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昨日は、底曳網漁で一財産築いた瀬戸常蔵さんの豪邸の外観を見ました。
開館は4月から、しかも時間は10時オープン。私が行ったのは3月5日の午前9時過ぎ。

でも、幸運なことにその日は特別に開館していて、しかも丁寧に案内までしてくれました。
市の教育施設なので無料、カメラの撮影も大丈夫でした。

ということで、10:52稚内駅発の列車に間に合うように1時間はたっぷりと見学。
まずは、玄関を入ってすぐの客間を見る。
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旧瀬戸邸は1949年(昭和24年)の建築だから、今年で67年目。
昨日の外観を見ただけでは、大正か昭和前期の建築物かと思わせるものでしたが、実は
戦後直後の家。

12人の御膳を並べる客間の向こうには、立派な屏風が立てかけられている。
瀬戸常蔵は1909年(明治42年)利尻島で誕生し、1924年(大正10年)父寅吉とともにニシン
定置網漁業を経営し、1935年(昭和10年)から機船底曳網漁船の経営をするようになる。

翌1936年(昭和11年)稚内市へ移り住み底曳網漁を本格的に営む。
戦後の1956年(昭和31年)株式会社瀬戸漁業を設立し、60年代末まで大いに発展したそうだ。

向かいの部屋には、お雛様が。
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本州から取り寄せた一つ一つが手作りの特別な価値のあるものだそうだ。

1階の展示コーナーを見学。そこには底曳網で使用された、様々な道具がケースに収め
られている。
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数々の賞状・表彰状や勲章。旧ソ連との交渉や漁業問題で政治的にも活躍したそうです。
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上の段に元名横綱だった北海道弟子屈町出身の大鵬関の手形とサインがある。
大鵬(1940~2013)関は、本名納谷幸喜、第48代目の横綱で幕内優勝は32回。
生涯成績872勝182敗136休、全87場所。
ロシア人(正式にはロシア革命後に当時日本領だった樺太に亡命したにウクライナ人軍人)
の三男としてサハリンで誕生したハーフである。
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何と瀬戸さんは、大相撲を稚内市へ呼んでいる。
これは、その時のもの。
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瀬戸常蔵さん江と横に書かれている板番付は、稚内準場所として1964年(昭和39年)8月5日に
開かれた。
東の横綱に大鵬と栃の海、西の横綱に柏戸。大関には佐田の山や栃光がいる。
往年のファンには懐かしい名前がずらり。

まさしく彼は興行主として、多額の費用を負担したのだ。7月の夏場所が終了した後に、東京
から稚内まで列車(東北本線)と船(青函連絡船)を乗り継いで、北海道に上陸し函館本線・宗谷
本線で稚内まで。一体何時間、いや何日かかったのだろうか?

その交通費だけでも莫大なもの、1日限りの準場所だけど稚内市民のために多額のお金を出費
したのです。

すごい!の一言ですね。
大鵬関は、ここのお風呂にも入ったのだろうか?
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壁面は大理石、両側に窓があってそれは大きな部屋の中。外からは見えない。
水滴が付かないように天井は丸く湾曲している。
湯船は大きくないけど、豪華な造りだ。外の大きな赤レンガの煙突は、この風呂と台所の
ためにあったのですね。

厨房を見ましょう。手前の薬研のようなものは何かを挽いた道具か?
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当時の生活道具も展示されていて、まるで昭和の様子が分かる。
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そう、ここは市の教育施設ともなっていて、小学生も見学にやってくるから昭和の時代のもの、
ラジオ、ダイヤル式黒電話、掛け時計、ブラウン管テレビ、ちゃぶ台、鉄瓶と七輪などがある。
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瀬戸常蔵さんとトモ夫人の似顔絵がほほえましい。絵本にもなっている。

これは自在鉤(かぎ)で、炉ガキともいう。地方によってはかぎどこ、吊りかぎ、かぎつる、などと
云うらしい。
ここのは、旭川市の明石さんに頼んで造らせた完全オーダーメイドの作品。
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家の面積は、1階が約81坪、2階が約48坪の合計約130坪にもなる豪邸。庭の面積を
入れるともっと、もっと広い。
和風庭園の桜は、国内最後の花見が出来るそうで、それは5月下旬とのこと。
今は深い雪で覆われていました。
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2階には客人の寝室だろうか?広い8畳間がいくつもあった。
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天上には、デザインとして板を結ぶ紐があった。わざと紐で結び見せている。
欄間も凝った造りだ。

当時の稚内港は、このような底曳網船でいっぱいだったのが写真で分かった。
港は船で埋め尽くされているのだから。
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ところが、今は4艘しかないという。底曳網が不振、カニ漁もロシアが禁漁にしたり、中国が
高値でロシアから買い取ったりで稚内の漁業は不景気のさなか。

稚内市の人口も1980年の5.3万人から減少し、2015年は3.6万人へ。
サハリンとの国際航路も中断したままだ。
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最後に、玄関に展示してあった枯れ枝のようなものは、何とサンゴだそうだ。
珊瑚と云えば、沖縄など熱帯地方の海でしか見られないと勝手に思っていたが、ここ冷帯の
稚内の海でも採れるとのこと。

一瞬疑いましたが、確かにサンゴです。枯れ枝のように海の中で成長するそうです。
まったく知らなかったです。
ここを訪れて良かったです。いろいろなことを知り、稚内を少しでも知りました。

このあと時間が少し残っていたので、発車ギリギリまで稚内港へ行き数少なくなった底引網
漁船を見学しよう、と思います。
それは、明日お伝えします。では、また!


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