開国する前の箱館に、1769年淡路島(現在の兵庫県洲本市)の農民の子として生ま
れた嘉兵衛がやって来た。漁業に従事し、廻船に乗る。船頭となり、資金を貯めさらに
廻船業者として財を成した彼は、蝦夷地経営に乗り出し1797年箱館の地にやって来た
のだった。
 近藤重蔵、間宮林蔵、最上徳内など江戸幕府の役人たちと接触し、信用を得て蝦夷
地交易を許可されたのが19世紀の初め。彼は箱館の北洋漁業の基礎を築いた功労者
である。
 今はロシア領となっている国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の北方領土で漁場を
開き、アイヌの民を雇って漁法を教え、彼らの生活向上に資した。
 1806年、箱館は大火で町の大半が焼失した時、嘉兵衛は被災者の救済活動と復旧
事業を率先して行う。井戸掘り、道路の改修などまさにインフラを自己資金で行ったのだ。

 そんな嘉兵衛の資料館が西部地区にあります。
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1801年、33歳の時に幕府から苗字帯刀を許されて、「高田屋」を名乗るのは、大火の5年前
だった。
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蔵の前に「造船所跡地」の碑ああるけど、嘉兵衛は兵庫から腕利きの船大工を多数呼び寄せ、
幕府の船である官船始め多くの船を建造していったのです。
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日本初のストーブ使用の碑もありますね。
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1811年、ゴローニン事件が起きます。日本史の教科書にも登場するので知っている方も
多いと思いますが、幕府が根室でロシア軍人ゴローニンを幽囚した報復として、嘉兵衛は
国後島で捕えられます。嘉兵衛は翌年帰国しその後も箱館のために尽力しますが、1827
年59歳で死去しました。

近くに二階建てバスがありました。知らなかったです。こんなのがあるなんて
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というわけで、今日は開国前の箱館を発展させる基礎を創った江戸時代の海商、廻船業者
の高田屋嘉兵衛を取り上げました。彼の銅像は、市電通りの宝来町電停付近、函館山を見
上げる護国神社の坂に建っています。なぜなら、そこは嘉兵衛の旧宅があったところで、今
は高田屋通りと呼ばれている場所だからです。
生誕地の兵庫県洲本市には高田屋嘉兵衛翁記念館、高田屋嘉兵衛公園もあります。いつか
は訪問してみたい。

それでは、また明日