温泉で汗を流した後は、縄文時代の遺跡がある只見町の考古館へ。入浴施設から
2kmくらいの場所。
この竪穴式住居は、東北・北海道ではよく見かけるもの。特に、北東北や南北海道では
縄文文化を世界遺産へと!今運動していますものね。

ここで、日本の歴史を少し勉強し、峠を越えてとなりの村へ。

1927年というから昭和2年に合併により新しい村になった昭和村へ。
昭和元年はわずか1週間しかなかったのは、大正天皇が1925年(大正15年)12月25日
に亡くなったからです。
だから1週間後は大正2年。ちょうどその時に北部の野尻村と南部の大芦村が合併する
話があって、新しい年号の昭和にしよう、と昭和村の誕生となったわけです。
二つの村の中間に、昭和村の役場が位置しているのは、長野県大鹿村と同じですね。
大鹿村も、大河原村と鹿塩村が合併したが、役場はその中間にありましたものね。
役場から南東へ2kmほどの場所にあるのが、国道400号線に面している昭和村の道の駅
「からむし織の里しょうわ」。
その向かい側に「からむし工芸博物館」がある。

実は、「道の駅 平成26年度版 1014」には掲載されていなかった道の駅。2015年度
以降に出来た道の駅なのですね。
最近は、どんどん道の駅が出来ていますものね。旅している途中でも建設中の道の駅を
何度も見かけています。
鉄道の駅は廃止されているのに、国道沿いの道の駅はますます増え続けているのは、
時代の流れか?
鉄道を利用する旅は少なくなる一方で、車を使う旅が増えているから。もっとも自分もその
一人だから何も言えないけど。

最近できたばっかりの施設だから、何もかもが新しいのは当たり前だが、利用者が
ほとんどいないのが寂しい。

食事処にも誰も居なかった。やはり、国道400号線という交通量の極めて少ない場所
だし、福島県の山間部だと旅人も少ない。まして、4月のまだ寒い季節。
やはり5月のゴールデンウイークまで待たなくては人は来ないでしょうね。
「からむし」とは何か?「からむし織」とは?初めて聞くことばでした。
そこで、博物館へ入りその名を確かめることに。

織機がいくつも並んでいる。織物だから当然だけど、原料は何?「からむし」って、
虫のこと?
まったく知りませんでした。からむしとは、イラクサ科の植物のことで、いわば草ですね。
古くから植物繊維を採るために東アジア地域で栽培されていたとのこと。

白い糸を巻いていますが、これがからむしの植物繊維。
いわば麻の一種かな?と思いますが・・・。

若い女性が、糸を撚っていました。
ここで生産されたからむし織は、六十里越の峠を越えて越後へ。小千谷市へ運ばれ
小千谷縮布になるとのこと。
昭和村は、本州における唯一の原料の産地なのです。ということを、初めて知りました。
知らないことはたくさんあります。旅していると、今まで知らなかったことを知る機会が
多いです。だから、旅は楽しいですね。旅して知る、旅は知的行為なのです。
結局ここの道の駅で車中泊しますが、その前に時間があったので民俗資料館がある喰丸
(くいまる)小学校跡へ。

ところが、ここは閉鎖されていたのです。
確かに、老朽化した校舎は今にも崩れそうな雰囲気。廊下を歩くと足を踏み外しそう・・・。

明治6年に創立している歴史のある小学校ですね。
周辺を散策すると、まさに名前の通り昭和の村そのもの。

漆喰の蔵もある。屋根が風通し良くなったいるのは昨日も見ましたね。

昔、茅葺屋根だった農家も今は真っ赤な色のトタン屋根に。維持管理が大変ですものね。

道祖神も見かけました。北海道では、ほとんど見る機会がないものです。

これまた可愛らしいお二人。二人が一緒に並んでいます。

そんなわけで、昭和村はのどかでいい雰囲気の村。でも、車中泊するにはまだ寒かった
のでした。やはり福島県の山間部。標高こそそれほどないが、朝は零度近くまで下がり
寝ている途中で、スリーシーズンから真冬用の羽毛の寝袋に変えたほどでした。
寒くて震えながら朝を迎えた道の駅。広い駐車場には、千葉ナンバーの軽バンが1台だけ
停まっていました。
話を聞くと、以前に仕事の関係で函館で生活していたとか。空港関係の仕事で3年間函館
で働いていたそうです。
二人で、「寒かったですね」と労わりあう。ホント寒かったです。
明日は、栃木県へ少し入り会津鉄道各駅巡りの旅へと。
では、また!
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