陸中八木駅から次の秘境駅で知られる有家(うげ)駅へ行く途中、集落の中に思わぬものを発見
しました。集落の名は小子内浜。
一つは、民俗学者の柳田国男が、一軒しかなかった宿屋に宿泊したことを明かす案内板。
「清光館」という宿屋でした。
彼は、再び訪れる。1920年(大正9年)には、八戸線が八木駅まで開通したことで清光館を訪ねた
が、もうそこにはなかった、という。

記念碑の裏をご覧下さい。八戸線の鉄橋が架かっています。完成から95年が経過している、まさに
記念すべき鉄橋。

道路を挟んだ向かい側に、こんな碑があった。
それは、過去の津波の教訓を示すもの。
一、地震があったら津浪を思え
一、津浪が来たら高い所へ
一、あぶない所に家を建てるな

昭和9年3月3日 中野村長の名が読めます。
前年の1933年(昭和8年)3月3日昭和三陸地震により、死者1522名、行方不明者1542名、
負傷者12053名を出すという大震災でした。
だからこの碑は、震災から1年後に建てられたものですね。
三陸では、それ以外に1896年(明治29年)6月15日に明治三陸地震が発生し、死者21915名、
行方不明者44名、負傷者4398名を出しています。

明治と昭和と平成と115年間で3度も巨大な地震および津波が来ているのです。
それを示す碑ですし、先人は教訓を残しているのです。
次に、有家駅を訪問。高台を走る国道45号線から、海岸にそれて下ること約3km。

周囲に人家は見当たらない。目の前は太平洋。
多くのサーファーが来ていた。
ここから線路を渡り、遠くに見えるサケマス孵化場へ行く。

煉瓦造りの鉄橋があった。
ここから、国道へ戻る際に大きなミステイクをしてしまった。それは、雑草が深く生い茂る道を走っていた
時だ。高台に神社が見え、そこへ行こうと端に寄せるとガタンと車が左側に落ちてしまった。何と、路肩
を外れて側溝に落ちてしまったのだ。
それを脱出するために何度かトライし、バックギアで何とか側溝を出れたが、タイヤとホイールとフロント
部分のカバーが傷ついてしまった。
あー、何たることか、まさしくこちらの運転ミス。

続いて陸中中野駅。JR東日本には、東京に中野駅がありますものね。学生時代は、中野駅から
毎日通学していました。
でも、ここは岩手県。国道から海岸へ約4kmほど離れた場所にある駅。坂道沿いに集落があった
が、駅はその一番下がったところにある。
小さいが、木造のログハウス風の素敵な駅舎だ。

半農半漁の暮らしをしているのかな?見かけた人は、皆高齢者ばかり。

続いて侍浜(さむらいはま)駅。
国道45号線から内陸部へ5km以上も入る。国道沿いは人家もあり商店もあるが、ここまで内陸に
入ると人家も数件しかない。それも空き家が目立つ。

自転車が2台あったが、高校生の通学用か?
駅舎は立派だが、集落から離れた場所にあり利用者はどのくらいいるのだろうか?

かつては、向こう側にもホームがあったようで、利用者も多かったのだろう。
今は使用されなくなり雑草が生い茂るホーム。
陸中夏井駅へ行く。

国道から100mも離れていないし、周囲は新興住宅街で久慈市の郊外。
ここは、高校生の通学や勤め人の通勤に利用される駅だ。
そして、本日の最後はJR久慈駅。

久慈駅のホームを挟んで向こう側に、久慈市で一番高い建物の久慈グランドホテルが見える。
三陸鉄道久慈駅は、この建物の左側にあるが、それは明日お伝えします。
明日は久慈市を散策し、2年前に「あまちゃん」で全国から観光客が殺到した久慈市内と道の駅
を訪ねます。2年後の久慈はどう変わったか?それを見たい、と思います。
それでは、また明日!
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