昨日は、肥薩線の最初の秘境駅「大畑駅」を紹介しました。日本で唯一、ループ線の中にある
スイッチバックの駅。開業は何と、明治42年12月26日。1909年のことです。日露戦争(1904~
1905)に勝利した大日本帝国は、さらなら領土獲得に向けて九州最南端鹿児島への交通路線
を確保するために、大急ぎで肥薩線(当時は鹿児島本線)の建設をしたのでしょう。
それは、人員確保と資源供給。つまり、兵隊の補給と筑豊の石炭を輸送するため。
急勾配を克服するうえで、当時の技術では長いトンネルを建設することが出来なかったため、山
の形を崩すことなく自然と共存するような線路が敷かれたのです。
周囲には、人家はまったくない。それまでの農道沿いに数軒あったのみで、駅の周辺にはない。
むしろ大畑駅は、乗り降りする人の利便よりも運行上の拠点だったのです。
そして次の駅「矢岳駅」。

昨日、最後にお伝えしたように肥薩線最高所の536.9m。駅に着くまでの道のりは、まさに農道。
駅の周囲には人家はない。駅までの道沿いには農家が数軒と閉校となった矢岳小学校の校舎
のみの風景。
高原のすがすがしい風がさわやかに吹く矢岳駅。大畑駅からさらに細い農道を登った、まさに
どん詰まりの場所。
開業は、大畑駅と同じ明治42年(1909年)だが、一月ほど早い11月21日。
人吉市SL展示館があったので行って見た。

矢岳越えをしていたD51-170が保存されていた。いわゆるデゴイチ。
たまたま列車がやって来た。電車じゃないですよ。全線非電化ですからデーゼル車。

観光列車「いさぶろう」「しんぺい」号です。
「いさぶろう」は人吉駅発の下り専用。「しんぺい」は吉松駅発の上り専用だから、この列車
吉松方面からやって来たから「しんぺい」号だ。
しんぺいの名の由来は、肥薩線開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平から来ている。
一方、いさぶろうは当時の逓信大臣の山縣伊三郎から来ている。
2両編成の全席座席指定の普通列車。

ここで、しばらく停車するので内部を拝見することに。(乗客でもないのに、乗り込んでいいのかな?)
でも、図々しくカメラでパチリ!
かなり豪華。

レトロな造り。背もたれや床が木製。テーブルまである。

乗って見たい気がしてきた。ほとんどの乗客は、ここで降りてSL展示館へ行っている。
この列車には、アテンダントさんも二人いて接待している。

これまた乗客でもないのに、ありがとうございました!
若くてキレイな、そして素敵な方でした。乗客でもないのに、いろいろと話しかけてくれてうれしか
ったですよ。
この特別列車が到着する時だけ、地元の方がここで商売している。グッズや地元のフルーツを
売っているのだ。マンゴーが一袋200円で売られていたので、買って食べてみた。梨のような感触
だった。
その方とお話ししたが、元国鉄マン。退職後に、ここで半分ボランティアで観光客へ販売している
とのこと。
函館から軽自動車で来たことに、ビックリしていた。札幌ナンバーは見たことあるけど、函館ナン
バーは初めてとのこと。そりゃ、そうでしょう。函館ナンバーが九州を走ることなんて、ほとんどない
でしょうね。ただでさえ、登録台数が少ない地域なんんだから。
特別列車は10分ほど滞在した後、去って行った。

6枚上の写真で車窓から手を振る女性たちの3人組は、大阪から来ていた。わぁー、わぁー、
きゃぁー、きゃぁーと10分間騒ぎまくり、函館ナンバーの軽自動車を見て「北海道から来ている!」
と大騒ぎ。ほとんどの乗客が覗き込んで、「自転車もある!」と大声を出す。
さすがに、「それ自分のです」とは云い出せず後ろに引っ込む。
さすがに、関西のお姉さまたちは強い!

というわけで、矢岳駅で1時間以上過ごす。昼飯もここで作り(といってもラーメンですが)
食べ、誰もいなくなった静けさに落ち着きを取り戻す。
いいなぁ、だれもいないここの駅は!
次の訪問地は「真幸駅」それについては、また明日!
行くのが大変だった!
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