昨夜は、台風並みの強風と豪雨。一晩で100mm以上降り、大雨警報と同時に市内一部で避難の
呼びかけもあったほど。朝起きて畑を見たら、ほとんど収穫寸前のとうもろこしがすべてなぎ
倒されていて、壊滅に近い状態。
何とか、一部を直したけど他のも倒れたり冠水してダメだったものを入れると、昨日の風雨は
激しいものでした。朝のニュースを見たら、「大雪山で初雪」とか「札幌市内は10月の気温」
で、寒い話ばっかり。函館はそうでもないけど、とにかく強風が午前中吹きまくっていました。
さて、横手城を見学後後三年合戦金沢資料館へと向かいます。何せ、100円で4つの資料館を
見学できるのだから格安です。横手市太っ腹!
その前に、横手市市街地北部に位置する10世紀後半から11世紀末頃までの居館跡が、発見
された大鳥井遺跡を見学。

時代は、前九年合戦・後三年合戦の年代のもので、詳しくは資料館へ。

まずは、ビデオを拝見して時代背景を探ります。
前九年合戦とは、1051年~62年、時代は平安時代後期。陸奥の土豪であった安倍頼時が国に
反抗します。安倍氏は、安倍晋三の先祖?、とかって云われてますよね。
朝廷の命令で源頼義・義家が清原氏の助けを得て平定し、源氏の東国における勢力確立する
わけです。
源頼義・義家親子の4代後に頼朝・義経兄弟が出てきて鎌倉時代が始まりますが、その130年前の
出来事です。
古代東北の在地豪族だった清原氏は前九年合戦で地域の支配者へ、その30年後の1083年~87年、
ところが清原氏に相続争いが起きます。その争いに、再び陸奥守として八幡太郎のニックネームの
源義家が介入し、金沢柵で勝利し滅亡させます。
それに協力したのが藤原清衡で、安倍・清原両氏の支配地を継承し、平泉を拠点にして子の
基衡・孫の秀衡と奥州藤原氏3代の栄華を開くのです。あの中尊寺金色堂を建立した人物でも
あります。
そして、源義家は二つの戦いで武勲をあげ関東の武士の信望を高めるわけです。

「後三年合戦絵巻」が展示されています。

金沢柵(金沢城)にある兜(かぶと)杉。巨大な杉の木ですね。

説明板を読むと、秋田藩主の佐竹氏は八幡太郎こと源義家の弟の義光の末裔なんですね。

後三年合戦は後の世に2つの影響を与えています。
①藤原清衡は、奥州の遺産を受け継ぎ以後80年にわたる平泉黄金文化の礎を築いたこと。
②源義家は、勝利したものの朝廷から恩賞をもらえず私財で部下に褒賞を与え、それで主従関係が
強まり源氏の名声を高め、後の鎌倉幕府などの武家政権成立のきっかけとなったこと。

ここで、思わぬものを発見!
何と!納豆発祥の地だそうです。

戦いの折り、農民に煮豆を俵に詰めて供出させたところ、数日をへて香を放ち糸を引くように
なった、と。
これに驚き食べてみたら美味しかったので食用とした。農民もこれを知り、自らも造り後世に
伝えたという。
へぇー、知りませんでした。
その後は国道を避け、学芸員さんから教えてもらった「みずほの里ロード」を一気に走り田沢湖へ。

田沢湖を一周する前、大きなホテル付近の駐車場でブログ作り。なぜなら、ホテルのWi-Fiが
飛んでいるから。その後は周囲約20kmの田沢湖を一回りして、今日の宿泊地へ。

それが、ここ。場所は御座石神社の近くの東屋。この下にはトイレもあるし、水道は5㍑タンクに
たくさんあるのでOK。

小雨が降ってきたけど、気にするほどのことはない。田沢湖は霧で覆われて視界不良だけど、
明日早朝に拝めれば大丈夫。ということで、今日も一人だけの車中泊。
今日のコタロー日記。

午後から太陽が顔を出してきて暖かくなったので、外を見たら出たくなったコタローです。
時々、我が家の庭を野良猫がでかい顔をして横切るんだよ。
それを見て、少しはビビるんだけど、ちょっぴり外出してみたくなったんだ。

でも、我が家の人たちは絶対に外へ出したらダメ!と。出たら捕まえられないから行方不明に
なっちゃうから、外出させないと。
よく貼り紙があるよね。「子猫見かけませんでしたか?」の。
我が家のリビングは体育館みたく広くて、いつも走り回っているんだけど、たまには外に出たいな!
コメント
コメント一覧 (2)
コタローくん、元気そうですねぇ。
ところで、こんなところに納豆発祥の地があるなんて驚愕です。当然水戸近辺の田舎の村だろうと思っていました。タカノフーズに見学に行ったときに出ていたのかなぁ。
函Gさんのブログは勉強になります。
私も、納豆だから水戸あたりかな?と思っていたので、まさか秋田県にあるとは驚きです。
秋田と云えば、金足農業高校頑張っていますね。ベスト4入りですよ。
富山の高岡商業も頑張りましたけど、相手が横綱大阪桐蔭でしたからね。
金足農に、東北に初の栄冠をもたらしてくれること期待しています。