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昨日は、台風9号の影響で1日中豪雨で、道内では農業関係を始めかなりの被害も出て
います。先週から立て続けに3つの台風が上陸するなんて、過去にはなかったことです。

やはり、今年の北海道の天候は例年になく異常で、本来6月は乾燥してカラッとした天気が
続くはずですが、雨が連日続きジメジメした、まるで道内にはない梅雨のような季節でした。

日照時間も少なく、おかしいなぁと思っていたら7月、8月と平年の倍以上の降水量で、時には
毎日の雨。そして台風の連続上陸はダブルパンチで、農作物の生産に打撃があることでしょう。
秋の収穫期がとても心配です。

さて、本日の1枚目。北見枝幸町のバス・ターミナル。かつての駅はバスへと変換され大きな
建物となりました。
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そして向かい側には、かつての駅前旅館や食堂が。
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何と名前が「一級食堂」。木製の窓枠を見ても、かなり老朽化した建築物です。
しかも、2階の窓は上下に開放する窓です。おまけに窓の上には通風口まであるのだから。

ただ、「営業中」の暖簾は玄関フードの中に仕舞われたままで、オープンしていなかった。
十数年前までは、となりの駅前旅館と食堂もあったとか。今は更地へなってしまった。
周辺の交通公園となっている場所を散策すると。
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ありました!北見枝幸駅跡の碑が。奥の建物が「一級食堂」です。ハマナスの花に囲まれて、
ここが旧駅であることが分かる。
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裏を見ると、歴史が書かれていた。1921年(大正10年)に計画されてから12年後の1933年
(昭和8年)になって、やっと工事に着手され2年後に北見枝幸駅と浜頓別駅間が開通。

しかし、興部駅までは開通されずに1985年(昭和60年)に廃線となっている。
最後に、枝幸町のマンホール。
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蟹の町だからか、カニが3つ横並び。それと神威岬灯台が描かれている。

さて、次の山越えして国鉄時代日本一の赤字路線だった美幸(びこう)線跡を探します。
美幸線は、美深町と枝幸町を結ぶ予定で、それぞれの頭文字を取って名前が付けられ、
東京オリンピックが開かれた1964年(昭和39年)に美深駅と仁宇布(ニウプ)駅間が開業。
しかし、天北国境(天塩の国と北見の国)を越えて旧歌登町(枝幸町と合併)を経て枝幸駅
へ行くことはなかった。

70kmの総距離の予定だったが、結局美深駅と仁宇布駅間の21.2kmだけで、それも1985年
(昭和60年)に廃止となった。わずか21年間しか運行されなかった路線です。

まずは、歌登町にあった上徳志別小学校跡。木造の老朽化した体育館が印象的だ。
周囲には数軒しか人家はない。奥の元教員住宅には、車が停めてあって人が住んでいる
よう。

でも、となりの集落まで10km以上もある人里離れた場所。
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錆び付いた鉄棒が哀れに見える。
「北海道小学校廃校一覧」で調べてみたら、上徳志別小学校は1982年(昭和57年)に
志美宇丹小学校に統合され、その志美宇丹小学校も2008年歌登小学校に統合されて
いる。廃校となって、もう34年も経っている。
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ここから10kmまったく人家が見当たらない天北国境を走る。天の川トンネルを抜けると
宗谷管内から上川管内へ。枝幸町の河川はオホーツク海へと流れ、峠を越えた美深町
の河川は日本海へと流れる分水嶺にあたる峠道の道道120号線。

間もなくして富士重工(スバル)の試験場の看板が見えてくる。冬期間の凍結した路面での
試験を行う施設だ。
そして旧仁宇布駅へ。
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ここは、地元の方のボランティアでトロッコ列車が走っている。線路も5km以上残されていて、
鉄道への愛着を感じてしまう。
旧駅舎は鉄道資料館になっている。様々なグッズも販売していて、トロッコ列車の発券もして
いる。薪をくべるダルマストーブが懐かしい。
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スミマセン。同じ写真を使用してしまいました。

ここで、トロッコに乗車します。距離5km、およそ40分。運賃は1800円で、自走出来ます。
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走り始めて数分。アクセルは右足で、ブレーキは自転車のように両手で操作します。
ほぼ直線で、ゆっくり走ると首から下げているカメラのシャッターを切ることが出来ます。
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鉄橋では、タヌキが出現しぶつかりそうになり。慌ててブレーキを掛けたり、真新しい熊の糞
が落ちていたりで、自然豊かなトロッコ列車です。
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係の人に尋ねたら、熊の糞は今日のもので昨日はなかった、といいます。
ここはまさに熊のテリトリーだ。
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ということで、ここでのんびりと遊びました。ただ、天気は悪くなってきてトロッコを走らせて
いる時から雨がポツリポツリと降り出してきた。
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駅前広場には、美幸線の記念碑があった。
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そういえば、昭和50年代の後半に廃止の噂が立てられて時代に、美深町長が
東京の銀座でキップを売っていたニュースがあったことを思い出した。

少しでも、足しにしようと町長自らセールスの先頭に立ったのだ。でも、いくら売っても
乗客が少なすぎる。100円の利益を上げるのに2000円以上も経費がかかる日本一の
赤字路線だったのです。

駅のそばにあった碑。
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仁宇布駅逓所跡で、鉄道が敷設される以前は馬による交通手段だったのです。
ここで、人間と馬の食料補給、宿泊、休憩、さらには郵便配達などまさしくオホーツク海を
結ぶ中継基地だった場所です。
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美深駅への途中に駅があったが、ここもその一つである辺渓(ペンケ)駅跡。
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手前の道が線路跡地か?駅の跡を示すものは何一つなかった。
でも、向かい側には菜の花が咲いていてきれいだった。
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最後は、美深駅。ここは現役の駅で宗谷本線が走っている。
鐘の塔があって、3時になると時報として、長い間鐘の音が鳴り響いた。
まるでからくり時計のよう。確か、石巻市の石ノ森章太郎マンガ記念館豊後竹田市の駅
見た時計と似ている。いや、それよりもかなり大きなメロディーだ。
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駅の2階は鉄道資料室になっていて、美幸線の歴史など見応えあり。
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というわけで、日本一の赤字路線だった美幸線跡を辿りました。行って見ると確かに人がいない。
これじゃ、赤字になるのは当然かな?との思いもありましたが、当時汽車通している高校生に
とっては、唯一の交通手段だったわけだから、廃止は地元にとっては非常に厳しい宣告だった、
と思います。鉄道は、地元の足であり集落をつなぐ絆だったのだから。

明日は、やはり廃止された140kmもの長大路線だった名寄本線の各駅巡りをします。
では、また!

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