8月28日金曜日、天気は朝から快晴で気温は今年最高の31℃を記録する勢いで朝からムッとするくらい上昇しています。午後2時あたりは一番暑い時で、外に出るのがイヤになるほどです。
もっとも、真夏日は1年のうちに何度かあっても猛暑日はまったくなく、その点は本州の猛暑日連日という都市とは全然違い、まだ涼しい方なのかも知れませんが。
それでも、暑いのは事実で30℃という気温に体が慣れていなく、家の中にこもってエアコン利かせてゆったり・のんびりするのが賢明、と。運よく知り合いが訪ねてくれて、午後3時までいたので家の中で涼んでいました。外には出たくな~い!
さて、旧国鉄の士幌線跡を訪ねて昨日紹介した「東たいせつ自然館」を出発し、一路北の旧十勝三股駅へ。5kmも走らないうちに、早くも「旧士幌線橋梁」の看板があり、駐車場も完備していて歩いて現場へ。トンネルは、さすがに塞がれているけどその近くまでは歩いて行ける。

糠平湖は、人口湖でいわゆるダム湖。自然の湖ではなく、主に農業用水確保とか水害防止または発電用にと多目的ダムを建設して、その結果出来た湖で、反面そのせいで湖の下に沈んだ集落もあることは事実。
ダム湖は、形を見ればすぐに分かります。まずは、ダムの突堤があるから、ある場所は直線になっているし、周辺の川から湖にいくつもの川が流入していて、写真の川もその一つ。

中央奥に見えるのが糠平湖。道東最大の河川である十勝川の支流の音更(おとふけ)川をせき止めて出来たダムは、主に電源開発で水力発電のためのダム。1955年に完成しているから、1925年に開通した士幌線の後に出来たダムです。
北海道では、幌加内町にある朱鞠内(しゅまりない)湖に次いで2番目に面積の大きな湖のダム湖。
ヌカビラとは、アイヌ語で「人の形をした岩」と意味だそうです。しかし、その人の形をした岩はダムの底に沈んでいて今は見ることが出来ません。

左の外側、赤錆びた鉄製の橋が旧士幌線で、右側の銀色の橋は観光用で鉄道の跡地を見学に来た人のための橋です。
1925年に士幌線は開通したけど、戦後の1955年に糠平湖が完成したため、ダム湖が出来る以前の士幌線は湖の底に沈んでしまったのです。だから、この鉄橋はダム湖完成後の1956年以後のものです。

しかし、列車が走ったのは20年ちょっと。なぜなら・・・。

ここを鉄道が走っていたのですが、それも1978年まで。かつては林業を中心とする人々を中心に人口1500人を越える集落だった十勝三股も今は2軒のみで、それはログハウスのレストランと道路管理の人の家のみ。
1978年からは列車運行を休止し、上士幌タクシーによるバス運行へと切り替わります。

今回一番行きたかった場所の「タウシュベツベツ橋梁」が遠くに見えています。
ここは糠平湖の北で、ダム湖の堤からは一番遠い場所で、それこそ音更川の上流部分。
分かりやすいようにズームして見ましょう。

コンクリート製の橋が見えてきましたね。これはダムが出来る以前の線路跡で、戦前に造られた橋です。

1937年、戦前と云っても、第2次世界大戦のが始まる2年前のこと。もっとも日本は既にこの年に中国と戦争(日中戦争)を始めているし、それよりも前に柳条湖事件(1931年)から満州事変を起こしているさなかです。そんな状況下で鉄道建設が開始されたのです。
橋の長さは130m。利用されたのは20年もなく、戦後の1955年に糠平湖が出来てから使用されずに、「幻の橋」と呼ばれてきました。

もうすでに崩壊寸前で、見えなくなる日も近い。
6月頃から沈み始め、10月には完全に沈み、1月頃に再び現れると書いてますが、今回見れたのは昨年の冬は降雪が極端に少なく、よって川の水量も少なかったからです。
実際、自分は夏に3回来ていますが、過去2回は川の底で見ることはかなわず、今回初めて見れたのです。

国道の駐車場から歩くこと200mくらい。深い針葉樹林の森の中を歩いてきますが、あちこちに「熊出没!」の看板有り、ちょっぴり怖い。でも、結構見学しに来る人がいて安心。

この道は、廃止以前に鉄道が走っていた線路跡。まっすぐに道は延びていますね。

逆側もそう。この道をずーっとたどれば十勝三股駅跡へ行けますが、ここからさらにもっと北。
雨も降り続けているし、今回はここで断念。十勝三股駅跡へは次の機会としましょう。

駐車場から60m、展望広場まで120mとあり、5の沢橋梁まで1.6km、3の沢橋梁まで3.8kmとあります。しかし、3の沢橋梁まで歩いたら1時間以上かかること必至。熊の生活圏のここで1時間も歩いたら出会うことも可能性大ありですよ。

ということで、旧士幌線跡を訪ねてはこれで終了。念願のタウシュベツベツ橋梁跡を見れたことが最大の成果で、来たかいがありました。
明日は、さらに北海道拓殖鉄道という戦前の鉄道跡を追うことにします。
では、また!
もっとも、真夏日は1年のうちに何度かあっても猛暑日はまったくなく、その点は本州の猛暑日連日という都市とは全然違い、まだ涼しい方なのかも知れませんが。
それでも、暑いのは事実で30℃という気温に体が慣れていなく、家の中にこもってエアコン利かせてゆったり・のんびりするのが賢明、と。運よく知り合いが訪ねてくれて、午後3時までいたので家の中で涼んでいました。外には出たくな~い!
さて、旧国鉄の士幌線跡を訪ねて昨日紹介した「東たいせつ自然館」を出発し、一路北の旧十勝三股駅へ。5kmも走らないうちに、早くも「旧士幌線橋梁」の看板があり、駐車場も完備していて歩いて現場へ。トンネルは、さすがに塞がれているけどその近くまでは歩いて行ける。

糠平湖は、人口湖でいわゆるダム湖。自然の湖ではなく、主に農業用水確保とか水害防止または発電用にと多目的ダムを建設して、その結果出来た湖で、反面そのせいで湖の下に沈んだ集落もあることは事実。
ダム湖は、形を見ればすぐに分かります。まずは、ダムの突堤があるから、ある場所は直線になっているし、周辺の川から湖にいくつもの川が流入していて、写真の川もその一つ。

中央奥に見えるのが糠平湖。道東最大の河川である十勝川の支流の音更(おとふけ)川をせき止めて出来たダムは、主に電源開発で水力発電のためのダム。1955年に完成しているから、1925年に開通した士幌線の後に出来たダムです。
北海道では、幌加内町にある朱鞠内(しゅまりない)湖に次いで2番目に面積の大きな湖のダム湖。
ヌカビラとは、アイヌ語で「人の形をした岩」と意味だそうです。しかし、その人の形をした岩はダムの底に沈んでいて今は見ることが出来ません。

左の外側、赤錆びた鉄製の橋が旧士幌線で、右側の銀色の橋は観光用で鉄道の跡地を見学に来た人のための橋です。
1925年に士幌線は開通したけど、戦後の1955年に糠平湖が完成したため、ダム湖が出来る以前の士幌線は湖の底に沈んでしまったのです。だから、この鉄橋はダム湖完成後の1956年以後のものです。

しかし、列車が走ったのは20年ちょっと。なぜなら・・・。

ここを鉄道が走っていたのですが、それも1978年まで。かつては林業を中心とする人々を中心に人口1500人を越える集落だった十勝三股も今は2軒のみで、それはログハウスのレストランと道路管理の人の家のみ。
1978年からは列車運行を休止し、上士幌タクシーによるバス運行へと切り替わります。

今回一番行きたかった場所の「タウシュベツベツ橋梁」が遠くに見えています。
ここは糠平湖の北で、ダム湖の堤からは一番遠い場所で、それこそ音更川の上流部分。
分かりやすいようにズームして見ましょう。

コンクリート製の橋が見えてきましたね。これはダムが出来る以前の線路跡で、戦前に造られた橋です。

1937年、戦前と云っても、第2次世界大戦のが始まる2年前のこと。もっとも日本は既にこの年に中国と戦争(日中戦争)を始めているし、それよりも前に柳条湖事件(1931年)から満州事変を起こしているさなかです。そんな状況下で鉄道建設が開始されたのです。
橋の長さは130m。利用されたのは20年もなく、戦後の1955年に糠平湖が出来てから使用されずに、「幻の橋」と呼ばれてきました。

もうすでに崩壊寸前で、見えなくなる日も近い。
6月頃から沈み始め、10月には完全に沈み、1月頃に再び現れると書いてますが、今回見れたのは昨年の冬は降雪が極端に少なく、よって川の水量も少なかったからです。
実際、自分は夏に3回来ていますが、過去2回は川の底で見ることはかなわず、今回初めて見れたのです。

国道の駐車場から歩くこと200mくらい。深い針葉樹林の森の中を歩いてきますが、あちこちに「熊出没!」の看板有り、ちょっぴり怖い。でも、結構見学しに来る人がいて安心。

この道は、廃止以前に鉄道が走っていた線路跡。まっすぐに道は延びていますね。

逆側もそう。この道をずーっとたどれば十勝三股駅跡へ行けますが、ここからさらにもっと北。
雨も降り続けているし、今回はここで断念。十勝三股駅跡へは次の機会としましょう。

駐車場から60m、展望広場まで120mとあり、5の沢橋梁まで1.6km、3の沢橋梁まで3.8kmとあります。しかし、3の沢橋梁まで歩いたら1時間以上かかること必至。熊の生活圏のここで1時間も歩いたら出会うことも可能性大ありですよ。

ということで、旧士幌線跡を訪ねてはこれで終了。念願のタウシュベツベツ橋梁跡を見れたことが最大の成果で、来たかいがありました。
明日は、さらに北海道拓殖鉄道という戦前の鉄道跡を追うことにします。
では、また!
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