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昨日お伝えした、地図記号の標識である水準点または標準点をもう一度訪ねました。
雪が降って積もった日です。
DSCF1881



















周囲の土台が雪で隠れていますね。鳥居のマークや副標といた字が描かれていましたが。
さて、その隣の石碑です。
DSCF1878


































「従是西尻沢辺村漁業場」とあります。これより西が尻沢辺村と。
これより東が下湯川村。それでは、海に出て西と東を見ましょう。
まずは、東の下湯川村方面。現在の湯川温泉街と旧銭亀沢村や旧戸井村にあたる地域。
DSCF1879



















西方向を見ると。
DSCF1880



















函館山の麓まで続いている。そして、海岸は南に面していて、北の函館湾ではない。
ペリーが来航して、開港したのは湾側で、こちらの大森浜地区は逆サイドだ。
確かに、先日箱館歴史散歩の会の主宰者である中尾さんが指摘した通りに、ここから
西側は尻沢辺村にあたる。
それでは、その尻沢辺村が指摘通り現在の住吉町なのか?それを証明する石碑があ
るのか?
そこで、それを発見するために山麓南側に行って歩いて見ました。
立待岬(写真の左端)方面へ行って、町の長老に聞いたり、古いお寺の住職さんに尋
ねたりしましたが、誰も分かりません。
なにせ、この石碑は今から150年も前のこと。その時代のことを知っている人はいませ
んよね。

それが、青柳小学校を歩いた時、ホントに偶然だったがそれを証明する碑があったの
です。
青柳小学校については、後程詳しく紹介しましが、敷地内の一画にあった百周年の碑。
DSCF1859



















「創立百周年記念」と書かれた碑、その裏側に回ると何やらたくさん書いてある。
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昔の名前が「住吉小学校」それから「汐見小学校」へ。現在は青柳小学校へと変遷している。
その下に学校の歴史が書かれていた。
DSCF1861



















明治11年2月9日、住吉小学校が尻沢辺町(現在の住吉町)に開校・・・。と。
これで、理解出来ました。
中尾さんからは湾側の箱館とは違う村落だった、との説明でしたが、確かに南側の
住吉地区は、奉行所が設置された箱館とは行政地区が違っていたのですね。
幕末当時は、ここ函館山南麓は漁村である尻沢辺村だったのです。それも、海産物が
たくさん獲れた豊かな漁村だったとは?
知りませんでした。中尾さんの指摘したお陰で、いろいろと関心を持って調べることが
出来、うれしい限りです。ありがとうございました。

それにしても古い校舎の青柳小学校。
DSCF1851



















函館大火(昭和9年、1934年)後に建てられた校舎がいまだに残っています。この校舎は
体育館ですが、昨日お伝えした高盛小学校の体育館と似てませんか?同じ造りですよ。
それについても、また後日お伝えします。

では、また次回     暖かくなって、我が家の庭にはいろいろな珍しい鳥がやって
来ています。春が待ち遠しいですね。

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