昨日の実行寺のとなりにある称名寺を訪ねます。
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称という漢字が違いますけど、この称を使用します。案内板が称を使っているからです。
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1644年の始まり、ということは建ててから370年過ぎたということです。函館の歴史としては
かなり古い方ですね。開港時(1855年以後)はイギリスとフランスの領事館として利用されて
いますね。
大火により焼失し、1929年(昭和4年)函館では2番目の鉄筋コンクリート寺院となっています。
正面に回って見ましょう。これですよ。
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高松凌雲は、1869年の箱館・五稜郭の戦いの時に両軍の傷病兵を治療した医師。
そして、市民病院である函館病院創立者でもあります。
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稜雲(1837年~1916年)は福岡、小郡(こごおり)の出身。22歳で江戸へ、医師を目指す。
オランダ医学を学び、フランスの留学する。そこで赤十字精神を学び、戊辰戦争では幕府側
の一員として榎本武揚に合流して箱館へやって来ています。
まさに、日本人初の赤十字活動をした人物です。えらい!
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江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛の顕彰碑もあります。
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これは観音堂。
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そういえば、昨日7日函館山山麓の青柳町にある青函連絡船殉職者の慰霊碑前で法要が
行われた、との記事を朝の新聞で読みました。戦時中の空襲などで乗客とともに亡くなった
乗組員793名を慰霊する法要です。しかし、遺族が高齢化しているために、今年で最後の
法要となったそうです。
函館では、終戦1か月前の7月14日アメリカ軍の攻撃で、津軽丸など10隻が沈没・座礁し
360名が死亡しているなど、北海道と本州を結ぶ津軽海峡の重要港であった函館はたび
たび空襲にあっているのです。
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歴史上の名高い人たちの供養碑やお墓がありますね。
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まずは、土方歳三の供養碑。
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函館の名の由来となった、箱型の館を築いた河野政通(こうのまさみち)の供養碑。
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高田屋嘉兵衛一族のお墓。
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というわけで、ここ称名寺は箱館の幕末の歴史が学べるところでもあります。
裏手のお墓には、久慈次郎のお墓もあります。それこそ、戦前大リーグ相手に立ち向かった
日本代表の名捕手、久慈。彼は早稲田大学から社会人野球の名門函館オーシャンへ。あの
伝説の名投手沢村栄治の女房役だったのです。
残念ながら試合中にボールが頭に当たり亡くなっています。函館オーシャン・スタジアム前に
彼の碑がありますね。

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