のことです。
暑い日でした。鶴岡から国道112号線を大峠(920m)へ向けて必死にペダルをこぎました。当
時は舗装などされておらず、砂利道。時々トラックやバスが土埃をまき散らしながら自転車の
脇を通過して行きます。汗をかいた顔が、乾くと埃で灰色へ、まるで灰汁を付けたかのよう。
目的は、六十里越街道走破と大学の授業「民俗学」で田麦俣の多層民家群を学んだ時の印
象が強く、一度訪ねて見よう!との思いからです。学生時代は夏・春帰省するたびに自転車で
青森まで走っていました。それも、一気にではなく、あちこち寄りながらのぶらり旅。
そういえば、その「民俗学」の教授は、有名な方で祖父江先生という名前でした。確か?祖父江
孝(そふえ たかし)さん。それこそ後で著書も購入し、何度も読んだものです。

さて、明日はさらにここ致道博物館の続きです。
では、また明日 

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