昨日はすっかり落ち込んでしまいました。1時間以上もかけて作った作品が
あっという間に、すべて消去してしまったのですから・・・。
今までも何度か、そんなことがありましたが、昨日のケースは最悪でした。
どうしてなんでしょうね?
さて、気を取り直してもう一度チャレンジしてみます。
階段の数は数えなかったが、滑らないように手すりを掴みながら登りました。この時期、
凍った階段での滑落事故は多いですからね。気を付けなければ!
神社の本殿が見えてきました。額を見ると。
大正6年8月12日、とある。
この年は西暦で1917年。第一次世界大戦の間最中である。1914年6月のサラエボ
事件をきっかけにヨーロッパで始まった戦争は、日本も中国のドイツ領に進駐し参戦
することになりました。
そして、この1917年はロシアで革命が発生し、11月レーニン率いて、史上初の社会主義
政権が誕生します。ソヴィエト連邦です。
国内では、景気が悪化し労働者のストライキが続発、翌1918年には富山県で米騒動が、
それが1道、3府、38県にまで波及します。食べることすらままならない時代だったのですね。
欄間を見ると、両側には獅子(?)の彫り物がある。
これは左側。同じものが右側のもあります。
真ん中には龍の彫り物が。
赤い舌を出して、鼻息が荒そう・・・。
夜は、青い眼が光ったりして・・・、夜は訪れることは止めにしよう。
建物の周囲を歩いて見た。
汐泊川がここで90度曲がっている。小さな三角州 見える。
夏、木々が茂っていると視界が遮られて見えないが、葉っぱが落ちた冬は道路も見える。
上が上流。一方下流方向を見よう。
左から右へと流れている。だから、ここは右岸だ。右岸とは下流方向を見て右側を指す。
だから、南へ流れる川の右岸は、地図でいえば左側、西の方向だ。この汐泊川も蛇行し
ながら、最後は津軽海峡へと、つまり南へ流れるので右岸は西側、地図だと左側のこと。
よく、日本史で生徒に聞かれたことがあった。京都を流れる鴨川の東側に左京区があって、
西側に右京区があるのはなぜ?と。
それは、鞍馬山のある北側から南へと流れる鴨川 に立ち、つまり流れる南側に立つという
こと、そこでは左手側が左岸。右手側が右岸。だから、東だけど左京区、西だけど右京区、
なのですね。
境内には、いろいろな石碑があった。
明治天皇と彫られている。
階段を降りて周囲を歩いたら、こんな大きな石碑があった。
明治時代に苦労してこの地を開墾した人のことが書かれている。
開拓した当時は 大変だったでしょうね。機械がなく、すべて人間の手で木を倒し、根を
掘り起し、鍬で耕し、ある時はヒグマと戦いながら。
ありがとうございます!先人たちのおかげです。感謝!
というわけで、何とかオッカナビックリ書き終えました。フッー・・・。
それでは、また次回
あっという間に、すべて消去してしまったのですから・・・。
今までも何度か、そんなことがありましたが、昨日のケースは最悪でした。
どうしてなんでしょうね?
さて、気を取り直してもう一度チャレンジしてみます。
階段の数は数えなかったが、滑らないように手すりを掴みながら登りました。この時期、
凍った階段での滑落事故は多いですからね。気を付けなければ!
神社の本殿が見えてきました。額を見ると。
大正6年8月12日、とある。
この年は西暦で1917年。第一次世界大戦の間最中である。1914年6月のサラエボ
事件をきっかけにヨーロッパで始まった戦争は、日本も中国のドイツ領に進駐し参戦
することになりました。
そして、この1917年はロシアで革命が発生し、11月レーニン率いて、史上初の社会主義
政権が誕生します。ソヴィエト連邦です。
国内では、景気が悪化し労働者のストライキが続発、翌1918年には富山県で米騒動が、
それが1道、3府、38県にまで波及します。食べることすらままならない時代だったのですね。
欄間を見ると、両側には獅子(?)の彫り物がある。
これは左側。同じものが右側のもあります。
真ん中には龍の彫り物が。
赤い舌を出して、鼻息が荒そう・・・。
夜は、青い眼が光ったりして・・・、夜は訪れることは止めにしよう。
建物の周囲を歩いて見た。
汐泊川がここで90度曲がっている。小さな三角州 見える。
夏、木々が茂っていると視界が遮られて見えないが、葉っぱが落ちた冬は道路も見える。
上が上流。一方下流方向を見よう。
左から右へと流れている。だから、ここは右岸だ。右岸とは下流方向を見て右側を指す。
だから、南へ流れる川の右岸は、地図でいえば左側、西の方向だ。この汐泊川も蛇行し
ながら、最後は津軽海峡へと、つまり南へ流れるので右岸は西側、地図だと左側のこと。
よく、日本史で生徒に聞かれたことがあった。京都を流れる鴨川の東側に左京区があって、
西側に右京区があるのはなぜ?と。
それは、鞍馬山のある北側から南へと流れる鴨川 に立ち、つまり流れる南側に立つという
こと、そこでは左手側が左岸。右手側が右岸。だから、東だけど左京区、西だけど右京区、
なのですね。
境内には、いろいろな石碑があった。
明治天皇と彫られている。
階段を降りて周囲を歩いたら、こんな大きな石碑があった。
明治時代に苦労してこの地を開墾した人のことが書かれている。
開拓した当時は 大変だったでしょうね。機械がなく、すべて人間の手で木を倒し、根を
掘り起し、鍬で耕し、ある時はヒグマと戦いながら。
ありがとうございます!先人たちのおかげです。感謝!
というわけで、何とかオッカナビックリ書き終えました。フッー・・・。
それでは、また次回
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