朝起きたら、曇り空。でも、時間とともに青空が見えてきた。きっと、晴れるぞ!と思い込んで
出発する。
最初に写真は、次の駅である綾里駅へと向かう途中で見た石碑と説明。

明治三陸大津波伝承碑と書かれて石碑。
1896年(明治29年)6月15日に発生したマグニチュード8.5の地震で、綾里湾は38.2mの津波
を記録している。
石碑では、高台にるここまで津波はやって来た、と書かれている。
死者21915名。行方不明44名。負傷者4398名。死者の数が多いのが気になる。2万人を超えて
いる。
そこからすぐ、綾里駅があった。

右側にある碑を見ると。

「津波でんでんこ」~津波が来る前に、それぞれ逃げよ!と。
一刻も早く高台に避難せよ 逃げたら絶対に戻るな 自分の命は自分で守れ、と。
そう 絶対忘れてはいけない!

ホームに出ると、駅の看板に織姫の絵が描かれている。これは、後から分かります。
西側は山。東側が海だが、駅は高台にある。

駅の左側にある綾里大権現の説明板。こちらでは、獅子のことを大権現と呼ぶらしい。
写真を見ると、特別に大きな大権現(獅子)がとなりの建物に展示されていた。

正面から撮影しようと思ったが、ガラスには自分の姿しか映らず横から写したが、これでは
分からない。説明板の写真のような大きな木製のものだった。かなり重そうで、一人では無理
で、多分数人で持って踊るのだろう。

駅から真っすぐに大船渡市の盛駅に行かず、立石山のある半島をドライブする。砂利道だが、
何かありそう。
すると神社発見!

階段が奥へと続き、杉の森の中に歴史ある神社がありそうな予感がして来た。

恵比須像がある。

地図にも出てこない神社。これは、能舞台のような建物だ。

しっかりとメモを取って来たら良かったが、残念なことにこの写真だけしか記憶に残っていない。
県道9号線の途中に、綾里の説明する案内があった。

ここの神社に、美しい姥が住み機織りをして暮らしていた、と。
栃の人々は、姥が綾を織ることから綾織姫と呼び、神様のように敬愛したと云う。
その里だから、綾を織る姫のいる里ということで、綾里の由来がお分かりですね。
ちなみに姥とは、年取った女、老女のこと。
きれいなおばあさんが神社で暮らしていたんですね。

「キビツ岩」の説明も、姥が関係している。
いずれも、平成13年(2001年)のことで三陸町時代のこと。今は、大船渡市と合併してしまった。
その大船渡市三陸鉄道の盛駅。

となりは、JR盛駅。

三陸鉄道はしっかりと鉄道が運行されているが、JRは鉄道をあきらめバスが走っている。

BRTと呼ばれるバス・ラビット・トランジットの頭文字で、日本語ではバス高速輸送システム。
元の大船渡線の気仙沼駅までと、気仙沼駅から先の海岸線の線路を取り払い、舗装工事して
バスの専用レーンにして運行している。

「サンマが美味い大船渡」 さんまの産地ですね。
駅前にあった石碑。「三陸鉄道 ここに始まる」

足元を見た。カモメと海と船。サンマが描かれていないけど・・・。

それでは、三陸鉄道盛駅のホームに出て見ましょう。
ホームの天井から、無数の手袋がぶら下がっています。これは、一体何だろう?
背後の絵は、巨大なもので、年老いた漁師と津波後の瓦礫。

夜だと、不気味な光景だ。もし、顔に触れたら怖いくらい。

パネルにも飾っているけど、何か意味があるのかな?

不思議な光景に、驚きです。

山から石灰石を運搬する岩手開発鉄道の貨物車が走る盛駅。かつては、人も乗せていたが、
今は貨物専用。その岩手開発鉄道の本社ビルの建物です。
三陸鉄道は、ここで終わり。車止めがありますものね、

そうこうしているうちに、三陸鉄道の列車がやって来ました。釜石からの列車ですね。

折り返し、釜石行きとなります。
ということで、大船渡市へとやって来ました。明日は、津波の被害甚大だった陸前高田市を
訪れます。では、また!
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