前回紹介したものも含め、「末広町」に明治・大正時代から残る戦前の石造りの建物、鉄筋
コンクリートのビル、さらにはいまだ健在の木造の建築物を見に行きましょう。
小樽の街は戦前、「北のウオール街」と呼ばれていました。ウオール街とは、アメリカ、ニュー
ヨークのマンハッタン島にある証券会社が連なる金融街ですね。1929年10月24日の「暗黒の
木曜日」で知られる世界恐慌の発祥の地であることは、歴史の教科書に登場するので皆さん
よく御存じのことでしょう。
小樽は、戦前は証券会社がいくつも集まり、そう呼ばれていたのです。一方、函館は「北の日
本橋」と呼ばれ、銀行を中心にたくさんの金融会社が集中していました。
その代表例がこれです。電停「末広町」のすぐそばに建つ、現在は函館市北方民族資料館は
実は驚くなかれ旧日本銀行函館支店。それも1893年(明治26年)に、支店としては大阪、下関
に次いで全国で3番目に支店が建設されたのです。東京以北では初めての日銀支店ですよ。

この建物が全国で3番目に日銀支店として建てられたビルです。現在は、市役所の近くに
移転しましたが、戦前は北海道の金融の中心だったのです。
現在は、函館市北方民族資料館として、アイヌ民族の資料などを展示しています。

さて、今紹介している地区を地図を見ながら確認しましょう。まず、大きな地図で。

赤色の電車路線図を見ると、一番下の終点「湯の川」から一つずつ紹介して、ついに函館山
山麓のところまで来たことが分かりますね。もう一方の終点「谷地頭」はすでに紹介しています。
拡大して見ましょう。

電車路線図も見ましょう。

それでは、「十字街」からのおさらいです。

この建物は旧安田銀行函館支店、その後は「ホテル ニューハコダテ」。1932年(昭和7年)の
鉄筋コンクリート造りです。残念ながら現在ホテルは営業をしていません。
その近くに函館市文学館があります。

函館出身の作家やゆかりの人物が紹介されています。辻仁成は今やタレントになっているほど、
奥さんの方が有名ですけどね。最近は、ワイドショーで騒がしていますね。佐藤泰志は、最近封
切った映画「ここのみて光輝く」の原作者で、函館が舞台となっています。

ここは、1921年(大正10年)第一銀行函館支店として建設された建物です。壁はレンガでも
骨組みは鉄筋コンクリート製の建物という珍しい構造となっています。
実は、ここ函館企業の中でも一番大きく知られているクレジット業界大手のジャックスの本社
が置かれていたのです。
それは、1964年(昭和39年)東京オリンピックのあった年のことです。第一銀行函館支店が、
当時最大の繁華街となった函館駅前の若松町の移転した時に、ジャックスが買い取り本社と
して使用しています。その記念の碑がたっています。

営業の主体は、今は東京の本部に移っていますが、登記上の本社はいまだ函館に置かれて
いて、実のふるさとを大事にしている企業なのです。
今日の北海道新聞では、「函館創業のジャックス、太陽光発電の売電収入額の半額を毎年
ふるさとへ」という記事がありました。市内に2か所設置し北電への売電約700万円のうちの
半額を毎年寄付する、というありがたい話です。
函館市は、市長、議会、市民挙げて現在大間原発建設差し止め訴訟を起こしていて、クリー
ンエネルギーである太陽光発電の施設を建設するだけでも大きな味方となってくれますから
ね。
その真向かいにあるのが、旧金森洋物館店。

今は市立函館博物館資料館になっていますが、前身は市内の二つあるデパートの一つである
棒二森屋百貨店だったのです。そしてここからスタートして、この建物の向かい側の大きなビル
を建設して移ります。

それが、

これ。1930年(昭和5年)、一部7階建ての当時北日本最大の百貨店となった旧金森森屋
百貨店。現在は北島三郎記念館、ホテル、レストランなどに生まれ変わっています。
というわけで、やっと「末広町」の電停にとうちゃこ!

ではまた明日
コメント
コメント一覧 (1)
※ この建物が全国で3番目に日銀支店として建てられたビルです。
→ 現在の建物ではありません。過去2回焼失しております。