昨日の6月18日から始まったJRA中央競馬会の函館競馬場での競馬。実は、函館は日本
初の競馬開催地で、今年で120周年。
開国によって江戸時代末期、世界中から特に欧米から箱館に集まった人々によっていち早く
文明開化が行われました。競馬もその一つでした。
今年は新幹線開業もあってか、全国から観客が来ているそうです。我が家は、その競馬場の
真裏にあり、塀越しに毎朝馬の調教が見られます。
車で来る人も多く、道路は渋滞。湯の川温泉も、土日は満室状態だそうです。
先日の震度6弱の地震の影響がるかな?と思っていましたが何のその。たくさんの観光客が
来ていました。
さて、初夏の旅の初日の温泉は、「HO」を活用し無料で入浴。場所は江差町のとなりの厚沢部
(あっさぶ)町にある俄虫(がむし)温泉。
俄虫温泉の「俄」は人偏で、虫偏ではないのですね。蛾ではなかったし、我でもない。
「俄」には、どんな意味があるのだろう?

ロビーには、道内の大抵の旅館に置かれているヒグマの剥製が展示されていた。
本州では、ツキノワグマがあちこちに出没し山菜取りに山へ入った人が犠牲にある事故も
発生していますが、北海道でツキノワグマではなくヒグマ、凶暴な羆です。
一度だけ30mくらいの距離で遭遇した時がありましたけど、脚が長くとても怖かったです。
その時はオフロードバイクで林道を走っていて、何とか逃げ切ることが出来ましたが、もし
歩いていたら、とても逃げ切れません。何せ500mまではヒグマは人間よりも早い!
スプリンターなのです。
その夜は、今金町のとある駐車場で車中泊。夜は小雨が降っていました。近くにトイレが
あって便利な場所でした。
その今金町と云えば、インマヌエル教会。

1874年から、というから実に142年の歴史あり。
日本聖公会とは英国国教会のことで、16世紀カトリックと対立しイギリス独自の新教が誕生
し、大英帝国時代には世界中に布教活動しています。
日本では、明治維新以後1873年(明治6年)になって、やっとキリシタン禁制の高札が撤去
されてキリスト教が黙認されました。函館には、翌年に伝道活動でやって来たのですね。

当時は、極寒の地でありヒグマの生息地でもあった今金。よくぞ、開拓しながら伝道活動した
と感心します。それに、今のような暖房のある教会ではなかったはず。
建物は質素な造りだった、と想像します。

その中に、日本初の女医さんになられた荻野吟子さんもおりました。
「窓たたく夜半の 嵐にめざめして としべつ原の 寒さいかにと」
としべつは、桧山管内北部を流れる利別川のある原野のこと。かつて日本1の清流になった
こともあります。

現在のここの地名は、神丘。分かる気がしますね。

雨の中、せたな町へ。瀬棚線終着駅の旧瀬棚駅があった場所。

起点から48kmの表示があります。起点は函館本線、長万部町の国縫(くんぬい)駅。
全線非電化の単線で、全11駅でした。
1929年開業、廃止は1987年。

先ほどの教会があった場所は、「神丘駅」でしたね。
さて、雨が激しくなり日本海を北上することにします。波も強く、時折国道へも波が打ち付ける
中、雷電海岸へ。

遠くに見えるのは、弁慶の刀掛け岩。
義経と弁慶は、1189年平泉の衣川の戦いで自刃したのではなく、その後逃げ北海道に上陸、
という伝説に因んだもので、この手前の寿都(すっつ)町には弁慶岬までありますからね。
なお、義経はさらに北上して生き延びて大陸に渡りチンギス・ハンになった、という話です。
壮大な夢物語、というより世界クラスのフール!
実は、かつてここに大きな温泉ホテルが賑わっていたのです。
かつて、というのは半世紀も前の話。私が子供の頃、友人のお父さんが誘ってくれて宿泊した
ことを覚えています。それがこの建物。

今は廃墟そのもの。建物は半世紀の間に建て替えられて5階建てのビルになったが、
客も来なくなったのか廃業。建物はそのままで荒れる一方です。
覚えているのは、温泉が混浴だったこと。もちろん脱衣所は別で、仕切りも半分まであったが、
途中から湯船は一緒だった。それしか覚えていない雷電温泉。
もう一度、有島武郎の碑がある場所から弁慶の刀掛け岩を見る。

このころになってやっと雨があがり太陽も顔を見せ出した。
岩内町へ入り、どういうわけか写したのはこの1枚だけ。

カラーのマンホールで、何の魚だろうか?最初、タコかな?と思ったけど尾ひれがあるから
魚だと。
明日は、泊村の茅沼炭田跡と1985年に廃止された岩内線跡を探しに行きます。
では、また!
コメント