トランプ大統領が、わざわざゴルフをしに日本へやって来ましたね。本国では、
またしても銃乱射事件が起きて大勢の人々が亡くなっているのに、それも教会
で発生していて、いいんですか?ゴルフをしていて。まったく困ったもんです。
事件の起きたテキサス州は、親の務めとして子供に銃の取り扱いを教えるとか。
射撃場へ連れて行き、指導するそうです。どうしてなんでしょうね?
少なくても日本では、銃規制を徹底的に行って欲しいです。それでなくても恐ろ
しい事件が起きている昨今ですから。
さて、今日は昨日の日和坂を少しばかり下ったところから。

日和坂の由来は、文字通り天気を見ることから付けられたそうです。天気を見て
船の出入りを判断することが出来る高台を、よく日和山とか云いますが、港町で
ある石巻や酒田などに日和山公園があることからも分かります。
高橋病院と書かれたバンが駐車していますが、この建物現在は背後の緑色の屋根が
ある高橋病院の天使寮。とっても素敵な、看護師さんたちの寮なんですね。
昭和3年完成と云いますから、1928年。来年で築90年を迎えますが、以前は海員
ホームで、昭和の初めの時代、港町函館を出入りする世界中の船乗りたちの社交場
だったのです。

上下に開閉する窓なんて、ヨーロッパの建物みたいでカッコイイですね。

まさしく戦前、昭和時代初期のモダン建築です。
さらに日和坂を下り、バスが通る大きな道路へ出ると蔵のある古風な建物が
あります。
海運業で財を成した日下部久太郎の邸宅です。


スミマセン。同じ写真を使用してしまいました。

1871年(明治4年)岐阜県羽島市出身の日下部は、港町横浜・釧路・函館で海運業を
経営、20世紀初め第一次世界大戦時(1914~1918)には、開運・船舶の売買で巨額の
利益を得、その後は金融業を営んだ戦前の函館における豪商の一人です。
1953年(昭和28年)まで82歳の生涯を終えている方ですが、この建物は1917年(大正
6年)の完成で、実に築100年の木造建築です。

見晴らしの良いベランダに大根が干してあって、今でも生活しているのですね。
それにしても、函館山を借景にして絵になります。


ダブルクリックしたので、またしても2回同じ過ちをしてしまいました。
PC技術が下手くそなので、申し訳ありません。
隣接している建物の屋根の形が面白い。屋根のてっぺんにあるのは避雷針で
しょうか?
なかなか凝った建築です。
坂の下を見ると、ウイニングホール・ホテル。

北島三郎記念館を併設していて、5年前の2012年(平成24年)完成ですが、実は
ここには以前、戦前東京以北最大の北日本1のデパートがあったのです。
その名は、金森森屋百貨店。昭和一桁のころまで大繁盛しますが、1936年(昭和11年)
函館駅前へ移転。
建物は終戦時にアメリカ軍に接収され、その後は幽霊ビルとも云われるほど荒廃し、
とうとう21世紀になった2001年(平成13年)に解体されました。
ちょうど電車が来ましたね。

坂の突き当り、函館湾に面した場所にあるのが東浜桟橋で、かつてはそこから
青森へ向けて連絡船が出ていたのです。
もっとも水深が浅く、乗客や荷物は艀(はしけ)を利用して沖合の船まで行った
そうです。
横を見ると、これまたレトロな建築物。

高い石垣の上にある2階建ての木造建築は、相当歴史がありそう。
上へ上がって見ると。

下見板張りで、北海道の民家では珍しい瓦屋根。屋根に雪止めが見えますね。
でも、雪が屋根に溜まって凍結すると、瓦が痛むし割れる心配もあります。
一方、1階の屋根はトタン屋根ですね。
ホームタンクは、本来の大きなものから見て半分の容積。最近はアパートとか
土地の関係で、半分の大きさのホームタンクも多くなりました。
最後に、国の登録有形文化財のプレーリー・ハウス。

柵の中にあって、よくわかりません。
高橋病院内の敷地内にあるので、入ることは出来ず外から写しました。
ということで、函館山山麓の西部地区には歴史を感じさせる建物が今も残っていて、
興味深いです。
観光名所になっているハリストス正教会など有名な建物以外にも、路地裏を歩くと
意外な発見があります。車が入れない人が歩くだけの路地裏に、人々の生活があり
歴史があります。
明日は、さらにいろいろな建物を見ていきます。
では、また!
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