文化の日の昨夜は、ものすごい豪雨。今朝はぐっと冷え込み吐く息は白く
冬に一歩ずつ近づいているんだな、と実感します。
それでも、朝から太陽が顔を出して家の中にいる分には暖房も必要ないし
ポカポカであったかい。
スポーツの秋、今年は見るだけ。今日はラグビー、日本代表がオーストラリア
と対戦、夜は日本シリーズ第6戦。ワクワク・ハラハラする番組が連続します。
さて、今日で2回目となった秋の西部地区は昨日紹介した公会堂の下からです。
真下にあるのが元町公園。

函館湾を見下ろす高台にあって、五稜郭公園内にある箱館奉行所は最初ここに
設けられていました。なぜ五稜郭へ移転したかというと、幕末開港した箱館湾に
入港した軍艦から狙われる場所だったからです。
つまり、港から至近距離になるため大砲が飛んでくる位置で、とても危険。それで
内陸部にある場所に引越ししたのです。
公園内にある建物の一つは、旧北海道庁函館支庁舎で1909年(明治42年)完成。

現在は、元町観光案内所及び函館写真歴史館として活用されています。

カメラに関心がある方は、レトロなカメラなどが展示されていますので見る価値
ありですよ!
そのとなりにあるのが、旧開拓使函館支庁書籍庫。

「明治七年函館製造」、「明治八年函館製造」と刻印がある赤レンガがあり、
完成は1880年(明治13年)。
石川啄木も函館を離れざるを得なかった1907年(明治40年)の大火でも、
この書籍庫は焼け落ちず残ったのですから大したものです。

公園の下の坂は、基坂(もといさか)。

名の由来は、明治時代この坂の下に当時の距離を示す里(り)程元標が建てられた
そうです。1里は、3.927kmで国際基準であるメートル条約に加入した後の1891年
(明治24年)に制定した度量衡法で決められています。
その距離を示す指標である里の数を図る基点があったので、基坂と云う名が生まれた
のです。
もっとも古代は、1時間で歩いた距離を1里呼んだそうですが、大体の目安だったの
でしょうね。豊臣秀吉は1里=36町=3927m に基づく一里塚を導入しています。
同じ1里でも、中国では500m、朝鮮では400mで、国によって違うんですね。
この写真の右側に旧英国領事館があります。

建物の完成は1913年(大正2年)ですが、最初は、今の場所よりもっと北にある
現在の弥生小学校の辺りにあったといいますが、火事などで焼失し移転。
そこで、ここに建てられ第二次世界大戦前の1934年(昭和9年)まで業務は続き
ました。

中庭で、バラが生い茂る美しいパティオですが、さすがに今は一部しかバラの
花は咲いていませんでした。
春や夏、ここで結婚式をするカップルがいます。赤や黄色など様々なバラに
彩られた中での結婚式、羨ましいですね。
内部は資料館や売店、お茶やケーキを出すカフェがあり、特にイギリスのお茶は
とっても美味しかったです。
ということで、異国情緒あるれる西部地区。1854年(安政元年)、前年強引に
訪れて開国を迫ったアメリカ東インド艦隊司令長官のペリーにより、日米和親
条約が調印され伊豆にある下田とともに開港した箱館。
同年、イギリス・ロシア・オランダとも条約を調印し、1858年(安政5年)には
米・英・露・蘭の他フランスとも修好通商条約を結び、外国人が住み生活する
ようになり各国の領事館も建設されました。
次回は、外国人が生活した洋館や開国でぼろ儲けした豪商たちの建物、和洋折衷の
建物などを見ていきます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (6)
北の函館は、紅葉も進み寒くなって来てますねぇ~
こちら九州熊本も、朝晩めっきり冷えて(とは言っても10℃は越えてますが)来ました。
大きな手術以来、常に前向きに人生を楽しんで居られる姿勢に、自分自身のお手本のように、ブログ拝見させて頂いています。
函館の街、歴史ある街並み、建物がたくさん有りますね!
ちょっとだけ、住んでみたくなります(^_-)
次の更新を楽しみに待っております!
ただ、無理はされませんように、願っております。
これ いただきます
ありがとう
本番は 花園で四試合 神戸で四試合
嬉しいです
11月の天気です。道東や道北のようにまだ降雪はありませんが、そのうち降るでしょうね。
年内は無理せずに行動します。
無理せずとも体を鍛えて車中泊の出来る体づくりをします!
いつもお節介ですみません。
函館写真歴史館は、数年前に廃止され、現在入館できません。
火事にあった英国領事館は、弥生小学校地ではなく、そこにあった称名寺を仮領事館とします。その後現在の遺愛幼稚園地に新築するも焼失し、現在地の近くに移転します。焼失地の跡に遺愛女学校、そして現在の幼稚園地となります。
写真歴史館には、レトロなカメラが展示されていて興味深かったのですが、
廃止されていたのですね。公会堂を訪れた日は、中を見ることなく立ち去ったので
まさか廃止されていたとは気づきませんでした。
それにしても、函館は江戸時代の箱館の時から大火が多いのですね。