一昨日、今年の「秋の旅」の総集編を50回でもって、終えることが出来ました。
なぜ、総集編をするのか、というと。
リアルタイムの旅は、スマホで写した写真を当日の夜にブログにして発信しています。
が、実際に作業できるのは写真10枚から20枚程度で、文章も限りがあって、せいぜい
その日の報告という感じで収まっています。
と同時に旅している時、日によって違いますが、必ずカメラで1日30枚から50枚ほどは
撮影しており、それをもとに旅行中に集めた資料とともに旅を終えて帰宅後に、総集編
のブログを作ることにしているわけです。
その方が、より詳しく紹介出来るかな?と考えて実行してきました。
今回の「2016年 春の旅」、実は5月に16回目で中断していました。
なぜか?5月のブログは結構休みがあり、おまけに6月1日から「初夏の旅」に出発した
ので、完結しないまま放置されていたのでした。
それで、今回しばらく「春の旅 総集編」として、アップすることにいたしました。
そこで、復活「春の旅」は前回5月で中断した宮城県仙台市の伊達政宗公の眠る瑞宝殿
からお伝えします。

青葉城の駐車場は400円必要でしたが、その麓にある瑞宝殿の駐車場は無料で、20台ほど
のスペースがありました。
ただ、そこから坂道を登って行かなければいけませんので、足の悪い人には不便なところ
でもありますね。
瑞宝殿は、藩祖伊達政宗公と殉死した家臣と陪臣(家臣の家臣)20名の印塔(お墓)が
並んでいました。
前回はそこまで紹介しているので、今回は2代目藩主の忠宗公の感仙殿と3代目の綱宗公
の善応殿を見学します。

伊達政宗の誕生した場所は、このブログで何度か紹介したことがありますね。
山形県の米沢市の米沢城です。
1567年の生まれですが、仙台城の建設は1601年から。つまり関ヶ原の戦い以後です。
青葉城は通称で、正式には仙台城。ナビでも青葉城と打っても出てきませんでしたからね。
それしても、この2代目の忠宗の感仙殿の豪華絢爛なこと!

全体の姿は、ご覧の通り。本殿両脇には殉死した家臣12名と陪臣4名の印塔がありますが、
当時はお殿様が亡くなると、一緒に腹を切って死んでいったんですね。
殉死とは、何と悲しき習慣だったこと・・・。
余りにも殉死が多く、4代目の将軍徳川家綱は、1663年武家諸法度を改め「殉死の禁止」
をしています。
殿が亡くなるごとに、優秀な家臣が死に、さらにその部下の陪臣がさらに死ぬ、まるで殉死の
連鎖みたいなもので、そんなことが続いていたら藩は維持できませんものね。

そこ横には、善応殿があって、ここは3代目の綱宗公の廟。廟(びょう)とは、お墓であり
神殿のような神仏を祀る宗教施設ですね。

さすがに、家綱の「殉死禁止令」の後だっただけに殉死者はいませんが、代わりに
14名の家臣が剃髪して100日間の弔いを行っています。14名の一人は出家していて、
彼の没後は遺骸が善応殿の南側に埋葬されているとのこと。
殿が死ぬと、頭を剃り100日間も喪に服すなんて、今では考えられませんね。
まして、一緒に死ぬなんて・・・。

手前が善応殿、奥が感仙殿です。どちらもハデハデな装飾。
もっとも、戦災で全焼しましたが復元されて今の姿になっています。

これが、殉死した家臣たちの印塔ですね。それほど、殿が死ぬと一緒に死にたかったのか?
でも、それって21世紀の今でもあるかも?
長時間労働で過労死した職員がいた、超大手企業の「電通」の社訓には「死んでも放すな!」
とありましたよね。
命を懸けて仕事せよ!と、まるで江戸時代と変わらぬ社風は、殉死を当然としたサムライの
時代と何ら変わらぬかもしれませんね。

ほかに、戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1260名の慰霊碑もあります。
そういえば、仙台藩も「奥羽越列藩同盟31藩」の有力な一つでしたね。

4月上旬の桜がきれいな季節でした。今の冬の季節とは、真逆で返って新鮮かも?

この階段62あるそうとか?そのわけは62万石だったからとか?
本当でしょうか?数えなかったから、正直言えませんが・・・。

駐車場のそばにあるお寺、瑞宝寺に寄ってみました。

彫刻が、細かく凝った作りですね。
ここも伊達政宗公の菩提寺なのでしょうか?
調べてみましたら、2代目藩主の伊達忠宗が藩祖である正宗公の廟である「瑞鳳殿」が
造営されたときに、1637年に創建されています。
さて、「春の旅」はここまで妻と一緒の旅。ここで仙台駅へ行き、彼女は10日前に開業した
ばっかりの北海道新幹線で帰宅します。
つまり、ここから私の一人旅がスタートするわけです。
そんなわけで、一人旅の1枚目が仙台空港の南に位置する亘理町の津波の被害を受けた
学校から。

遠くの防波堤の向こう側は、太平洋。まさに海のすぐそばに位置する学校でした。
黄色のハンカチが、たくさん吊るされているのは「幸せの黄色のハンカチ」からきている
のかな?

仙台駅から、ひたすら海岸沿いを南下して福島県へと。その途中で見た光景です。

仏舎利塔があることは、ここで多くの犠牲者が出たのですね。
合掌。

ということで、福島県相馬駅へとやってきました。
今夜は、駅から南へ5kmほど行った道の駅「そうま」で車中泊です。

国道6号線は、復興工事の大型トラックやダンプカーが24時間走っていて、とてもうるさく
この旅初めての車中泊には、最悪の場所。
それにとても寒かったのです。当たり前ですね。季節は、まだ4月の上旬。多くの車は
冬タイヤを装着したままで、夏タイヤに変えてきた自分の車がおかしく見える。
寒さと喧騒で、熟睡とはいかず朝を迎えました。
明日は、相馬市から南相馬市、内陸部の飯館村へと走ります。
10月の秋の旅でも、放射線想定値は高かったのに4月だったらもっと高かったことでしょう。
それでも、一度は見ておきたかったのです。
では、また!
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