午前中のブログ、二度も「夏の旅21」と「夏の旅22」が未完成なのに、アップしてしまい申し訳
ありません。
本当は書き上げたのに、それは全部消えてしまい、空のブログだけがアップされるという情けない
結果となって落ち込んでしまいました。
こちらのパソコン不慣れのせいもありますが、公に掲載されたにも関わらず中身がないブログに
なってしまって、本当に失礼しました。
午後になって二度目の今回は、しっかりと書いたつもりです。
さて、浦河は日高地方の中心地。同の出先機関である日高振興局の庁舎も町自体も大きい。
ところが、一歩郊外に出ると秘境駅がある。それが、今回の最初にお伝えする絵笛駅。

えふえ、と文字通り読むがこれはアイヌ語。「エ・プイ」、小さな山という意味から絵笛となった、そうな。
それよりも、「天国の階段」という小説(その後テレビのドラマにもなる)で有名になった駅。
私も10年以上前に読書したが、とても感動した小説で、ここの駅が舞台。
だから、駅のノートには、それを目当てに訪問した方が多く書いている。
周囲は牧場だけ。人の数より馬の数が多い。

浦河駅より6kmほどしか離れていないのに、たどり着くのが大変な駅。駅の周囲500mに人家はなし。
次に荻伏(おぎふし)駅。

気球が描かれた駅舎はとてもきれい。地元の方が毎日掃除してくれているのだろうか?
まさに地元に愛されている駅。

付近を散歩していたら、地元の歴史を証明する記念碑があった。

赤心社という開拓団が、明治の時代に開拓しその百年を祝う碑(1982年建立)だ。

この木は、ミズナラの木。樹齢は300年を越えている。
1882年(明治15年)赤心社開拓団が80余名で、ここ荻伏に入植した記念碑。

北海道開拓の歴史は二つある。一つは、明治維新後のこと。屯田兵として未開の、当時蝦夷地と
呼ばれていた北海道を開拓していった歴史。
昨年秋の旅で、妹背牛(もせうし)町や秩父別(ちっぷべつ)町の郷土資料館を見させていただいた
時にもその歴史が理解出来た。
もっとも、北海道では小学校の教科書で説明しているし、子供たちもよく知っている。
もう一つは、戦後直後。太平洋戦争が敗戦を迎え外地(樺太、満州、朝鮮半島など)から多くの
引揚者が本土へ帰ってきたが、その方たちを受け入れたのが北海道。
まだまだ未墾の地が残っていて、戦後の入植して開拓した人たちの歴史。
もちろん、ここは明治時代。
恐らくその時代の大木であろう。何も語らぬこの大木は、100年以上もの荻伏の歴史を知っている
はずだ。
続いて本桐駅。「ほんきり」と読む。

1931年(昭和10年)開業時からの木造駅舎。
日高線最終交換駅でもある。

相変わらず、小雨が降り続いている。
次に、蓬栄(ほうえい)駅。

奥の待合室が、まるでトイレのような建物。

冬は戸もなく、待っていると寒そう。
近くにある「蓬栄岩」から名前が付けられたそうだ。
この日は、近くの道の駅「みついし」で車中泊。雨足がどんどん速くなって豪雨となる。
温泉が併設されていて二日ぶりに入浴。
「HO」にはなくて420円支払ったが、後で「温泉博士」にあったことを思い出す。残念・・・。
翌朝も小雨。霧が深い中を駅訪問。
最初の駅は日高三石駅。

ふれあいサテライトと書かれているように、ここの駅は地元住民の憩いの場。
待合室には、きれいな座布団が10個以上も並べられ、普段はおしゃべりの場になっているのだろう。
いいですね。駅がこんな風に利用されているのは。

しかし、雨降りばかり、という感じ。午後には晴れてきたけどね。
次に日高東別駅へ。当別という字を書く駅が多いが、ここは東に別。

ここの待合室も年中オープンドア。吹きっさらしの中で冬がつらい。

駅を写していたら、地元の女子高校生がやってきた。しばらくして、代替バスが来て彼女は乗車し
高校へと向かった。
7月27日は、夏の短い北海道でも夏休み。きっと部活か講習か?バスの中には何人かの高校生が
乗っていた。朝7時ころの早い時間帯だったが、バスだと早くから通学しなければいけないのだろうか?
付近には、馬と牛の碑があった。

牛の魂の碑と左はよくある馬頭観音。
冷涼な気候で農作物が生産されない日高では、馬や牛を飼育するしかなかったのか?
次に、春立駅。春に立つ、なんていい名前ですね。

高校3年生が、春3月巣立って行く姿が想像されます。

でも、長い間誰も維持しなくなって、錆び付き、文字も汚くなった駅の標識がみすぼらしい。
というわけで、日高線の旅は春立駅までやってきました。
残りは、東静内駅から鵡川駅まで。
鵡川駅から西へは運行しているから、訪問しない。鵡川駅から東の駅を全部訪ねるつもりで旅
しています。
それでは、また次回!
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