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今日は真冬日、太陽が顔を出していても風が冷たく、さすがに最高気温でもマイナス
だと感じました。

それに加えて毎日雪が降ります。新聞によれば、函館の累積降雪量は平年の2.4倍の
91cmだそうで、通りで雪が多い年だということが分かります。

道内の7日の最低気温は、十勝の陸別町でマイナス23.8℃。これだもの、陸別では
オーロラが見れます。それだけ寒いということ。道内のあちこちで、ダイヤモンド
・ダスト現象が見れたことでしょうね。

さて、20回目となった函館山山麓の西部地区散策は旧幕府軍の兵士たちが眠る碧血碑
(へっけつひ)から。
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中国の故事に「忠義を貫いて死んだ者の血は、三年たてば地中で宝石の碧玉と化す」
という伝説がありますが、ここはそれにちなんで名づけられています。
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箱館戦争は、幕末の戊辰戦争のファイナルで五稜郭や市内各地で、旧幕軍が統治する
「蝦夷共和国」に対し、薩長中心の新政府軍が仕掛けた戦いです。

イギリス軍が味方し最新軍備力に勝る新政府軍の勝利に終わり、旧幕軍は「賊軍」の
汚名を付けられ戦場の死体は放置されました。賊軍の死体は葬るな、と。

埋葬されないまま放置された死体は、腐敗し無残な姿をさらけ出していました。
当時、箱館で任侠をしていた柳川熊吉は見るに見かねて、その死体を集め丁寧に葬った
といいます。
そばには、その彼の碑がありました。
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また2枚同じ写真を使ってしまい申し訳ありません。PC苦手な高齢者に免じて
許して下さい。

この碑は、戦争が終結し新しい時代明治が始まり8年経った1875年に建立
されています。碑の裏に何か文字がありました。

書かれている意味は、「明治2年に、このことは実際にありました。山の上に石を
建てて悲しみを気持ちを表します」と。

つまり、明治時代初期は戊辰戦争の内容に触れることははばかれ、曖昧な表現で書かれ
ざるを得なかったのです。それだけ、薩長の政治力が強く旧幕府のことを言葉にすること
が出来なかった時代だった、ということです。


この高さ6mもの碑は、生き残った旧幕臣の榎本武揚や大鳥圭介らが、伊豆産の石を使い
東京で造り船で運ばれて来たもの。

碑石の文字は、大鳥圭介のものと云われています。
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徳川・・・宮田登輔の文字が見えますね。彼も旧幕臣だったのでしょう。
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今でも、土方歳三ファンかな?千羽鶴が添えられています。
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カギがかかった内部に、旧幕軍の戦死した兵士たちの骨が眠っているのでしょう。
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土方歳三は箱館で戦死していますが彼の遺体は発見されておらず、ここには骨は
ありません、が彼もまた旧幕軍の一人で仲間ととともに葬られているのです。

夏には、よく土方ファンが訪れています。

ということで、西部地区でも函館山中腹にあり観光名所からは遠い場所にある
碧血碑は、それこそ歴史好きで土方歳三ファンくらいしか訪れることのない
ひっそりとした山中にあります。

では、また!

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