以前お伝えした路面電車の旅は、函館市電の紹介でした。その終点が湯の川。電停のある交差点のさらに東に、湯の川温泉発祥の地とされる湯倉神社があり、その先さらに200mほど進むと湯川寺があります。
滝澤山湯川寺は浄土宗のお寺です。そこにあるのが33の観音様の像。滝沢(たきのさわ)は
地名です。市街地から遠く離れているため、私が小学校の時はよくヒグマが出たため集団下校
したり、先生方が引率して登下校した時もありました。
実は、この三十三の観音像は、起源が古く1832年淡路島出身の箱館で豪商となった高田屋嘉兵衛の弟の金兵衛の船で運ばれてきて、函館山に置かれたものです。観音像は札所の土と四国の岩で造ったそうです。翌1833年函館山に安置されました。
ところが、明治に入り函館山は津軽海峡を守備するために、1899年(明治32年)函館山が軍の要塞となります。まさに、東洋のジブラルタルと化したのです。
そこで、山中から山裾へ移されていた観音像は、1914年(大正3年)湯川村へとさらに移されてきます。当時湯川は、函館市ではなく村だったのです。33の観音像は、今の競馬場から香雪園にかけて置かれ村民の信仰心や湯川温泉の集客へと利用されました。
私が、小学校の3年生くらいの時の記憶(1961年頃)ですので定かではないが、湯川の奥の丘の上に観音像があったことを覚えています。きっと、この33の観音像の一つだったのでしょう。それが、宅地化、道路の拡張や都市計画により1975年8(昭和50年)ここ湯川寺に集めました。
ところが、2004年(平成16年)に再び道路拡張や区画整理事業で、ふたたび移動します。2007年(平成19年)現在の住職さんが西国三十三箇所を巡礼し、霊場の土を採取して観音像の下に埋め、西国移土三十三観音となりました。
三十三までありますね。
ところで、西国三十三のお寺はどこにあるかと、いうと。
関西中心の広いエリアです。住職さんは、歩いてすべて廻ったのですね。偉いことです。だから、お寺の入り口にあったのです。この碑が。
詳しいことは、案内板に書かれていますのでお読みいただければうれしいです。
なお、戦後は、再び33の観音像が造られ安置しており、函館山に登山すると拝むことが出来ます。
では、また明日♪♪♪
滝澤山湯川寺は浄土宗のお寺です。そこにあるのが33の観音様の像。滝沢(たきのさわ)は
地名です。市街地から遠く離れているため、私が小学校の時はよくヒグマが出たため集団下校
したり、先生方が引率して登下校した時もありました。
実は、この三十三の観音像は、起源が古く1832年淡路島出身の箱館で豪商となった高田屋嘉兵衛の弟の金兵衛の船で運ばれてきて、函館山に置かれたものです。観音像は札所の土と四国の岩で造ったそうです。翌1833年函館山に安置されました。
ところが、明治に入り函館山は津軽海峡を守備するために、1899年(明治32年)函館山が軍の要塞となります。まさに、東洋のジブラルタルと化したのです。
そこで、山中から山裾へ移されていた観音像は、1914年(大正3年)湯川村へとさらに移されてきます。当時湯川は、函館市ではなく村だったのです。33の観音像は、今の競馬場から香雪園にかけて置かれ村民の信仰心や湯川温泉の集客へと利用されました。
私が、小学校の3年生くらいの時の記憶(1961年頃)ですので定かではないが、湯川の奥の丘の上に観音像があったことを覚えています。きっと、この33の観音像の一つだったのでしょう。それが、宅地化、道路の拡張や都市計画により1975年8(昭和50年)ここ湯川寺に集めました。
ところが、2004年(平成16年)に再び道路拡張や区画整理事業で、ふたたび移動します。2007年(平成19年)現在の住職さんが西国三十三箇所を巡礼し、霊場の土を採取して観音像の下に埋め、西国移土三十三観音となりました。
三十三までありますね。
ところで、西国三十三のお寺はどこにあるかと、いうと。
関西中心の広いエリアです。住職さんは、歩いてすべて廻ったのですね。偉いことです。だから、お寺の入り口にあったのです。この碑が。
詳しいことは、案内板に書かれていますのでお読みいただければうれしいです。
なお、戦後は、再び33の観音像が造られ安置しており、函館山に登山すると拝むことが出来ます。
では、また明日♪♪♪









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