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今日10月29日月曜日、夜から激しく雨が降っています。今日は、多分1日中雨模様でしょう。と思っていたら、午前10時過ぎには太陽が顔を出して来ました。

雨と云えば、秋の旅で島牧村で車中泊した日の朝も大雨でした。この写真も雨の中で写したもので、かなり強く降っていました。
さて、ここ島牧村の海岸の名は?というと、江ノ島海岸です。南側のせたな町方面を見ています。
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一方、逆の北側方面は、寿都町方面。きれいな砂浜に降りたかったが、雨が強くて車の前で写しただけです。
ここの海岸は、メノウなどきれいな石が良く発見されていて、何度か来ている海岸ですてきな石を何個か拾って持ち帰ったこともあります。

ここの名前、鎌倉の近くの江ノ島海岸と同じ名ですよ。
平家を壇ノ浦で勝利し滅亡させ、兄頼朝のいる鎌倉へ凱旋帰国しようとして、その手前の腰越でその頼朝により差し止められます。
義経と弁慶は、蝦夷地に渡り北上してここへ来たときに、「あぁー!ここは鎌倉の江ノ島海岸に似ているきれいな砂浜海岸だ!」と、名付けたのでは?
これは私の勝手な想像、いや妄想です・・・。
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そして、寿の都と書いて「すっつ」と読む寿都町に到着。ここは、市街地の外れにあるその名も
弁慶岬。灯台もあって、日本海へ灯りを発しています。
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灯台の前にある公園には、凛々しい姿で立つ弁慶像が!ちょうどハマナスの赤い花が咲いている時期で、3.6mあるその巨大な姿は、なぜか少し淋しい雰囲気も漂わせていますよ。
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この像、1988年(昭和63年)4月に建てられたもので、今年で30年。台座には、この地で援軍を待っていた弁慶の気持ちを表す「想望」の文字が記されています。

裏を見ると、「衣川の難を逃れ、義経とともに津軽から海を渡り、この地へ。ここではアイヌの人たちとともに暮らし、毎日岬の先端に立って援軍である常陸坊海尊を待っていた。が、いつまでたっても援軍は来ず。さらに北の雷電を目指した。」と。
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そして、背後にある小高い丘「二つ森」。ここにも弁慶伝説があります。
いよいよ旅発つとき、お世話になった地元のアイヌの人たちに、弁慶は秘蔵の金の銚子と盃を取り出して、二ッ森の白の花咲くキキョウの根元にそっと埋めた、といいます。

彼は、「必ずや生まれ変わって戻る」ことを約束し、さらに「これを掘りだす者は、天罰が下るだろう!」と言い残して雷電方面へ去っていったのです。
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ようやく雨が上がって太陽が顔を出してきた弁慶岬。弁慶像と二ッ森です。
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弁慶と同じコースとたどり、雷電を目指す途中、寿都町の歌棄(うたすつ)にて、稲穂岬と恵比須神社。
寿都湾をはさんで対岸に弁慶岬を見る。この辺りは、明治時代ニシンの豊漁で賑わったところ。
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湾の奥には、風力発電の風車が何基も立ち並んでいますね。
ここは、風の強い地域で、冬には波の華が開く場所でもあります。波の華って、知っていますか?
風の力で波が泡立ち、花のようになる現象です。
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ニシン御殿もあって、昔は相当華やかだった地域です。
江差追分の歌詞「忍路高島 およびじゃないが せめて歌棄 磯谷まで」と書かれた歌碑があります。
最盛期は、寿都は人口3万人が住んでいた、といいます。それだけ繁栄した時期があったのですね。
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蘭越町を通過して岩内町へ。日本海沿いは荒々しい断崖絶壁の海岸が連続し、トンネルをいくつも通ります。
岩内町に入り、最初の地域が雷電海岸。右端に見えるのは、弁慶の刀掛け岩。その岬を刀掛岬と呼びます。義経・弁慶一行は、しばらく雷電に滞在している間、弁慶はしばしば磯釣りを楽しんだといいます。
それにしても、弁慶は片時も離さない刀ですが、一休みした時に近くの岩をチョイっと一捻りして、刀を掛けたのです!?
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「或る女」・「カインの末裔」などで知られる作家の有島武郎の碑がありますね。
ニセコ町には、彼の記念館もありました。
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廃墟となった雷電温泉ホテルです。ここ雷電の地名も義経伝説の一つ。

義経一行は、ここ雷電でアイヌの首長チパと戦い囚われの身に、勝利したアイヌたちは祝おうとしたら祭壇が崩れ、これは義経を捕らえた神罰と悟ります。その後は義経一行を手厚く介抱し、そのうちチパの娘のメヌカと恋仲へ発展。(この後、さらに何人ものアイヌの娘が義経と恋に落ちます。義経モテ男ですよ!)
元気を回復した義経は、さらに北へ。出発の時、メヌカを慰め「来年にきっと帰る、それまでの別れだ。」と。メヌカも「来年まで待っているわ。」
二人の交わした言葉の「らいねん」がいつしか「らいでん」の地名になったといいます。

ホントかねぇー?
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サーフボートに乗った4人が刀掛け岩の裏側へ行こうとしていますね。
裏側には、武器屋財宝が眠っている不落の洞窟があるのです。
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刀掛け岩を海沿いに南に回れば、内部の高さ16m、幅4m広い場所では20m、奥行き80mまで確認されている洞窟、そこにアイヌの首長チパが隠した武器・財宝が眠っているという伝説があります。

底知れない穴があって、そこは義経と別れ1年経っても帰って来なかったことを悲しみ、投身自殺したメヌカの「悲恋の穴」と呼んでいるとか。
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真ん中に見える赤っぽい岩、これが弁慶の薪積岩(まきつみいわ)と呼ばれている岩。
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下からズームしたら分かりやすかったです。
力持ちの弁慶、ここに来たのは4月の終わりでも、気温は低く寒い。そこで、暖を取るために薪を切って積み上げたがそれが化石となった、といいます。
ウーン、ここまで来ると信憑性が下がりますなぁー。単なる形状節理の岩のような気がしますが…。
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眼下には、弁慶トンネルが見えています。横には、かつての旧道があって、険しい道のりだったのことが偲ばれますね。
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ということで、寿都町と岩内町に入った途端、いくつもの伝説がありましたね。
岩内町では、この後「義経・弁慶ロマンの会北海道 岩内支部」の会長さんにお会いすることも出来、
いろいろとお話を伺うことも出来ました。
さらには、岩内町に残る伝説の場所も教えていただき、訪れることに!

それは、また明日! では、また!

今日のコタローです。
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トイレをしている時は、神妙な顔をしているコタローです。
トイレの砂と呼ばれる木のチップ材で、濡れた部分だけ小さなプラスチック・スコップですくって、
燃やせるゴミとして捨てれます。

コタローは、5か月目に入るよー。体もドンドン大きくなってきたよ。
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よく遊び、よく寝て、よく食べる!これ生きていく上で、絶対大切なこと!ネコの3か条だよ。
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その後は、外を見たりのんびりとしているんだ。落ち着くことも必要だからねぇー!
慌てたらいけないよ!のんびり、ゆっくり暮そうね!
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