昨夜も、ファイターズ負けました。広島の応援がすごい!真っ赤に染まってスタジアム、
ホームの利点を十分生かし、普段通りの野球をしましたね。それに対してファイターズは、
緊張があったのか、それとも焦りかいつもの調子を崩してしまい敗退。
これで、2連敗。でも、今日は移動日で明日から地元札幌ドームで3連戦。気持ちを入れ
替えて、試合に臨んでもらいたいです。このまま終わったんじゃ、今までの苦労も水の泡。
それにしても、広島の応援はすごい!のひとこと。パ・リーグのどの球場にもなかった
くらいの応援でした。あれには参りました!
さて、五所川原市の立佞武多の館を見学後、日本海側へと車を走らせましたが、台風並み
の大暴風雨。悔しいですけど、初日から旅館泊まりとなりました。

翌朝の旅館の外観ですが、4部屋しかないこじんまりした旅館でした。
余りの暴風雨に避難した深浦駅で、駅中の観光案内所で紹介された旅館。駅から
歩いて数分の場所にありました。
宿泊客は、自分だけ。4時過ぎに到着したものの、夕食は用意してくれました。

今が旬のヒラメのオンパレード。ヒラメの刺身にカルパッチョ。サザエもありますね。
朝食もしっかり用意されていて、これで8000円でした。プラス消費税の640円。
こんなことは、今までの旅では初めてです。
2013年から始まった「ぼうけんの旅」で、車中泊以外は2回だけ。2103年秋の旅、
能登半島では台風を避けてユース・ホステルに宿泊したのと、2015年春の旅で九州・
鹿児島県の下甑島に上陸した時に民宿に泊まったことがあっただけ。
台風並みの時の緊急時は、旅館・民宿・ホテルに避難しても仕方がありませんね。
JR東日本の五能線の駅巡りは、昨年秋の旅ですべての駅を辿りましたので、今回は
一つだけ。陸奥岩崎駅です。

かつては、右のホームにも線路があったのでしょうが、撤去されています。岩崎村として
自立していたけど、深浦町と合併したのが10年ほど前。今では駅前の寂れようは、悲しい
くらい。

ダイヤを見ると、上りも下りも5本だけ。これじゃ、高校生も利用するのがつらい。
朝7:07で深浦行きに乗るしかないし、帰りは15:16じゃ部活も出来ないし、果たして
6時間目が終了しているのか?深浦では15:00前でしょう。
まして20:34じゃ遅すぎる。高校生の通学列車にもなっていない時刻表です。

秋田県八峰町に入って、国道101号線から内陸部へ。かやぶき民家が残る手這坂の集落へ
と行きます。

江戸時代漂流の旅人である菅江真澄も訪れている場所。
彼は、中国の桃源郷のように思えた、と和歌を詠んでいます。

現在は、無人の廃墟と化したかやぶき民家が数軒あるのみ。

屋根まで苔むしている。無人となって何年、いや何十年経過しているのだろうか?

笹本家の間取りは相当広いが、中は今にも崩れそう。冬は、かなりの積雪があるはずで、
雪の重みで押しつぶされそうです。

道は、歩くだけで精いっぱいだから、農道脇に車を停めて歩いて行きました。
ここは、完全に屋根が崩れ落ちでいるし、自然に崩壊するのを待つのみの建物。

一番奥に、ブルーシートをかぶせたかやぶき民家が1軒あって、ここには人が生活して
いました。小さな子供をあやす若いお母さんの2人が見かけられた。
車の持ち主は、ここの一家のでしょう。5軒くらいある中で、実際に生活しているのは1軒
のみ。集落からは5km以上も離れている場所です。

八峰町の名前にシールが貼られているのは、八森町と峰浜町が合併して新しい町に
なったから。ここは、手這坂から5km海側に戻った大久保岱の集落。
宇治という姓が多い、と記されています。それは、京都府宇治市から移り住んだ人々が
いるからです。いつの時代に移動してきたのでしょう?
少なくても19世紀以前の話で、江戸時代よりも前のことだと思いますが。

いろいろと面白い話がある八峰町。やはり本州に来ると、北海道にはない深い歴史がある、
と感じる。
周囲は、稲刈りの真っ最中。

秋田と云えば、「秋田こまち」かな?
奥羽本線二ツ井(ふたつい)駅。

たまたま特急列車が入線。最後部の車掌さんは、女性でした。ピィーと笛を鳴らして
出発進行の姿はカッコイイ!

奥羽本線は、完全に電化されていました。

続いて、前山駅。小さな無人駅です。

各駅停車の普通列車がやって来ました。

次の駅が、本日最後の鷹ノ巣(たかのす)駅。

ここから南へと向かいます。それは奥羽本線ではなく、秋田内陸縦貫鉄道。
JRの駅のとなりにその駅があります。
ということで、明日からは秋田内陸縦貫鉄道のすべての駅巡りを始めます。
では、また!
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