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今回のテーマの2回目、廃止された市電の電停「梁川町」と「西武テーオー前」に
KTさんがコメントを寄こし、「西武デパート(現在はテキサスというアミューズメント施設)の
場所は短い期間のようですが、交通局梁川支所だった所が梁川車庫になっていましたね。」
と。

そうでした。西武デパートのところで、それを入れるのをすっかり忘れてしまったのです。
2003年に閉店した西武デパートですが、開店したのは1981年(昭和56年)。

実は、その土地函館市交通局の梁川町電車車庫だったのです。完成は1966年(昭和41年)
5月25日で、当時五稜郭駅前まで延伸し車両も増えてきたので建造されたのでしょうね。

しかし、梁川町電車車庫が運営されたのはわずか7年。1973年(昭和48年)10月1日には
閉鎖されてしまったのです。
理由は、利用者が減少し車両も75両から58両へと、17両も減らされたからです。

車両基地は、当時駒場車庫柏木町車庫、それと梁川町車庫の3つもありましたが、駒場
車庫で十分となり、梁川町車庫が閉鎖された翌年の1974年(昭和49年)に柏木町車庫も
閉鎖されています。なお、柏木町車庫は1936年(昭和11年)2月15日に完成し開始されて
いますので、38年間運営されていたことになります。

柏木町車庫の跡地は、1回目で紹介したように現在はアスレチックジムのホリデーの
用地となり広大な駐車場となっていますね。最初は、公立教職員組合の共済施設である
ホテル・アカシアだったのです。その後はホテルが売却され民間のホテルへ。
それも解体され、長い間更地になっていました。

実を云うと、私はホテルとしてオープンした年の1981年(昭和56年)にそこ(ホテル・アカシア)
で結婚式を挙げています。オープンして第一号を狙ったのですが、残念ながら少しの差で
申し込みが遅れてしまい第2号でした。

プライベートの話で申し訳ありません。

さて、駒場車庫についてですが、こちらは一番古く1934年(昭和9年)12月27日に完成して
います。というのも、この年の3月21日、史上最悪死者2166名を出した函館大火があり
車庫があった新川車庫(1913年(大正2年)完成)が焼失し、電車48両が焼けてしまい
それで新しい車庫が必要とのことで、その年の暮れに駒場車庫が完成したわけです。

だから、駒場車庫は戦前から83年も続いているのです。

車庫を閉鎖した理由は、それだけ利用者が減り使用する市電の車両も必要なくなった
からでしょうね。

長々と車庫の歴史を書きましたが、梁川車庫についてコメント寄こしてくれましたKTさん、
ありがとうございました。梁川車庫の件、書くのを忘れていました。

さて、「廃止された函館市電の電停を訪ねて」最終回は、1992年(平成4年)4月1日に廃止
された東雲線の2電停を訪問します。

まずは、函館駅前から宝来町まで行きました。
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この奥に十字街の電停があって、2方向に分かれ南へ1電停行くと宝来町。以前は蓬莱町
と難しい漢字で呼んでいました。
戦前函館大火の前は、この辺りに遊郭があったといいますが、今はその面影はほとんど
ありませんね。でも、じっくりと散策すると古い建物は多いし、料亭もあったり質屋があったり
で、今度詳しく調べてみたい!と思いました。

東雲線は、「湯の川温泉6km  五稜郭公園5km」の矢印を見ても分かるように、ここで
左折していたのでした。
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この4車線の道がそうです。
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宝来町を少し散策しましょう。電停の近くにあったすき焼きの暖簾がかかる「阿さ利(あさり)」。

すき焼き専門店として110年以上も守り続ける伝統の味。肉は産地から直接仕入れる黒毛
和牛A5ランク。大火後の昭和初期の建造物と内部の調度品。

一度だけすき焼きを食べたことがありますが、それは美味しかったです。ここも自慢できる
函館の食の名物店の一つでもありますね。
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お店のある坂は、「浅蜊坂」。
浅蜊とは、貝のアサリのこと。
1878年(明治11年)イギリス人ジョン・ミルンとアメリカ人エドワード・モースらが来函し
函館在住のイギリス人ブラキストン(あのブラキストン・ラインの名付け親です。動植物
は本州と北海道では津軽海峡を境に大きく分かれる、という)と協力して貝塚を発掘。

この坂でも、縄文人が食べた数多くのアサリの貝が発見されたことで命名された、と
いいます。
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函館山に向かって坂が延びていますね。

次の電停の青柳町方面を見ます。この先に石川啄木が住んでいたのです。
函館の青柳町こそ悲しけり 友の恋歌 矢車の花」 有名ですね。
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東雲線跡地を探してきましたが、栄町の電停は見つからない。
観光客の多い函館駅前~十字街のメイン通りからは、わずかに300mくらいしか離れて
いないのに、ご覧のように人通りもないし、交通量も少ない。
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多分大火後に造られた広いグリーンベルトがあったので、この辺りかな?と。
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それにしても車が走っていないですね。

グリーンベルトの公園に、こんな碑がありました。

「真心あふれる函館市民、あたたかいまち」、これって、函館市民憲章なのでしょうね。
知りませんでした。
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バス停があったので、この辺りに電停があったのです。
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でも、2時間に1本しか走っていない。もっとも、バスを利用しなくても300mも北へ行けば
電車の電停があるから必要ないかも。
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続いて労働会館前。労働会館とは、労働組合の建物で、昔私が高校生のころ、よく
この建物で反戦集会とかありました。ちょうどベトナム戦争があった1960年代末から
1979年代初めにかけて、反戦歌を歌ったりデモ行進があったりしていましたね。

懐かしいけど、今は建物はなく駐車場となり更地になっています。
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奥の赤レンガの建物は市役所。

ここから繁華街の松風町までは400mくらいか?
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反対方向を見る。宝来町から栄町方面。この道の中央を2車線の市電が走っていたの
ですね。
東雲線1.5kmですから電停間は500mほど。電停の間はだいたい300mくらいだから
結構長い。
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松風町に到着。国産初の2連結型超低床電車らっくる号。アルナ車両株式会社で
10年前の2007年(平成19年)に製造され就役した新型車です。

他の都市の電車では外国製の輸入車を使用していますが、後々メインテナンスを考えると
国産車の方が良いとのことで、初の国産車を生産し使用したとのことです。

らっくるとは、「に乗り降り出来て、フタコブラクダのような電車が迎えに来る」から
「らっくる号」と名付けられたといいます。
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車体のは、夕暮れ時の港町函館をイメージしたイブニング・ブルーパープルで、
は冬をイメージしたスノーホワイトだそうです。

2010年(平成22年)3月24日からは、2号車の運行が始まっています。

松風町から函館駅前方面。
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今までの道のりである宝来町~栄町~労働会館前を振り返ります。
やっぱり、交通量は少ないですね。
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最後に、函館大火で建物・電車が焼失した新川車庫跡地を訪ねました。今は北海道電力
函館支店の建物があった場所で、その手掛かりはないものか、と探しましたがなし。

一応建物を写しましたが・・・。
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ということで、6回に渡り「廃止された函館市電の電停を訪ねて」の小さな旅を終えることに
します。
宿泊を要する旅は、まだ体の調子が戻らず時間がかかりますが、日帰りの無理のない
小旅行なら大丈夫。それで、今回「廃止された函館市電の電停を訪ねて」をテーマに
市内を周ってみました。

普段電車に乗らないから、関心がなかったのですが、そこで調べてみると意外と知らない
歴史がたくさん出てきて興味津々。次から次へと知らない出来事があり面白かったのです。

さて、次はどうしようかな?それは次回のお楽しみ!ということで、では、また!


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