栃の木というと、栃木県の木になっていますね。栗のような実をつける落葉樹の高木で、
近縁種の西洋栃の木はフランス語で「マロニエ」と云われています。
その栃の木の珍しい記念樹がある、というので行って見ました。
亀尾地区のはずれ、盆地の隅っこ、背後は山という地形で、道路から細い枝道を入ること
数百メートル、そこにあるのが、栃の木大明神。
まずは、周辺の風景。

奥の山は、三森山(843m)。いつも登場する亀田富士です。確かに富士山の形をして
いますね。盆地では、お米を生産している。最近の北海道のお米は美味しいですよ!
それは、水が美味しいから。
盆地を流れる汐泊川(しおどまりがわ)。護岸工事もなく自然に蛇行しながらゆったりと
流れている。

護岸がコンクリートブロックで固められておらず、自然の流れのままなのが良いですね。
そこにあったのが、この大樹。

別な角度からも見てみよう。

地面からは二本の木がしっかりと根をおろしている。

相当古い木なので、支え棒が必要。何か所で支えている。

この木に関して説明している案内板がありました。

昭和47年(1972年)で樹齢800年余りというから、現在の2015年の843年前、西暦1170年頃
です。時代は、平安時代の末期で、後白河天皇ころ。平清盛が太政大臣となり思いのままに
権力を駆使していた時代です。
地上2.5mで枝がお互いに連結するという連理木の名が付いている。
北海道開拓使長官の黒田清隆が巡視された際に、この木を見て感嘆されたとか。
厄除け霊木として「とちのきさん参り」が信仰された、とか。

すぐそばには、神社がありました。

栃木大明神と額に書かれている。
手元を見たら、確かに栃の木の実があった。

自由にお持ちください、と。
白木神社ともいいますね。
黒田清隆という人物を調べてみた。幕末、薩摩藩の下級武士で箱館戦争(1869年)
では新政府軍の参謀として活躍が認められ、北海道開拓を指揮し開拓使の長官となる
(1870~1875)。
1888年から1889年まで、伊藤博文に次ぎ2代目の総理大臣までしている。
1889年(明治22年)2月には、大日本帝国憲法(明治憲法)を発布しているのだが・・・。
しかし、彼の素行は悪い。開拓使官有物払下げ事件を起こし、さらに酒乱。
なんと3歳から酒を飲んでいたという。(さすが、九州、薩摩の男!?)
1878年(明治11年)3月28日には、酒を飲んでの帰り、妻の出迎えが遅い、と逆上して殺害
してしまう事件を起こす。
この事件は、うやむやとなりもみ消される。
スキャンダルと疑獄事件で、同郷の人々は彼から離れ、最後は1900年(明治33年)脳出血で
死去している。
酒の飲み過ぎか?
皮肉なことに、彼の葬儀委員長は箱館戦争の敵側トップの榎本武揚。彼の命を助けたことから
榎本は明治政府の役人となり、最後は黒田の葬儀を取り仕切っている。
それにしても調べたらひどい男。北海道の歴史では、ケプロンなどお雇い外国人を利用して
北海道開拓の歴史に貢献した有力な政治家、と思っていただけに。
人間としては、酒におぼれただらしない人だったんですね。
最後に、汐泊川の清流を見て心を癒して終わることにします。

では、また次回
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