昨日までお伝えした石倉八幡神社から海を見た
風景です。津軽海峡を挟んで、対岸に下北半島が見えます。よーく見ると画面の左側に、下北半島の
東端にある尻屋崎がうっすらとですが見えますね。

ズームして見たら、下北で稼働しているたくさんの風力発電所が見えました。山の稜線上に、
一直線に風車が並んでいるのが見えますね。

さらに、こちらは津軽半島。青森県の二つの半島が見える。1年に何回かあるが、よく
晴れた日には津軽富士の名を持つ名峰岩木山(1625m)が見える時もある。
滅多にないけど、たまに目にすることがあるんですよ。津軽半島の双コブの山々の間
に、飛び抜けて大きな、きれいな三角形の山が。それが、岩木山ですよ。
神社の見学を終えて石崎の集落を歩いたら、こんな家がありました。

相当古い建物のように見える。それよりも古びた赤茶色の壁のレンガが渋い!
かなりの年代物だけど、何時建てられたのだろうか?
国道278号線に出たら、石崎小学校の案内板があった。

進行方向へ向かって歩くことに。今までお伝えした石崎八幡神社のサイドにある急な坂
を登り、旧戸井線の道を横切り、学校の前に出た。

グランドの向こうの遠くに立派な体育館がある。まずは、体育館を見ようと、道路沿いを歩く。

途中、校門があったけど、学校名を知らせる表札がない。もしかしたら、数年前に閉校した
のかな?
校門も閉じられているし・・・。

体育館は非常に立派。最近建築されたものではないかな?
校舎側に向かって歩いた。
こちらの校門には、学校名があった。

今は、函館市立とあるが、1966年以前までは銭亀沢村立。さらに1902年以前は石崎村立。
函館市の教育資料編を調べて見たら、何と明治13年、1880年に開校している。
公立で開校しているから、石崎村立の石崎学校の名で。小学校の名ではない。ただの学校
の名が付いているだけ。
この年、公立の学校としては、湯川学校、宇賀学校が開校している。
湯川学校とは、下湯川村立だ。実は、私の母校である湯川小学校。学校が創立されて22年
後の1902年(明治35年)4月1日、上湯川村・下湯川村・亀尾村が合併し、湯川村へとなって
いる。
さらに、宇賀学校は、根崎村村立だ。ここも、1902年銭亀沢村・根崎村・志苔村・石崎村の
4村が合併し、銭亀沢村となっている。
宇賀小学校の跡地に関しては、先日お伝えした通りです。
それを証明するかのように、開校百周年の記念碑があった。

その時、突然チャイムが鳴りました。授業が終了したんですね。ということは、学校はまだ
ある、ということ。駐車場を見たら、10台くらいあったので先生かたのですね。
閉校しているわけではなかった。早とちりでした。ごめんなさい!石崎小学校の子供たち、
先生たち。スミマセン!でした。
「蛍雪百年」の裏に回ると。

昭和55年(1980年)で開校百年だから、創立は1880年(明治13年)。国道278号線を走って
閉校となった学校がいくつもあったが、どの学校も開校は明治時代の初期。地域の人々は
学ぶ大切さを知っていたのでしょう。学校の必要性を!

資料を見えていたら、函館での学校の事始めは何と1848(力永元年)。ペリーが来航する
6年も前のことでした。
佐々木作右衛門が、市内の鍛治町(昔は、それこそ名の通り鍛冶屋さんが多かったのでし
ょうね。例えば、馬の蹄鉄や農機具など)に私塾「藤村堂」を開設しています。
それから32年後、ここ漁村であった石崎村にも村民の祈願であった学校が出来たのです。
学ぶことは大切!それこそ学びました。
ありがとうございました!石崎地区の人々の皆さん!
それでは、また次回。
コメント
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全国的にこの積み方は、明治20年くらいで廃れ、イギリス積が主流となって行きます。
ということはかなり古く、残された貴重なものの部類となりましょうか。
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