昨日の川濯(かわすみ)神社の社殿がある裏側は、柏の木が生い茂るちょっとした森になっ
ている。そこについている踏み分け道を歩くと、旧戸井線の今は市道となっている道路に出る。
旧線路跡地の二車線アスファルト道路を進むこと300メートルくらいか、海側に松の木の茂る
場所があった。
そこへ入り込むと、小さな慰霊碑があった。

「151号機殉職者慰霊碑」と書かれている。裏に回ると、何か説明文が書いてある。

昭和35年2月24日午前9時50分、海上保安庁所属のシコルスキーS55型ヘリコプター151号機
が訓練中に突然墜落炎上4名が殉職したこと。3名が海上保安庁函館航空基地、1名は全日空
の職員。
函館空港が開港するのは1961年(昭和36年)のこと。やっと1200mの滑走路が完成している。
函館空港に関して有名な事件は二つある。一つは、1978年(昭和51年)当時ソヴィエト連邦の
戦闘機ミグ25でベレンコ中尉が亡命して来たことだろう。
二つ目は、1995年(平成7年)の全日空857便のハイジャック事件だろう。この年の3月オウム
真理教の東京地下鉄サリン事件があり、それを模倣して水の入った袋をサリンだ、といって空港
内でハイジャックした事件だ。乗客の中に歌手の加藤登紀子さんがいたことで一躍有名になった。
脱線したが、昭和35年だと函館空港空港はまだ建設中で、海上保安庁のヘリコプター基地は
まだない。
事故の原因は、2月冬の季節、天候も悪く、突然海からの突風が吹くことだってありうる。
今から半世紀上も前のこと、ヘリコプターの性能も今よりは悪く、墜落事故が起きた、ということか?
そして、ここはというと。

当時、宇賀小学校の敷地があった場所。錆びついたグランドのフェンスが支柱だけ6本残って
いる。1本は今にも倒れそうで他の柱に寄り添うように倒れ掛かってる。
その横には、錆びて使用できない鉄棒が、誰も利用されずに残されていた。

ここで、逆上がりなどやろうものなら途中でポキンと折れそうだ。
グランドは、ススキなど雑草が生い茂っていて、野球などとても出来やしない。

遠くに見える松林へ行って見た。雑草を踏み分けて行ったら、野ばらトゲのある木に引っ掛か
ってズボンに傷がついてしまった。
海側に校門らしきものがあった。

子供たちは海側の国道から歩いて坂を登り、ここへ来たのだろう。だから、校門の両側には
坂道があった。
東の方向。

津軽海峡を挟んで、遠くに下北半島が見えた。国道は30mくらい下。
西側を見る。

函館山が見えた。坂はどうなっているかというと。

急な階段が下まで降りていた。
校門を入ると、すぐに碑があった。

宇賀小学校跡、と書かれている。函館市長 矢野 康とある。

沿革を要約すると、明治時代の初め子供たちのために学校が必要と、村民が258円を
出し合って学校を造った。明治13年9月13日志苔学校を、明治17年には根崎学校を。
明治23年には両校が統合し宇賀簡易科小学校へとなる。
しかし、昭和35年8月にはすぐ近くに1400m滑走路(現在の函館空港の前身)が完成した
ため騒音問題などで移転せざるを得なく、昭和47年(1972年)銭亀小学校と合併し、離れ
た場所に東小学校が完成した。そのため、1880年開校の92年という長い歴史を誇る宇賀
小学校を閉校する。
という事が書かれていた。
裏には、当時の校歌があった。

今から135年も前のこと、当時ここは小さな漁村であったはず。漁師さんたちは、自分らの
子供のためには読み書き・そろばんなど最低限の教育が必要と考え学校の必要性を訴え
て建設されたのだろう。
村民自ら学校のための資金を出し合い、学校を建てるなんて、なんて素晴らしい人たちだ
ったんだろう、と思わず驚嘆してしまいました。驚きです!偉い!
というわけで、旧銭亀沢村さらには元旧根崎村の学校跡地を紹介しました。
それでは、また次回
ている。そこについている踏み分け道を歩くと、旧戸井線の今は市道となっている道路に出る。
旧線路跡地の二車線アスファルト道路を進むこと300メートルくらいか、海側に松の木の茂る
場所があった。
そこへ入り込むと、小さな慰霊碑があった。

「151号機殉職者慰霊碑」と書かれている。裏に回ると、何か説明文が書いてある。

昭和35年2月24日午前9時50分、海上保安庁所属のシコルスキーS55型ヘリコプター151号機
が訓練中に突然墜落炎上4名が殉職したこと。3名が海上保安庁函館航空基地、1名は全日空
の職員。
函館空港が開港するのは1961年(昭和36年)のこと。やっと1200mの滑走路が完成している。
函館空港に関して有名な事件は二つある。一つは、1978年(昭和51年)当時ソヴィエト連邦の
戦闘機ミグ25でベレンコ中尉が亡命して来たことだろう。
二つ目は、1995年(平成7年)の全日空857便のハイジャック事件だろう。この年の3月オウム
真理教の東京地下鉄サリン事件があり、それを模倣して水の入った袋をサリンだ、といって空港
内でハイジャックした事件だ。乗客の中に歌手の加藤登紀子さんがいたことで一躍有名になった。
脱線したが、昭和35年だと函館空港空港はまだ建設中で、海上保安庁のヘリコプター基地は
まだない。
事故の原因は、2月冬の季節、天候も悪く、突然海からの突風が吹くことだってありうる。
今から半世紀上も前のこと、ヘリコプターの性能も今よりは悪く、墜落事故が起きた、ということか?
そして、ここはというと。

当時、宇賀小学校の敷地があった場所。錆びついたグランドのフェンスが支柱だけ6本残って
いる。1本は今にも倒れそうで他の柱に寄り添うように倒れ掛かってる。
その横には、錆びて使用できない鉄棒が、誰も利用されずに残されていた。

ここで、逆上がりなどやろうものなら途中でポキンと折れそうだ。
グランドは、ススキなど雑草が生い茂っていて、野球などとても出来やしない。

遠くに見える松林へ行って見た。雑草を踏み分けて行ったら、野ばらトゲのある木に引っ掛か
ってズボンに傷がついてしまった。
海側に校門らしきものがあった。

子供たちは海側の国道から歩いて坂を登り、ここへ来たのだろう。だから、校門の両側には
坂道があった。
東の方向。

津軽海峡を挟んで、遠くに下北半島が見えた。国道は30mくらい下。
西側を見る。

函館山が見えた。坂はどうなっているかというと。

急な階段が下まで降りていた。
校門を入ると、すぐに碑があった。

宇賀小学校跡、と書かれている。函館市長 矢野 康とある。

沿革を要約すると、明治時代の初め子供たちのために学校が必要と、村民が258円を
出し合って学校を造った。明治13年9月13日志苔学校を、明治17年には根崎学校を。
明治23年には両校が統合し宇賀簡易科小学校へとなる。
しかし、昭和35年8月にはすぐ近くに1400m滑走路(現在の函館空港の前身)が完成した
ため騒音問題などで移転せざるを得なく、昭和47年(1972年)銭亀小学校と合併し、離れ
た場所に東小学校が完成した。そのため、1880年開校の92年という長い歴史を誇る宇賀
小学校を閉校する。
という事が書かれていた。
裏には、当時の校歌があった。

今から135年も前のこと、当時ここは小さな漁村であったはず。漁師さんたちは、自分らの
子供のためには読み書き・そろばんなど最低限の教育が必要と考え学校の必要性を訴え
て建設されたのだろう。
村民自ら学校のための資金を出し合い、学校を建てるなんて、なんて素晴らしい人たちだ
ったんだろう、と思わず驚嘆してしまいました。驚きです!偉い!
というわけで、旧銭亀沢村さらには元旧根崎村の学校跡地を紹介しました。
それでは、また次回
コメント
コメント一覧 (11)
読ませていただきました
その慰霊婢に行ってみたいです
神社の横の小道を通り左右どちらに300メートルくらいにあるのでしょうか?
なかなかさがせません
よろしくお願いいたします
宇賀小学校の記念碑も元グランド奥にありますので探して見てください。
ありがとうございます
そこに小学校かあったのもびっくりでした
気になるので行ってみます
パークゴルフ場向かいだと、神社からはけっこう歩くみたいですね
天気のいい日にウォーキングがてら行ってきますね
来月になりますがさがしてきます
報告いたしますね
kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/034/0016/03403020016004a.html
衆議院会議録情報 第034回国会 運輸委員会 第4号
blog見ていただきありがとうございます❗
このような事故があったこと初めて知りました。
たいへん勉強になりました、ありがとうございます。