前回お伝えした深浦町の円覚寺のことです。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)といえば、
平安時代初期の人物で、桓武天皇により征夷大将軍に任じられた武人ですね。
彼の時代を詳しく見ると、8世紀東北はアイヌ民族の土地でしたが、領土を広げたい大和政権は
東北に進出します。712年出羽の国(山形県・秋田県)を設置し733年秋田城を置きます。
しかし、794年平安京へ遷都する5年前の789年、桓武天皇より派遣された東北遠征軍はアイヌの
族長アテルイに大敗しています。当時はアイヌ民族のことを蝦夷(えみし)と呼んでいました。
そこで、天皇は田村麻呂を征夷大将軍に任じます。9世紀に入ってすぐの802年岩手県南部に胆沢城
を築き北上します。同年アテルイは田村麻呂に降伏し、東北は天皇の支配地となります。
アイヌ側から見れば、坂上田村麻呂は侵略者であり支配者ですが、日本史の上では天皇政治は領土を
拡大した、ということです。
そんな坂上田村麻呂は、京都の清水寺の創建者としても知られ、9世紀は武の田村麻呂、文の菅原道真
と云われたほどの名声があった人物です。
その彼が、ここ青森の片田舎の深浦町を対津軽蝦夷の拠点としたのです。

その彼が、聖徳太子の作と云われる十一面観音像を安置したのが、この寺の起源だそうで実に
1200年以上も前のこと。
さて、境内を散策します。

真言宗のお寺になっていて、津軽三十三ヶ所霊場の一つでもある。

本堂には、日本唯一の「北国船の船絵馬」を始め、70点もの船絵馬を所蔵している。拝観料は400円。
北前船というば、江戸時代の交易に使用されたものだが、日本海の交通においては平安時代から使用
されていたルート。
太平洋ルートより、はるか以前に重要な航路だったのですね。
室町時代に入り、そのルートは蝦夷(えぞ)にも延びています。
だから、北海道の江差には「江差の春は江戸にもない」と云われたほどで、その意味するところは、
「江差は京都の文化を受けついているので、江戸の文化は入って来ない」ということですね。
それほど、津軽の日本海側は早くから栄えたのです。

深浦駅へ行きます。

さすがに有人駅。ここでは、ゆっくりと歴史を知りたく歩いて5分の歴史民俗資料館へと行く。

美術館と兼ねていて、美術館では県内で活躍する作家の絵画や彫刻50点以上を展示している。
縄文時代からの歴史を紹介している歴史民俗資料館には、江戸時代に訪れた最強の旅人の菅江
真澄の展示コーナーもあった。
菅江真澄(すがえ ますみ)は、1783年から故郷の現豊橋市を30歳で出て以来30年以上もの長旅を
する。訪れた旅先で風土、習慣、宗教など数多くの記録を残していてまさに文化人類学の先駆者です。
フィールドノートにスケッチした絵は素晴らしく、その著は200冊を越えているというからすごい!
ここ津軽に来た時は1795年という。藩主から開設さればかりの藩校の教師までしている。
教えた教科は、薬学。
とにかく旅人としての大先輩、えらい人物です。
さて、次の駅の広戸駅。さらに次は追良瀬(おいらせ)駅。
「おいらせ」といえば、十和田湖の奥入瀬(おいらせ)渓流を思い出すが、ここは字が違って追良瀬駅。

そこで、深浦町の歴史民族資料館の学芸員さんに教えられた身入山観音堂へ行くことにした。
国道から山側にそれ、追良瀬川の上流へ5kmほどさかのぼる。

そこにあった、まずは駐車場に隣接してあるお社。ここは山道を登れない信者のためにここに置か
れている。
ここは、津軽霊場9番の札所で、もっとも難所を云われているところでもある。
創建は室町時代というから600年以上もの歴史がある。
難所といわれれば、行ってみたくなる。右の鳥居がある場所から山道を登り始める。
鳥居があって、お寺があるということは神仏習合のころか?

まさに登山道。杉の巨木が生い茂る中を歩く。水はもちろん用意してきた。崖を登りたどりついた
ところに、最初の観音堂があった。思ったよりも小さいな、と感じたけどさらに奥にもある。

汗をかきながら登ったかいがあったものだ。この奥にあったのがこれ!

もちろん、ここは無料!
鳥取県にある三仏寺投入堂(なげいりどう)よりもすごい!あそこは有料で観光客も多いけど、ここは
誰も居らず、森閑としてまさに霊場に相応しい場所だ。

思わぬ場所を教えていただきうれしかったです。
今から600年以上も前に、信仰の篤い人が人里離れたこの場所の、さらに人を寄せ付けない山の
崖の一角にこの建物を建造したのですね。
そうえいば、思い出したけど北海道のせたな町の大成区太田集落にある太田山神社、日本1危険な
神社もそうですね。険しい崖を登ってたどり着く、そこに神を見ることが出来る!
神との遭遇は、そのような場所なのかな?とも思いますね。
何事も簡単に出来るよりは、苦労してたどり着く方がやりがいがありますものね。
ラグビー日本代表が世界1厳しいトレーニングをして3勝したように・・・。
例えが飛躍しているかな?

険しい場所には、手すりがあるけど他はない。

馬は農民にとっては大事な生き物だから、馬頭観音などもある。

そんなわけで、深浦町で津軽三十三霊場の一つ、見入山観音堂を訪れました。
下山したら、信仰衣装を身に着けた、まるでお遍路さんのような服装の信者さんに出会いました。
いろいろとお話を聞く。退職後三十三か所巡りをしている、という。ここは険しいから気合を入れて
弘前市からやって来た。頑張って登ります!と。
気を付けて山道を登って下さいね。
明日は、さらに北上し日本一周中のサイクリストと、秘境駅にして最高に素敵な駅の驫木(とどろき)駅
で出会うが、彼の自転車の後輪のスポークが2本折れていて、これ以上走れないという。
それについては明日詳しく!
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