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広島市に隣接する安芸太田町の道の駅「来夢とごうち」で車中泊したが、一晩中止むことなく
雨が降り続いていた。中国地方の一週間は、1日中晴れた日はわずかに1日だけ。あとは、
1日のうち何時間かは雨が降っていたり、24時間雨が降ったりで、九州では毎日晴天を祈り
たい!
が、それも無駄だった。毎日のように雨が降ったのだ。誰かが雨乞いの儀式をしているのか?
それとも4月は、西日本では雨季なのか?それほど雨が続いたのです。

さて、この日は曇り空。朝起きたら雨は止んでいた。でも、つい先ほどまで降っていたのか、
道路は濡れていて山には低く雲が垂れこめていた。

7時過ぎには、中国自動車道に入った。日曜・土曜は3割引きを利用して、高速で一気に九州
へとの目論見。土曜日だが早朝のためか渋滞はない。それどころか、目に止まる風景は山また
山で、緊張することなく、とても快適なドライブだ。
早くも山口県へ。
それでも、山口ジャンクションで山陽道と合流すると車の台数は一気に増えてきた。
下関市の壇ノ浦PAで休憩。駐車場は、ほとんど満車に近い状態。たくさんの観光客が来ていた。
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今日の1枚目。壇ノ浦PAから眺めた関門大橋。対岸は福岡県北九州市の門司。
狭い関門海峡は流れが速い。多くの漁船が漁をしていたけど、今は何が獲れるのかな?

ここ壇ノ浦は、源氏、平氏の戦い最後の決戦の地。
830年前、1185年3月ここで源義経は平氏を滅ぼした、そんな歴史的な場所。義経は、潮の
流れを読んで勝利をものにした。
ウーン、義経強いぞ!
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北九州市は、門司市・八幡市・小倉市・戸畑市・若松市の5市が合併して100万都市となった
のは、50年以上前の1963年。
私が小学校5年生の時。当時、切手のコレクションをしていて、北九州市成立記念切手を手に
入れるため、雨の中郵便局で濡れながら並んで購入した記憶がある。
九州最北端の、三大都市圏以外で初の政令指定都市となったのだ。福岡市よりも早かった。
福岡市は1972年4月1日、北九州市に次いで九州2番目の政令指定都市へなる。
しかし、北九州市は炭鉱の相次ぐ閉山で人口は伸びず、現在は福岡市は150万人を越え、都市
では、横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ日本第5位となっている。
そして今、北九州市は100万人を割ってしまった。
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相変わらず天気は良くならない。一部で陽が射しているところもあるが、低く垂れこめた雲
からは雨が今にも落ちてきそう。
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門司市にも寄りたいところだけど、先を急ぐ。
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あっという間に、橋を渡る。
関門自動車道から九州自動車道へ。下りたのは、小倉南IC。国道322号線を南へ。
並行してJR九州の日田彦山線が走っている。

記念すべき九州上陸最初の1枚目の写真は、田川郡香春(かわら)町。
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素敵な木造駅舎の「採銅所駅」。文字通り、銅を採掘していた駅だ。
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ちょうど100年前の大正4年(1915年)3月、建設された、当時の私鉄小倉鉄道が開通した時
からの現存する唯一の建物だ。
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瓦屋根が良い味を醸し出している。もちろん無人駅。
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小倉駅と日田駅を結ぶ日田彦山線は、途中英彦山を通過するから名付けなれた。
見ての通り、電車ではありません。ディーゼル機関車が走っている。
駅前に駅を紹介する碑があった。
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ここは、駅を取り上げた本「木造駅舎100」で紹介されていた駅で、訪問したい!と思っていた
だけに感動です!
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「採銅所駅」で、のんびりした後に、見学した博物館があった。それは、田川市にある。
まず、田川駅へ。
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田川伊田駅」とある。駅ビルになっている。ここからその博物館を探すのに苦労した。
地図を見たり、人に聞いたり、車で走っていたら一方通行になったり、通行止だったり、
全長3.4mの小さな軽自動車だから小路を走れたけど、大きな車だったら小回りが利か
ず、難儀したことだろう。
やっと、地元の中学生に教えられて到着したのが、ここ。
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田川市石炭歴史博物館。夕張の「石炭の歴史村」と比較したかったのだ。
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ここは、炭坑節発祥の地でもある。
北海道と福岡、1960年代までは石炭がエネルギーの中心として採掘されていた。
繁栄、衰退、そして閉山、多くの人が炭鉱爆発の事故で亡くなっている。そんな共通する歴史を
知りたい!
詳しくは、明日紹介します。

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