最初にランキング・ポイントが点く「日本一周」を持ってきました。最近PCの調子が悪く、思う
ようにブログを作れず落ち込んでいましたので、これで直ってくれれば良いのですが・・・。
さて、函館市電、全国に20もない路面電車のことですが、それを一つ一つ旅して行きます。
その第一弾。終点にある「湯の川」から見て行きます。

場所はどこか?というと、市街地の東、で扇形に広がった函館市の右手小指の辺りかな?

光が当たりすぎて良く見えないけど、赤でマークされたところです。
紫色が電車の路線です。
たまたま電車が入って来ました。

これも広告主がいる電車ですね。「市民の台所」と書かれていますが、どこの会社かな?
地名は湯川(ゆのかわ)と表記されますが、電停つまり電車の停留場の名は「湯の川」です。
幕末に蝦夷地の隅々まで探検した松浦武四郎は「蝦夷日誌」に「湯川」と書いており、一般
的には「の」が付きませんが、観光客に分かりやすく「湯の川」としているのでしょうね。
湯の川というくらいだから、当然温泉があります。
今から約550年ほど前の1450年ころというから室町時代にあたりますね。木こりが、この地で
湧き湯を見つけ腕の傷を癒した、という伝説があります。
「湯川温泉発祥の地」の碑もありました。

その木こりが、お礼に建てた祠がここに建つ湯倉神社の起源となります。
さらに時代が過ぎて、江戸時代前半の1653年、難病を患った松前藩主9代目の松前高広、
幼名を千勝丸が、湯倉神社の境内に噴出している温泉に入浴したところ全治しました。
母の清涼院はそのお礼に社殿を建て直し、黄金の薬師像と中国の金で製造された鰐口を
贈りました。それはいまでも社宝として残っているそうです。鰐口というのは、お賽銭箱の上
にある金属製の太鼓のようなものですね。よく下がっている太い紐を引っ張ると、カーン、カ
ーン鳴りますね。ワニグチの意味はアリゲーターのマウスから来ているのかな?

そうえいば、湯川商店街ののお祭りを「千勝祭り」といいますが、それはこの松前藩9代の
千勝丸から由来するのですね。
語源にも書かれているように、「ユベツ」、湯の川の意味で、「湯の流れる川」から来ていま
すね。
それでは、湯倉神社を見ましょう。
まず、案内板がありましたので、読んでみます。

先に紹介したことが書かれていますね。

朱塗りの大きな鳥居へと階段を登ります。

1869年の戊辰戦争最後の戦いである箱館・五稜郭の戦いでは、旧幕府軍総裁榎本武揚は
傷病兵を温泉療養させるとともに、自らも入浴し、「ここを100尺(30m)も掘り下げれば50度の
温泉が湧き出る」と言い残しています。
あの新選組副隊長の土方歳三も、ここの湯に浸かったのです。それを思い出して、温泉に入る
ことにしよう。

本殿の隣には「御神木」がありました。

「千勝祭り」に使用する御神輿もあります。

近づいて見ましょう。

立派な神輿ですね。七福神の中の二人が鎮座していますね。誰でしょうか?大黒様?
布袋様?教えていただければありがたいです。
最後に稲荷神社も。まるで、京都稲荷神社のミニ版。千本鳥居の百分の一かな?

というわけで、今日は終点の「湯の川」電停を紹介しました。
明日は一つ上って「湯の川温泉」を見て行きます。それでは、また明日
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