市内青柳町にある函館公園は、今から138年前の1879年(明治12年)に開かれた
北海道初の公園です。
明治12年というと、日本最初の地方議会である東京府(当時は都ではなく府でした)
に府会が開会されたこと、沖縄では琉球藩及び琉球王国が廃止されたこと、いわば
歴史上琉球処分がなされたこと、そんな時代です。
明治維新から11年目のことで、まだ文明開化の花が開いたばっかりの頃です。
当時の日本人は、市民が憩い・集うことが出来る公園の意味を知っていなかったはず。
そんな時代に、函館にあったイギリス領事館の領事を務めていたユースデンが公園を
造ろうと、市内の豪商たちに呼びかけ寄付金を集め、国からも補助金が出て前年の
1878年3月から1年7か月を要して完成したものです。
それも、東京や大阪といった大都市ではなく、首都から遠く離れた蝦夷地から改名され
北海道となって10年しか経っていない地方都市の函館で公園が出来たのです。

そんな市民公園を散策します。
イギリス領事のユースデン夫妻は「病人には病院が必要であり、健康の人には養生の
ための公園が必要」(「市電で巡る函館100選」より)と、市民に憩いの場の必要性を
訴えたことから公園が造られました。
封建社会からやっと解放されて、西欧の文明が少しずつ受け入れてきた時代ですが、
当時は市民という概念もなかった時代です。
それでも、函館の多くの人々はスコップ片手に公園造りを手伝ったそうです。
北海道開拓使函館支庁長の時任為基は、囚人までも動員して山を削り、さらに遊郭の
芸者さんたちまでも残土を運び、樹木を植えるなどのお手伝いしたそうです。
重機のない時代だから、全部手作業だったのです。
まさに市民の公園が完成したのです!すごい!

思わぬものを発見!

箱館通寶(寶は宝の旧字体) 銭座跡の石碑が。
左の説明を読んでみましょう。

幕末、開港してまだ2年目の箱館で幕府は蝦夷地でしか通用しないお金の鋳造を
ここで始めたとのこと。
ここは、箱館でも当時は尻澤辺村字谷地頭と呼ばれていたんですね。
尻澤辺村に関しては、今までのブログでも何度か登場しています。青柳小学校の
石碑にも尻澤辺村のことが書かれていたし、湯の川の漁村に「是より西は尻澤辺村」
の石碑もありましたね。
今から160年も昔、ここで通過が生産されていたとは!驚きです。
それも蝦夷地のみ流通できないお金とは!
銭座とは、そのお金を鋳造する工房みたいな場所ですね。生産工場があったのです。
コンクリートの滑り台の跡も発見!

石造りの滑り台跡で、当時の写真もありますね。
当時は、こんなものでも遊べたのですね。

公園内には、昨日お伝えした図書館だけではなく市立博物館もあります。
まさしく文化の場所でもあります。

展示物としては、ペリー来航(1854年)時の資料や過去何度もあった函館大火のこと、
アイヌ風俗画など約62万点もの収蔵品があるのです。

何度か見学したことがありますが、この日も入ろうととしたら月曜日は休館日
とのこと、残念・・・。また次の機会に見学しましょう。
ということで、また明日!
コメント