9月22日土曜日、久しぶりに夜半からの雨で畑にとっては、良いお湿り。今日は1日中雨とか。
でも、明日からは秋晴れでしばらく続いてもらいたいものです。
ファイターズ、今年はパリーグ優勝はほとんど不可能で、西武ラインズに間違いないでしょう。でも、2位は確保して欲しいのだが、何だかそれも怪しくなってきたような。
さて、国道452号線を北上し三夕トンネルを越えると、三笠市へ。ダム湖である桂沢湖の桂竜橋を左折、右折すると芦別へ向かいます。左折して道道116号線を西へ進むと、三笠市立博物館へ到着。

入館料は450円だが、三笠鉄道記念館との共通券を購入。650円でどちらも見れます。
まずは、左の建物へ。日本一のアンモナイト博物館だそうで、テーマは「三笠一億年の歴史」。
1億年前の中生代白亜紀の北海道産「アンモナイト」を中心に1000点の化石を展示。
イカやタコの仲間だそうで、中生代の海で大繁栄していたとか。国内では、北海道から最も多く発見されているそうです。

巨大なものは、日本最大の直径138㎝。

恐竜も展示。
恐竜と云えば、福井県や道内ではむかわ町の穂別が有名だけど、ここ三笠でも出土しているんですね。

「アロサウロス」。ジュラ紀最強の肉食恐竜の全身骨格レプリカで、大腿骨化石は、実物で触れることが出来ますよ。

子供たちが見学したら面白いでしょうね。
私の長男が子供の頃は、すべての恐竜の名を覚えていて、絵を指さすと正確に答えていたことを思い出します。子供の頃の方が、好きなものを記憶する能力は高いですよね。成人した今では、ほとんど忘れたとか。

一方、右の建物は①郷土出身者の足跡、②北海道開拓と囚人、③炭鉱と人々のくらし、④森林資料展示室といろいろなテーマ別コーナーがあって、まずは北海道最初の近代的炭鉱で、1879年(明治12年)に開かれた幌内炭鉱について見学。
昭和期の炭鉱で使用された機器類を中心に、明治から平成の閉山の炭鉱の歴史を見ることが出来ます。

ここでもっとも興味深かったのが、明治時代の開拓期における三笠市の郷土資料です。
実は、合併して三笠市になる以前の市来知(いちきしり)村には、1882年(明治15年)に空知集治監
(刑務所)が設置されたことです。

監獄といえば網走が有名ですが、実は北海道に最初に出来たのは樺戸(現在の月形町)で1881年(明治14年)のこと。その翌年に空知集治監(明治15年~34年まで20年間設置)、さらにその3年後に釧路(標茶)に、1891年に釧路集治監網走分監が出来ています。
北海道に出来たのは、ロシアの南下政策に対抗するため開拓が急務となり、道路建設・炭鉱や硫黄の採掘に従事させるために囚人を本州から連れて来たのです。当然、空知集治監では囚人たちを幌内炭鉱で使役させたのです。
囚人と言っても、その多くは1877年の西南戦争などで捕縛された士族たち、さらには1884年の秩父事件などで逮捕された農民たちで、政治犯や思想犯の人たちでした。

右下に五稜郭の戦いを指揮した「蝦夷共和国」総裁の榎本武揚の写真がありますよ。
彼は、死刑を免れ明治政府の官僚として生き延びますが、ここと関係があったのですね。

北海道に多くの集治監が出来た背景は、出所後も現地に留まらせ、少しでも人口増へつなげるためでしたが、実際には過酷な奴隷のような強制労働で多くの者が亡くなっています。
明日、その空知集治監を紹介いたします。
博物館広場でランチタイム。その後は旧奔別(ほんべつ)炭鉱立坑櫓へ。

1900年(明治33年)に開鉱し、立坑櫓は深部の採炭の開発や運搬などを目指し、1960年(昭和35年)に操業しています。だから、この櫓は58年前に建てられたもの。
高さ51m、深さは何と!735m、内径は6mあり操業当時は東洋一の立坑と呼ばれていたそうです。

ということで、三笠の歴史を少しでも垣間見られた感じで、明日は空知集治監跡地へ向かいます。
なお三笠の名の由来は、空知集治監が設置された際、ここの山が奈良の三笠山(若草山)に似ていることから、「三笠山」と呼ばれるようになったそうで、1906年(明治39年)幌内村・幾州別村・市来知(いちきしり)村が合併し、三笠村となっています。
現在の人口は8600人ほどで、最盛期は4万人(1970年)。
北海道最初の近代的炭鉱、最初の鉄道(手宮ー幌内間1882年)、最初の電話開通(手宮ー幌内間1833年)上水道の設置(ヌッパ水源地から空知集治監まで)が行われた地域で、「北海盆歌」発祥の地でもあります。
では、また!
今日のコタローです。

早朝から遊びまっくて、疲労困憊。それに天気も悪いから、気分も最悪。
ここんな時は寝るに限る。ということで、おやすみ・・・。



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