ついに、函館市内にも初雪が観測されたそうです。気象台が発表したのですが、
自分としては実際雪を見ていないので、ちょっぴり不満です。
今までも近郊の山には雪が積もって、それは紹介していましたが市街地での初雪
とは!やっぱり11月も中ごろになると冬の季節なのです。
でも、お届けするのは秋の風景。先月10月に訪れた函館山山麓の西部地区の8回目
を紹介します。
北海道最古の神社である「船魂神社」を見て、再び通りへと出ます。
ここは、茶房「菊泉」。ここも格子戸の窓を持つ古風な木造建築です。

八幡坂へ戻る途中の石垣は、函館西高校。

高い石垣が続いていますね。左側奥の白い建物が、ロシア国立極東大学の校舎です。
そして、再び八幡坂へ。

坂を下りずにまっすぐ南へ。函館山山麓をトラヴァースしていきます。
山側にあるのが遺愛幼稚園。
これまた素敵な建物!

1907年(明治40年)の函館大火で初代の建物は焼失しましたが、ここは1913年
(大正2年)にアメリカの篤志家の寄付で再建されたとか。
すごい寄付をした方がいたんですね。遺愛女子学院は、プロテスタントの中学・
高校を持つ学校で、現在は市内東部地区の杉並町に広大なキャンパスを持つ学校
です。

1874年(明治7年)に、アメリカ人宣教師M・C・ハリスが函館へ来て付近の子女を
集めて日日学校(Day School)を開いた、と書かれています。
明治新政府の政策である1868年(明治元年)3月に出された五榜の掲示は、旧幕府の
政策を継承してキリスト教を禁じていました。
それは1873年(明治6年)まで続き、やっと同年キリスト教を黙認したのです。
ハリスが来たのはその翌年のことで、日本の国にはキリスト教に対してまだ偏見と
迫害があった時代です。
だから、宣教活動にはかなりの勇気を要したのではないでしょうか?
そして、黙認された翌年からミッションスクールが開校し、子供たちが通学したことも
素晴らしいこと。
カトリックの全国にある白百合学園も、日本においては函館の地で一番最初に開校して
いますから、函館はキリスト教布教の先進地だったのです。
1878年(明治11年)、フランスのシャルトル聖パウロ修道女会の3人の修道女が函館へ
来て、元町に授産所・病院・孤児院を開き、1886年に女学校を開校している歴史が
あります。
それにしても、ここの幼稚園は素敵な校舎で、学ぶ子供たちも恵まれていますね。
もう一度建物を見ましょう。

この通りの下側には、元町カトリック教会が見えます。

そして、山側にはハリストス正教会がありますが、教会群については後日また
紹介することにします。
チャチャ登りという「坂」の名がない坂です。

チャチャは、アイヌ語で「おじいさん」。ここは急坂で、登るにはおじいさんの
ように腰を曲げて登らなければいけない、ことから名付けられたといいます。
最後に、元町カトリック教会の下にある洋館。

外観からして日本じゃないみたい。どこか、ヨーロッパの建物のよう。
こんな建物が今も残っているのですね。
ということで、西部地区にはまだまだ見る価値のある建築物がたくさんあります。
函館山山麓は、何度訪れても飽きることがありません。来るたびごとに新たな発見
があり、散策することが楽しみです。
寒くなって、手術した傷口が痛みます。散策するには、体を温めなくちゃ!
防寒対策をして、さらにもう一度来ます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (3)
是非、春になったら西部地区散策してみてください。
思わぬ発見がある、と思いますよ。
今の時期は寒いので、無理せずお体ご自愛下さい。