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国道278号線沿いを函館市街地から東方向へと走る。元の根崎村にまず「川濯(かわすそ)
神社」を見学(2月12日)。その翌日13日は「ヘリコプター墜落慰霊碑と宇賀小学校跡地」。
14日は、「志海苔八幡神社」。15日は、「「アイヌの蜂起、コシャマインの戦いで陥落した志苔
館城跡」
と続きました。
今日は、さらに東へ。
汐泊川の手前には、1月31日に紹介した「石倉稲荷神社」がありますが、その1kmほど西側に
あるのが、今日お伝えする「銭亀八幡神社」です。
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まずは、「銭亀八幡神社」の石碑。国道沿いにあるので、見過ごすことはない。
駐車場は奥にあるので、狭い道だが車で入っても大丈夫。
30m先にあるのが、大鳥居。
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「八幡神社」の額が掛かる。
さらに、もう一つ鳥居がある。
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歴史によれば、大鳥居は天保5年というから1834年のこと。天保の改革を行う老中、水野
忠邦
の時代で、前年の1833年には餓死者20万人から30万人を出した天保の大飢饉があ
りました。
この鳥居は1802年に出来た、といいます。
が、いずれもコンクリート製の最近完成したような鳥居ですね。きっと、以前のは老朽化が
激しく取り壊して、最新の鳥居にしたのでしょう。(多分、想像ですが)

社殿に近づきました。
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1644年(正保元年)、当時の銭亀村の村民が協議の上、建立したといいます。
江戸時代、三代将軍の徳川家光の時代です。島原の乱(1637年~1938年)を平定し、鎖国が
完成し、日本は世界の歴史と離れていくころです。
函館より東の海岸を下海岸と呼びますが(京よりも遠ざかるので下、京に近づくと上ですね)、
銭亀地区のさらに東の石崎地区(昔は石崎村)は、北海道における和人の歴史の発祥の地
と云ってもいい最古の歴史があります。

それこそ、2月18日~19日まで紹介した石崎八幡神社には、1439年の出来事があった記録が
あるほどです。室町時代のことです。平家の落人が、海を渡り石崎村を漁村として開拓していっ
たのです。それほど、歴史がある地区。ここ銭亀地区も、相当古くから開けていたのでしょう。
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鰐口の代わりに鈴があります。緑色の八幡神社の額。現在の社殿は、1924年(大正13年)
7月13日に改築されています。
狛犬を見ましょう。
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かなり風化している。なにせ、海のそば。海岸から50mも離れていない。海からの強い潮風
と雨・雪による浸食によるものでしょうね。
となりに、小さな祠もありました。
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山側を見たら、季節保育園の「銭亀保育園」があった。
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季節保育園とは、夏コンブ漁の忙しい時などに開設する季節限定の保育園のこと。
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農漁村にはありますね。その代り農閑期や禁漁期などは閉鎖しているのでしょうね。

というわけで、旧銭亀地区の村社になっていた銭亀八幡神社を紹介しました。
それでは、また次回!