昨夜のWBC(ワールドベースボールクラシック)の日本vsオランダ戦は、すごかった
ですね。何がすごかったかというと、7時過ぎに始まったのが日付が変わる時間近くまで、
実に5時間近くにわたって試合が行われたこと。
延長に入ったこともあるけど、5時間近くも試合を見せられたらいい加減疲れてしまって、
飽きてしまう。
それでも、面白い試合展開でテレビの前で釘付になったが、これで日本が負けていたら
心身ともにガッガリしたことだろう。
野球は、他のスポーツに比べると各段に時間がかかる。サッカーやラグビーみたいに
2時間で終了、というわけにはいかない。せいぜい、高校野球なら2時間台で終えている
が、プロ野球は最低でも3時間。昨日のような延長に入って5時間は、余りにも長すぎる。
テレビの前だから最後まで応援したが、実際に会場に足を運んでいたらどうだっただろう?
最終の電車時間のことや明日の仕事のことなどを考えたら、0時を過ぎてまでスタジアム
にいただろうか?
そんなことを考えた昨日の試合でした。でも、勝利したから良かったです。
明後日のイスラエル戦。イスラエルの選手の内、本国の選手は一人だけで、残りはすべて
アメリカ人。アメリカのユダヤ系選手を集めたチームで、もちろんメジャーの選手もいて
なかなか手ごわそう。
でも、日本代表は勝利して欲しい!勝って世界一の称号を手にして欲しい!
今週も、目を離せない面白い試合を続きますね。ガンバレ!日本!!
さて、今日の1枚目は、昨日紹介した松山城址公園よりさらに山へ上がった場所にある
お寺の總光(そうこう)寺から。

城下町だった松山町の東麓にあたる場所で、車で数分。14世紀後半というから室町時代
の創建。開山600年余年の歴史を誇る曹洞宗のお寺です。

入り口のこの門がすごい!

江戸時代に造られた庭園が、また素晴らしい!

苔むした参道には誰一人いない。鳥の声しか聞こえない、とっても静かな場所だ。
心が洗われる、というのはこんな場所を云うのだろう。


続いて、さらに山へと登る。眺海の森と名付けられた広大や山。
頂からは最上川の流れや東北1の鳥海山も眺めることが出来る。

朝方まで雨が降っていたので、天気はあまり良くない。低く雲が垂れ下がっていて遠くまで
見れないが、庄内平野と最上川は見える。

山と云っても、ここは丘陵地帯みたいな場所で、尖った山頂はない。

それでは、酒田市へと行ってみよう。ここでは、見るべき場所がたくさんある。
まずは、駅へ。

羽越本線の駅。人口10.5万人の都市。江戸時代は、北前船の寄港する港町で、
松尾芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」を詠んだ最上川が
日本海に注いでいる港でもある。
まずは、本間家へ。かつては日本一の大地主であり、酒田では早い時期に、
自前の船で北前交易を始めた豪商。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と
云われたほどの人物。
殿様以上の権力と財産を築いた家だ。

入場料は600円だったかな?素晴らしい庭園を眺める。

太平洋戦争が終わる1945年(昭和20年)まで、ここで生活していたとか。
その後公民館として利用され、1982年(昭和57年)に一般公開された、という。

本間家の歴史は、江戸時代の前半、1689年(元禄2年)本間家初代久四郎原光が、
本町1丁目に「新潟屋」を開業したことに始まる。
三代目の光丘が千石船による商いを始める一方で、土地改良・水利事業などで
農業を興し、庄内平野を一大米作地帯とした。
その結果、庄内米の集散地として、酒田は大坂へ米を運び大いに繁栄した。
その米を貯蔵する土蔵造りの倉庫群が、今での残っている。
鶴岡の庄内藩主酒田家の信望をいただき藩財政の相談も行ったそうで、まさしく
政治は鶴岡、商業は酒田、という庄内平野の2大都市が出来ていったのだ。
酒田のマンホールを見る。

北前船と日和山小園の灯台ですね。これは後に行きます。

ユリの花と日本海の孤島「飛島」ですね。酒田港から市の定期連絡船が出航しています。

最後に、これも明日紹介する山居倉庫群。
明日は、酒田市の観光地巡りと、ご当地ラーメンである酒田ラーメンを食べに行きます。
それでは、また!
←応援クリック ありがとうございます!
頂からは最上川の流れや東北1の鳥海山も眺めることが出来る。

朝方まで雨が降っていたので、天気はあまり良くない。低く雲が垂れ下がっていて遠くまで
見れないが、庄内平野と最上川は見える。

山と云っても、ここは丘陵地帯みたいな場所で、尖った山頂はない。

それでは、酒田市へと行ってみよう。ここでは、見るべき場所がたくさんある。
まずは、駅へ。

羽越本線の駅。人口10.5万人の都市。江戸時代は、北前船の寄港する港町で、
松尾芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」を詠んだ最上川が
日本海に注いでいる港でもある。
まずは、本間家へ。かつては日本一の大地主であり、酒田では早い時期に、
自前の船で北前交易を始めた豪商。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と
云われたほどの人物。
殿様以上の権力と財産を築いた家だ。

入場料は600円だったかな?素晴らしい庭園を眺める。

太平洋戦争が終わる1945年(昭和20年)まで、ここで生活していたとか。
その後公民館として利用され、1982年(昭和57年)に一般公開された、という。

本間家の歴史は、江戸時代の前半、1689年(元禄2年)本間家初代久四郎原光が、
本町1丁目に「新潟屋」を開業したことに始まる。
三代目の光丘が千石船による商いを始める一方で、土地改良・水利事業などで
農業を興し、庄内平野を一大米作地帯とした。
その結果、庄内米の集散地として、酒田は大坂へ米を運び大いに繁栄した。
その米を貯蔵する土蔵造りの倉庫群が、今での残っている。
鶴岡の庄内藩主酒田家の信望をいただき藩財政の相談も行ったそうで、まさしく
政治は鶴岡、商業は酒田、という庄内平野の2大都市が出来ていったのだ。
酒田のマンホールを見る。

北前船と日和山小園の灯台ですね。これは後に行きます。

ユリの花と日本海の孤島「飛島」ですね。酒田港から市の定期連絡船が出航しています。

最後に、これも明日紹介する山居倉庫群。
明日は、酒田市の観光地巡りと、ご当地ラーメンである酒田ラーメンを食べに行きます。
それでは、また!
コメント