前回は、日本一訪れたい坂の八幡坂を紹介しました。

石畳の坂道がロード・ヒーティングされているので、中央部分だけ凍結していないですね。
函館山からの坂道で、交通量の多い坂はこのように舗装路の下に電熱線が入っていて
雪を融かしているのです。電気代がかかりそう・・・。
函館市は、北海道電力に支払うのを止めて、新電力の会社に切り替える、という記事を
以前読みましたが、年間のロード・ヒーティング代は馬鹿にならないはず。

海の向こうに、元青函連絡船の「摩周丸」が係留されていて、五稜郭タワーも見えます。
タワーは、飛行機が上空を飛ぶ関係で、これ以上高く造ることが出来ずこの高さ(98m)が
限度と聞きました。2006年(平成18年)4月完成の2代目です。初代は1964年(昭和39年)
12月、五稜郭築城100周年を記念して造られましたが、高さは地上60m、展望フロアの
高さ45mで、そこからは5つの角の内3つしか見えず、観光客からは不満の声があったそう
です。そこで、2代目の展望フロアは90mに設置、さすがに五つの角がはっきりと見える
ようになりました。
その奥には、亀田富士の三森山(842m)が見える。亀田は、函館市東部を指す地名で、
だからか、渡島半島の東側を「亀田半島」と云う。逆に渡島半島の西側は「松前半島」。
10年ほど前、三森山に登山した時があったけど、その時湯気の立つヒグマの糞を発見!
笛を思いっきり吹きながら走るように下山したことを思い出します。

左の建物は、日本で唯一のロシア国立の極東大学。正式名は「ロシア極東連邦総合
大学函館校」。ロシア人教授陣によりロシア語、ロシアの文化・歴史・経済・政治などを
学習する、日本で唯一のロシアの大学の学校です。
ロシア通の国際人育成を目指して1994年開校ですので、今年で20周年を迎えますね。

この坂の上には、道立の函館西高校があり、その横を歩くと。

上のフェンスはグランドかな?奥に校舎が見えますね。さすがに坂道なので石垣が
築かれている。よくよく見ると、その石垣に何か碑が建っている。何かな?と近づいて
見ると、ビックリしました。

なんと、「明治三十二年八月十日 陸軍省」の文字が。
明治32年とは西暦1899年。19世紀の末で、日清戦争(1894~1895)に勝利し、日露戦争
(1904~1905)の前。日本は軍事大国の道を進んでいて、翌1900年には治安警察法を制定
している。
実は、日露戦争に備えて函館を、「東洋のジブラルタル」にするために1896年から
函館山に軍事要塞の建設を始めている。ジブラルタル海峡はご存知でしょうか?ヨーロッパと
アフリカのわずか17kmという狭い海峡をいいます。そのヨーロッパ側に位置している、スペイン
側の港町が、ジブラルタル市で、人口2.9万人。実はスペイン領ではない。イギリス領なのだ。
1701年スペイン継承戦争(フランス・スペインVSイギリス・オランダ・オーストリア)に勝利した
イギリスは、1713年ユトレヒト条約でジブラルタルを領有し、スペインから奪ったのだ。
それ以後、スペイン側の返還要請を拒否し今だにイギリスの海外領土なのだ。
ロシア海軍も通過する国際海峡である津軽海峡に1898年(明治31年)から軍事要塞基地の
建設を始める。それは対ロシア。清国に勝利した日本に対し、三国干渉で日本に圧力をかけた
ロシアとの戦争を想定しての要塞化だった。
つまり、当時のことを偲ぶことが出来る石碑だったのです。戦後の時代に生まれて良かったです。
当時は、函館山をスケッチしたり、写真撮影をすることは逮捕されること。じっくりと見ることも出来
なかった時代なのだ。今のように函館山登山など、まったく無理だったのです。
そんなことを考えた石碑でした。平和な時代で本当に良かった!
では、また明日
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