昨日までの寒波で、道北の幌加内町では60cm以上も積雪があり、11月にしては
驚きの雪が降りました。
今日11月22日は、一転雨模様で積もった雪が溶けだしべちゃべちゃ状態になること
でしょう。函館では10cm近く積もった雪も、昨日から溶け出してほとんど積雪なし
になっていて、生暖かい風が吹いています。
どちらにしても、もう真冬に突入した北海道です。
さて、13回目となった西部地区散策の今日は、東坂からさらに北へ進み、弥生坂を
下ることにします。
坂の途中で、また蔵を発見!

イギリス積みのレンガで出来た蔵で、見た目は重層です。ほとんどが個人の所有で
敷地内にありますね。何に利用しているのでしょうか?
多分、想像ですが幕末・明治時代のご先祖様の財産を保管しているのかな?
何が入っているのでしょうね?
西部地区には100以上もの蔵があるそうですよ。すごいですね!
しばらく下ると、バス通りに出てその角にあるのが弥生小学校。

1882年(明治15年)に創建されますが、校舎は何度も大火で焼失、1934年
(昭和9年)死者2166名を出した函館大火の後の1938年(昭和13年)に鉄筋
コンクリート造りの耐火建築で再建されます。
その校舎も老朽化のため2010年(平成22年)に解体され、2年後の2012年に旧校舎
の外壁を一部利用して再再建しています。
実に135年の歴史ある北海道では、一番古い学校の一つです。
校舎の前に「旧寺町界隈」の説明板が。

もともとは、浄玄(じょうげん)寺、称名(しょうみょう)寺、実行じつぎょう)寺
が並び、寺町となっていたのですが、1879年(明治12年)の大火で焼失し、移転。
そのお寺が並んでいた土地に、弥生小学校が建設されることになったのです。

4階建ての立派な校舎ですね。
道路沿いの前庭にはいくつもの碑があり、例えばここは「北海道警察発祥の地」
とか。

1876年(明治9年)に、明治天皇が巡幸した地であるとか。

早い時期に、明治天皇は北海道へやって来られたのですね。
1869年(明治2年)に、蝦夷地を北海道へ改名してから7年後のこの年にはやっと
廃刀令があり、お侍さんの時代に幕が降りるのです。
翌1877年(明治10年)には、維新後国内最大の内戦である西南戦争があり、明治維新
の立役者の一人である西郷隆盛が自刃していますね。
旧アメリカ領事館の跡でもあったのですね。

それは、先に紹介した寺町時代の浄玄寺に1857年(幕末の安政4年)に初代アメリカ
領事館が置かれ、実行寺にはロシア領事館、称名寺にはフランス領事館を兼ねた
イギリス領事館が置かれていたのです。
アメリカは、何せ1854年ペリーが強引に日米和親条約を締結し、下田と箱館を開港
させ、同年に箱館にも寄港していますから当然領事館を開く理由がありますよね。
ロシア・イギリス・フランスも遅れずに領事館を建てたのです。
向かい側にあった元町ホテル。

ここの蔵は、スペシャル・ルームで、実はここは新選組の屯所跡地でもあります。
屯所とは、兵士などが詰めている場所で、きっと土方歳三らがここで待機していた
のでしょうね。
そのとなりにも蔵があって、何と薬局になっています。なぜなら、となりは歯科
だからですね。

弥生小学校の斜め向かい側にあるのが中華会館。

現在は、老朽化のため開館していませんが、かつては一般公開していました。

函館には、横浜・長崎・神戸といった幕末開港した港町につきものの中華街が
ありませんが、幕末以後中国人商人たちはやって来てます。
その彼らが建てたもので、1910年(明治43年)12月に完成ています。

三国志に登場する関羽を祀っているのは、さすがに商売の神様だからですね。

当然、ここは国の登録有形文化財に指定されていました。
明治期の中華会館としては、神戸や横浜では焼失しているため函館のが国内唯一の
建築物で、外観を見るだけでも素晴らしいものがあります。
以前内部を見学したことがありましたが、それはそれは豪華絢爛で派手好みの華僑たち
のコレクションが、これ見よがしに展示されていました。
確か、関羽はそろばんを手にしていた、と記憶しています。かなり昔のことですが…。
では、また!
コメント
コメント一覧 (4)
実行じっこう)寺 →じつぎょう寺
が正しいです。
訂正してblogに載せました。これからも、ご指導お願いします。
来年4月の歴史散歩楽しみにしてます❗
県の決勝 96-0 でした
勝ち過ぎ ゆるむかも?
ラグビーは関西勢がどこも強く、とりわけ大阪の3校、奈良、京都が優勝候補それに兵庫が
続きますね。もっとも、東福岡高校は別格ですけどね。
南北海道代表の函館ラサールは、1回戦を勝ってもらいたいです!