先日から伝えしている湯の浜で発見した「漁業場の石碑」がとても興味深かったので、
石碑の「尻沢辺村」、現在の住吉町を訪ねて見ました。
文献によれば、尻沢辺村は1800年(寛政12年)から相当額の漁業税を納めていたそ
うで、1825年(文政8年)とその翌年に住吉神社に御影石の鳥居が寄進されていて、今
はその残骸があり、当時の繁栄ぶりが偲ばれる、とか?
そこで、市電終点「谷地頭」から歩いて5分ほどの住三吉神社へと足を運びました。

まず、目に付いたのがこの標識。近くの函館八幡宮の境内の池では、エゾヒキガエルが
繁殖していて道路に飛び出してくるのか?
カエルの通行に注意!の案内。思わず笑ってしまう。

神社の入り口に到着。函館山へと向かう参道は、ロードヒーティングが入っているのか?
雪がまったくない。
雪だるまさんがカワイイ!

右手側には、住三吉神社の碑がある。

昭和15年5月1日、函館市長 齋藤とある。戦前、1940年のこと。奥の建物は住慶(すみよし)
クリニックとその付属の老人ホーム。
左の碑は、というと。

「皇紀2600年記念」とある。皇紀2600年とは、神武天皇が即位してから2600年経過した
ことを祝ったものです。当時日本政府は、日本が長い歴史を持つ国であることを内外に示し、
また日中戦争の長期化とそれに伴う物資統制による銃後の国民生活の窮乏や疲弊感を、
様々な行事への参加で晴らそう、としていたのです。この碑もその一つ。
紀元節(現在の建国記念日2月11日)には、全国11万もの神社において大祭が行われ、
展覧会、体育大会など記念行事が外地を含めて全国各地で催された、そうです。
その翌年には、ついに太平洋戦争となりましたね。「マッサン」を見ていると、理不尽で酷い
時代だったこと分かります。戦前の戦意発揚のために使われたのでしょうね。
さて、鳥居の残骸はどこにあるの?とさらに上へ。
この参道、春になるとソメイヨシノの桜がきれいに咲いて美しいとのこと、今度来る時は5月
の連休のあたりに来たいです。

ここからロードヒーティングがなく、雪が溶けずに積もっている。
実は住吉神社は、1934年(昭和9年)3月21日の死者2166名を出した函館大火で焼失し、
三吉(さんきち)神社跡地に仮の社殿を建立し三吉神社を合併して一緒に祀ることにしま
した。
大火の翌年の1935年(昭和10年)5月11日、合併後の神社の名を住三吉神社としていま
す。読み仮名は「すみよし じんじゃ」でも、漢字は住三吉神社です。

何と、安永年間に再建されている記録があります。今日、中央図書館
の分厚い「北海道神社辞典」(確か?)に書いてありました。
安永年間とは1772年から1781年のこと。江戸時代後半で、10代将軍徳川家治の時のことで
す。 だからそれ以前に存在していた、ということ。
1803年(享和3年)、当時の箱館奉行が外国からの脅威が退散するように祈願し、石灯籠を奉納
しています。ただ、それは1934年の大火で破損したそうです。

「海底開発」?の碑があった。何?海底開発とは?

今度調べて見ます。
これは、舞台だ。お祭りの時でも使用されるのでしょうね。

すごい形相の狛犬発見!

これぞ、モンスターだ。しかも子連れの。まるでタコのような、または長い爪か?足が石に
絡まっているし、顔は恐ろしい人間のようにも感じられる。夜見たら恐そう・・・。
もう一対を見ると。

これまた恐ろしい! 左手が添えられている物体は何なのだ?
この対の狛犬は、他の神社の狛犬とは全然違うぞ。
ということで、続きはまた明日!
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