昨日は大雪、何と降雪量は26cmを記録。市民は除雪に汗を流していました。
新聞によると、今月1日からの累積積雪量は43cmで、これは平年値の3.3倍だ
そうで、過去1983年、1981年以来とのこと。
![[画像:837f38c4-s.jpg]](https://livedoor.blogimg.jp/oonoseiichi123/imgs/8/3/837f38c4-s.jpg)
ここ数年は、雪も少なく12月でも自転車に乗れたことがありましたが、今年は
11月中旬整備して物置に収納、自転車は無理、いや歩くのも難儀するほどです。
積雪は、昨日の段階で道内では倶知安の45cmに次いで2番目。小樽や札幌よりも
多いのです。まったく参りました。
![[画像:6a0615a2-s.jpg]](https://livedoor.blogimg.jp/oonoseiichi123/imgs/6/a/6a0615a2-s.jpg)
さて、今日紹介するのは、「胃袋の宣教師」と呼ばれたドイツ人食肉マイスター
のカールレイモン(1994~1987)さん。
皆さんは、ハム・ソーセージと云えば、日本ハムを真っ先に思い浮かべますね。
もちろん北海道では、ファイターズのスポンサー企業ですから当然です。
他には丸大ハム、伊藤ハムなどですかね。
今日は、函館で古くから愛されているカールレイモンのハム・ソーセージを紹介
したいと思います。
彼の工場で生産されたハム・ソーセージは、ここ元町の大三坂と二十間坂の間にある
お店で販売されています。

工場は、市内東部の鈴蘭が丘の工業団地内にあり工場見学(無料)も可能です。
ここは、昔彼の住居(右となりの建物です)もあった場所ですので、いわば
発祥の地。

1894年に、当時ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国内ボヘミア王国
の都市カルルスバード(現在のチェコのカルロヴィ・ヴァリ)にて誕生。
父親は食肉加工職人で、14歳で家業を継ぎます。
欧米で修行し、アメリカから母国へ帰る途中で日本に立ち寄り、当時外国人が
生活しやすい門戸開放した町であった函館で、ある女性と出会います。
名を勝田コウさんといいました。28歳で彼女と結婚し、函館でハム・ソーセージの
店と小さな工場を1924年に開業。
大正13年という時代は、ハム・ソーセージを食べる習慣がなく、新しいもの好きの
函館市民も食べなかったといいます。
それでも函館に住む外国人の間で評判が広がり、たまたま函館に寄港したドイツ
軍艦から大量に注文があったことで大きな利益を生み、工場建設となったのです。
1935年、41歳の時に長女フランチェスカさん誕生。
しかし、4年後の1939年から始まった第二次世界大戦中では同盟国ドイツ人なのに、
外国人というだけで迫害を受け操業停止処分となります。
戦後再び生産を開始し、その味は函館だけではなく道内、全国に広まり、その味は
絶品で数々の賞をいただいています。
1974年には西ドイツ大統領からも勲章を受けています。
1987年末に脳梗塞で死去。93歳でした。
となりの旧宅です。

奥様となられた勝田コウさんは、当時の函館における大きな温泉旅館である
勝田旅館の娘さんで、恋に落ちますがコウさんは1901年(明治34年)生まれで、
出会ったときは21歳。カールレイモンさんは28歳でした。
いくら国際色豊かな港町函館でも当時は国際結婚はほとんどなく、当然コウさん
の家族は大反対。
しかし、恋に落ちた二人は駆け落ちしてドイツへ行き、そこで2年間生活します。
その後函館の親は二人を許し、1924年に函館へ戻りお店を開いたのは先に紹介した
通りです。

1930年(昭和5年)に建てられていますね。ここで生活したのは1937年(昭和12年)
からです。

こうやって調べてみたら、カールレイモンさん、これまたすごい人生ですね。
まさに情熱の人です! あっぱれ! あっぱれ!
函館市の大きな功労者の一人です。
その日の帰り、旧東川小学校跡地へ。

沿革を読むと、1936年(昭和11年)に東北・北海道随一の校舎完成と
あります。卒業生は11059名、65年の伝統と。
残念ながら2001年に閉校し、となりの大森小学校と統合しあさひ小学校と名を
変えて旧大森小学校の敷地に新しい小学校が誕生しています。

敷地は、現在市営住宅へ。

ということで、今日はカールレイモンさんの偉大さを学びました。
めでたしめでたし。
では、また!
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