義経伝説を求めて日本海沿いを北上中です。昨日は、静御前最期の地である乙部町でランチ。その後は、八雲町熊石区で歴史資料館へ、ここでは義経に関するものはなし。
途中で見かけた親子熊岩は、義経とは関係ありません。
義経と弁慶は姫待峠を越えて噴火湾へと行ったのかな?そして再び日本海へと戻ったのか?
それとも、船で乙部から寿都へと行ったのか?
いずれにしても、熊石と大成には痕跡なし。しかし、ここには江戸時代に歴史に名を残す人たちが滞在しています。
最上徳内、菅江真澄、松浦武四郎さらには円空、木喰など。
秘湯「臼別温泉」で一風呂浴びた午後3時ころより雨が降りだし、夜は豪雨へ。今も降り続いています。
昨夜は、今年ヒグマが町内あちこちに出没して全国的に有名になった島牧村の道の駅で車中泊。
今朝の1枚目は。島牧村の江ノ島海岸。もしかして、義経は鎌倉の海岸を思い出して名付けたのか?と空想しましたが・・・。
このblog、寿都町の道の駅で作成。しばらくして晴れて来ましたので、もう一度弁慶像へ。
弁慶が旅たつときに、お世話になったアイヌの人たちに「必ず二つ森に戻る」と、そして秘蔵の金の銚子と盃を埋めたそうです。「これを掘り出したものは、天罰が下る」と言い残して。
ただ今、午前10:12.。このあと、義経と弁慶は雷電海岸を北上しているので、追跡を開始します!
では、また!










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