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昨日は、田川石炭歴史博物館の前庭から見た光景を紹介しました。
特に驚いたのは、香春岳の一の岳。石灰石を採掘して、山頂が真平らになった山にはびっくり
です。
奥の二の岳、三の岳は山らしい姿でしたが、最初一の岳は山に見えなかったのです。
長い間かけて石灰石を採り尽くして今の姿に変わったのですね。
ボタ山にも驚きました。高さ60mほどにも積み重なった捨てられた石の山。

子供たちがたくさん来ていました。土曜日とあって、多分幼稚園か保育園の遠足かな?
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残念なのは、保護者、特に母親の一部がまるで高校生が喫煙しているかのように、隠れて
煙草を吸ってたこと。子供たちの目の前なのだから、半日くらい我慢できなかったのだろうか?
公園や子供たちの前では、全面禁煙ですよね!
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子供はどこでもに登りたがる。危ないけど、ケガして少しずつ危険を知っていくのだ。
「あぶない!」と母親が叫んでいたけど、このくらいは大目に見てあげないと。
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ここは産業ふれあい館。明治・大正・昭和の炭坑住宅を再現している。
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田川市石炭歴史博物館の観覧料は210円。安い!
夕張の石炭の歴史村は1000円でした。内容は違えど、210円は多くの人に見て学んでもらえる
値段に設定している。1000円だと、少ししか関心のない人には躊躇する価格ですよね。
210円だと、気軽に入館できるし子供連れでも入れますね。

山本作兵衛について説明します。
1892年(明治25年)福岡県嘉麻郡笠松村(現在の飯塚市)に生まれた山本は、父親が炭坑夫と
なったことで、彼もまた12歳で弟子入りします。その2年後14歳で入坑、本格的な炭坑生活が始
まります。
義務教育も受けなかった彼ですが、漢和辞典を書き写して読み書きを覚えます。
筑豊各地の炭坑21か所で働きながらも、得意な絵筆で炭坑の記録を残します。
それは、彼の所有していた日記や手帳に描かれていました。
1955年(昭和30年)、63歳の時、最後の職場となった炭坑が閉山となるまで、半世紀にわたり
墨画として、時には水墨画として絵を描き続けました。

今、それらの作品はユネスコの世界記憶遺産として登録されています。
学もない、名もなき一人の炭坑労働者が自らの体験をもとに、日本の近代化を支えた筑豊炭田
の姿を描いた作品、それが山本作兵衛コレクションです。
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一部ですが、作品を見ていきましょう。 作品は、本になったりポストカードにもなっています。
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山本作兵衛コレクションは、697点。 内訳は、 ・炭坑住宅記録画585点(墨画306点、水彩画279点) ・日記6点 ・雑記帳、原稿など36点 ほか、となっています。
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山の道具など、細かく描写した作品もあります。
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これらは、ほんの一部です。彼が書き残した作品は、生涯で1000枚を越える、といいます。 ユネスコの世界記憶遺産には、フランス革命のフランスの人権宣言(1789年)、ベートーベンの交響曲第9番、アンネフランクの日記、ショパンの名曲、アンデルセンの原稿などそうそうたるメンバーの中で、名もなき炭坑労働者の山本作兵衛の絵画が選ばれていることに、日本人として誇りを持ちます。 うれしいですね。 底辺の労働者が、世界の記憶されるべき遺産になっていることを! では、また明日❗