我が家は、函館の奥座敷と呼ばれる湯の川温泉街のはずれ、JRA函館競馬場の近くにあります。
100mも歩けば、大きなホテルがあって、昨日お伝えした鮫川の河口や津軽海峡に面した大森浜には
ホテルが軒を並べています。
通りを歩くと、こんな街路灯があります。

高さは、1m50cmほど。
鮫川と並んで、津軽海峡にはもう一つの川が流れていて、松倉川という。その川沿いを歩いて
いて、上を見上げたらステンドグラスの街路灯を発見!今まで気が付かなかった素敵な街路灯
だったので紹介することにしました。

高さは10mはありそう。ステンドグラスをズームして見よう。

これは、外人墓地だ。そういえば、昨日お話しした1854年に来航したペリー一行の中で、箱館に
滞在していた水兵さんの中で2人亡くなった方がいて、彼らもここ外人墓地に埋葬されています。
これは、温泉ですね。温泉の歴史は江戸時代の前半、1653年に松前藩主の子息でのちに4代藩主
となる松前高広の病気療養の場所を探していた際に発見された、と云われています。
江戸時代は湯治場として知られていて、明治維新の新政府軍と旧幕府軍との戦いである戊辰戦争
の最後の戦い、箱館戦争・五稜郭の戦いでは旧幕府軍の負傷者が療養していたのです。
あの榎本武揚や新選組の土方歳三が湯に入っていたのですね。

これは、石川啄木ですね。岩手県生まれの啄木は、1907年(明治40年)5月5日函館へとやって
来ます。6月には、弥生尋常小学校で代用教員を務めています。8月には函館日日新聞の記者も
兼ねていましたが、函館大火により札幌へ移り住みます。
そのわずか4か月の生活でしたが、啄木は函館をこよなく愛しました。
1912年(明治45年)4月13日、東京は小石川で肺結核でなくなります。享年26歳。
その1年後の1913年(大正2年)、大森浜を望む立待岬に宮崎郁雨らの手で墓碑が建てられて遺骨
が移されています。

磯の砂浜でカニと戯れているますね。
東海の 小島の磯の 砂浜で 蟹と戯むる
これは、函館山とその麓の護国神社ですね。坂がいくつもあります。

五稜郭とタワーですね。

これは、ハリストス正教会。
ギリシア語でキリストを意味するハリストス、1859年にロシア領事のゴケシヴィッチが領事館内に
聖堂を建てたの始まりで、日本正教会の最初の聖堂を持つ教会です。

ウォーターフロント西部地区の金森倉庫群と函館湾の遊覧船。

湯の川郊外にあるトラピスト女子修道院ですね。

道内では、札幌市と函館の2か所しかない路面電車です。

これは、公会堂。1910年(明治43年)に完成した木造2階建て洋風建築。翌年には、当時の
皇太子、のちの大正天皇が来函し宿舎となっています。国指定の重要文化財です。

などなど、ほかにもいろいろありますが、今まで長い間住んでいながら以外に気が付かなかった
です。
上を見たり、下を見ると今まで見落としていたものを発見できます。
これからも、紹介していきますので、どうぞよろしく!お願いします。
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