日和坂の突き当りにあるのが船魂神社で、函館西高校と隣接しています。
何と!ここは伝説の上での話だが北海道最古の神社とか。
それでは、行って見ましょう!
早速、鳥居には「北海道最古の」と紹介していますね。それと「義経の里」の
文字も。

左奥に見える建物が、函館西高校の校舎の一部です。
戦前は女子校でしたが、戦後は男女共学へ。卒業生には歌手の北島三郎、作家の
辻仁成、佐藤泰志などがいます。

まずは、案内板を読んで、と。
1135年(保延元年)、この地に良忍(りょうにん)という高僧がやって来て観音堂を
建てたのが始まりとか。
時代的には、平家が政界に進出し始めたころで、平清盛が政権を奪う32年前のこと。
世界では、十字軍の遠征が行われていた時代です。
良忍は、平安時代後期の天台宗の僧で、12歳で出家して比叡山で学んだというお偉い方。
そんなお坊さんが、津軽海峡を渡って函館の地へやって来たのですね。
でも、仏教の僧ですよ。実は、この頃は、神も仏も一緒だったのですね。いわゆる
神仏習合、または神仏混淆で明治維新に伴う神仏分離以前の日本は、1000年以上も
神と仏は同居していたんです。ウーン、納得!

とにかく坂が多く、おまけに階段も登らなければ到着出来ない。そこが坂の多い
西部地区のツライところ。
まずは、手を清めましょう。

慶応の文字が見えますね。幕末のころに造られたものですね。
境内には「融通念仏宗開祖 良人上人巡錫之跡」の文字が。
巡錫(じゅんしゃく)とは、錫杖(しゃくじょうと読み、僧の持つ杖のことです)
を持って巡り歩くことです。
それにしても、今から900年近く前に京都から仏教を伝えにわざわざ北海道まで
すべて歩いてやって来たお坊さんがいたんですね。偉いことです。

義経伝説「童子岩」。
平泉の衣川の戦い(1189年4月)で、義経はお供の弁慶と共に殺されたはずですが、
どっこい生き残り、その後は北上して蝦夷地へ!という伝説が数多くありますね。
ここもその一つです。

背後の大きな岩かな?

と思ったら、目の前にありました。これがそうで、蝦夷地に無事に逃げ延び上陸後、
喉が渇いたので水を探すと、子供が現れて教えたそうです。


それがこれでしょうか?
でも、ここの水少し濁っていますね。実は、この水たまりに願い事を書いた紙を
浸けると願いが叶う、のです。紙と神をかけてますね。

社務所に置かれていた紙。お願い事を書いて鉢に浮かべると叶う、とあります。
しばらくすると水に溶けるというから、人に読まれることもなく祈願出来ますね。
もっとも、これ1枚100円でした。商売上手な神社です。

境内には、船の安全を願う船魂神社だけではなく、稲荷神社などもありました。

商売繁盛、豊作祈願を祈っている神社の稲荷神社には、キツネがつきもの。



七福神まで。

寿老人(じゅろうじん)を真ん中に、恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、
福禄寿、布袋尊の7つの神様。

七福神の信仰は、七福神を参拝すると7つの災難が除かれ、7つの幸せが授かる、
から来ています。
7という数字は、ラッキーセブンと外国にもあるようにハッピーな数字なんですね。
出雲神社や弥彦神社の出張所(?)も。

神社の奥には、「護北神社」の碑もあって、さすがに北の地を護る神様なんだな、と。

ということで、今日は神社や仏教を少しは学べたかな?という船魂神社でした。
では、また!
コメント
コメント一覧 (2)
護北神社は、ニチロビル1号館の屋上にあり、北の海峡での鮭鱒の漁の安全を願う神社でした。
函館国際ホテルを建てるために1号館を解体した際に、その魂を船魂神社に遷座し碑の形状になったのです。
すみません、勉強不足で申し訳ありません。サケマスを捕る漁業の安全の神だったのですね。
これからもご指導お願いします。