11月22日日曜日、天気は曇りで気温は低め。明日からは雪のマークも点いていて、寒くなりそう。
自分の部屋から見える近くの巨大ホテル「啄木亭」は、昨夜はほとんどの部屋に灯りが点いていて満室状態。駐車場を見てもほとんど満車で、札幌を始め道内各地から来ているし、または「わ」や「れ」のレンタカーが何台も駐車中。新聞を読めば首都圏や関西圏から大勢の観光客が来ているんですね。
「GO TO」でかなり安上がりになるようですし、キャンセル料も高いから来ているのでしょう。でも、心配ですよ。ホテルなんて、結構密になるし、いくら車で移動しても観光地では密になるはず。
どうして人ごみに行くのか?感染しない・人にうつさないためには動かないことなのに、連休だから旅行するのでしょうか?もうこれ以上、感染者が増えたらお手上げです。地方では医療設備は脆弱ですから、パンクしてしまいますよ。年末は悲惨なことにならないように!と祈ります。
さて、秋の旅の24回目は秋田県北東部の町、小坂町から。
正面に見える建物は、国の重要文化財に指定されている明治時代の芝居小屋「康楽館」。

1910年(明治43年)8月13日に落成し、こけら落としとして「大阪歌舞伎尾上松鶴一座」が公演し、以後110年に渡り続いてきた木造2階建て、一部地下もある定員607名の東北1の芝居小屋です。
この楽康館がある通りは、「明治百年通り」。

明治時代後半は、全国1の規模を誇った銅山の町として栄華を誇っていた小坂町です。
栃木県足尾銅山、愛媛県別子銅山とともに日本三大銅山と並び称されるほどの小坂鉱山は、1907年(明治40年)には鉱産額全国1を記録しています。
当時の鉱山の所長久原房之介は、小坂に理想社会を建設しようと考え県内最初の電気利用し、さらに全町民に給水可能な上下水道施設、小坂鉄道と電気鉄道、県下最大の総合病院、東北1の劇場など都市機能を整備し、小坂町はまさに文明開化の最先端を行く町だったのでした。
日本で第1号のクリスマスを祝ったドイツ人技師のクルトネットー夫妻。

後ろを振り返ると、明治42年に創業された小坂・大館間22.3kmを結ぶ小坂鉄道の小坂駅があります。
残念ながら平成21年に廃線となりました。
今は、レールパークとして当時の車両の展示・ブルートレインは宿泊施設・ディーゼル機関車の乗車体験などとして保存されています。

幟がたくさん掲げられていますね。康楽館は昨年芝居を見学したので、今回はパス。それに時間が午前10時開演だから早すぎて無理。訪問時午前8時過ぎ。

当時(明治末期か大正時代)の公衆電話。自働電話という名前だったのですね。

中に入ると、まさにレトロ。交換を呼び出して掛ける電話です。

劇場では、下の「リトライ!風そよぐ町から」という芝居が演じられていました。
花道が2本もあるし、直径9.73mの回り舞台もあります(人力、4人で回します)。また、切穴(すっぽん)という花道にある役者をせり上げる装置で、ロープと滑車を使って人力(2人)で操作するものまであります。

こちらは、明治37年(1904年)建築された赤煉瓦倶楽部。

見えてきました、小坂鉱山事務所。工事中でしたが、中は入れます。鉱山資料館として、大人330円。内部は3階建てで、小坂町の鉱山誕生の明治から大正時代の繁栄時の歴史を知ることが出来ます。

9時オープンだから、あと30分ほど待ちましょう。その間周囲を散策。
すべて天然秋田杉造りの木造3階建て、床面積は2600平方メートル。ルネッサンス風の当時のオフイスビルだったのです。

こちらは何だったかの忘れました。手元のパンフレットにも書かれておらず。でもこんなのがいくつもあるのだから小坂町の絶頂期はすごかったのです。

上下水道の水道施設は、明治時代に日本では横浜、函館に次いで3番目と全国でもいち早く建設されています。往時の賑わいは今は偲ぶことが出来ませんが、建物だけは残っているし、当時の写真で想像することはできます。
大勢の労働者が働き、劇場も連日満員だったとか。

こちらは天使館と呼ばれる「旧聖園(みその)マリア館」。1932年(昭和7年)建築で、小坂鉱山の子供たちの幼児教育施設として発足。木造平屋建て、キリスト教教育に基ずく保育園です。

見ていて飽きがきません。歩くのが楽しくなる「明治百年通り」。でも、観光客は少ない。なぜなら交通の便が車しかないからでしょう。鉄道が廃止され、車を持たなければ本数の少ないバスが観光バスしかないのが現状。

次回は、鉱山事務所を見学してもう少し歩くことにします。
そして、いよいよ青森県へ再突入し、津軽地方をじっくりと見ます。
では、また!
自分の部屋から見える近くの巨大ホテル「啄木亭」は、昨夜はほとんどの部屋に灯りが点いていて満室状態。駐車場を見てもほとんど満車で、札幌を始め道内各地から来ているし、または「わ」や「れ」のレンタカーが何台も駐車中。新聞を読めば首都圏や関西圏から大勢の観光客が来ているんですね。
「GO TO」でかなり安上がりになるようですし、キャンセル料も高いから来ているのでしょう。でも、心配ですよ。ホテルなんて、結構密になるし、いくら車で移動しても観光地では密になるはず。
どうして人ごみに行くのか?感染しない・人にうつさないためには動かないことなのに、連休だから旅行するのでしょうか?もうこれ以上、感染者が増えたらお手上げです。地方では医療設備は脆弱ですから、パンクしてしまいますよ。年末は悲惨なことにならないように!と祈ります。
さて、秋の旅の24回目は秋田県北東部の町、小坂町から。
正面に見える建物は、国の重要文化財に指定されている明治時代の芝居小屋「康楽館」。

1910年(明治43年)8月13日に落成し、こけら落としとして「大阪歌舞伎尾上松鶴一座」が公演し、以後110年に渡り続いてきた木造2階建て、一部地下もある定員607名の東北1の芝居小屋です。
この楽康館がある通りは、「明治百年通り」。

明治時代後半は、全国1の規模を誇った銅山の町として栄華を誇っていた小坂町です。
栃木県足尾銅山、愛媛県別子銅山とともに日本三大銅山と並び称されるほどの小坂鉱山は、1907年(明治40年)には鉱産額全国1を記録しています。
当時の鉱山の所長久原房之介は、小坂に理想社会を建設しようと考え県内最初の電気利用し、さらに全町民に給水可能な上下水道施設、小坂鉄道と電気鉄道、県下最大の総合病院、東北1の劇場など都市機能を整備し、小坂町はまさに文明開化の最先端を行く町だったのでした。
日本で第1号のクリスマスを祝ったドイツ人技師のクルトネットー夫妻。

後ろを振り返ると、明治42年に創業された小坂・大館間22.3kmを結ぶ小坂鉄道の小坂駅があります。
残念ながら平成21年に廃線となりました。
今は、レールパークとして当時の車両の展示・ブルートレインは宿泊施設・ディーゼル機関車の乗車体験などとして保存されています。

幟がたくさん掲げられていますね。康楽館は昨年芝居を見学したので、今回はパス。それに時間が午前10時開演だから早すぎて無理。訪問時午前8時過ぎ。

当時(明治末期か大正時代)の公衆電話。自働電話という名前だったのですね。

中に入ると、まさにレトロ。交換を呼び出して掛ける電話です。

劇場では、下の「リトライ!風そよぐ町から」という芝居が演じられていました。
花道が2本もあるし、直径9.73mの回り舞台もあります(人力、4人で回します)。また、切穴(すっぽん)という花道にある役者をせり上げる装置で、ロープと滑車を使って人力(2人)で操作するものまであります。

こちらは、明治37年(1904年)建築された赤煉瓦倶楽部。

見えてきました、小坂鉱山事務所。工事中でしたが、中は入れます。鉱山資料館として、大人330円。内部は3階建てで、小坂町の鉱山誕生の明治から大正時代の繁栄時の歴史を知ることが出来ます。

9時オープンだから、あと30分ほど待ちましょう。その間周囲を散策。
すべて天然秋田杉造りの木造3階建て、床面積は2600平方メートル。ルネッサンス風の当時のオフイスビルだったのです。

こちらは何だったかの忘れました。手元のパンフレットにも書かれておらず。でもこんなのがいくつもあるのだから小坂町の絶頂期はすごかったのです。

上下水道の水道施設は、明治時代に日本では横浜、函館に次いで3番目と全国でもいち早く建設されています。往時の賑わいは今は偲ぶことが出来ませんが、建物だけは残っているし、当時の写真で想像することはできます。
大勢の労働者が働き、劇場も連日満員だったとか。

こちらは天使館と呼ばれる「旧聖園(みその)マリア館」。1932年(昭和7年)建築で、小坂鉱山の子供たちの幼児教育施設として発足。木造平屋建て、キリスト教教育に基ずく保育園です。

見ていて飽きがきません。歩くのが楽しくなる「明治百年通り」。でも、観光客は少ない。なぜなら交通の便が車しかないからでしょう。鉄道が廃止され、車を持たなければ本数の少ないバスが観光バスしかないのが現状。

次回は、鉱山事務所を見学してもう少し歩くことにします。
そして、いよいよ青森県へ再突入し、津軽地方をじっくりと見ます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (6)
愛知県に「明治村」があります。ここは本格的で、当時走っていた電車も村内を走っています。乗れます。1度行っただけで詳細は忘れましたが規模は大きいです。
今日テレビで女子駅伝マラソンがあったんですが、そちらでは映るんでしょうか?「ワコール」は京都が本社なんですが4位で入りました。今年別にあった女子駅伝では「ワコール」の地方支社の子でしたが、第一走者が、まもなくタスキを渡すと言う手前で倒れてしまい、タスキが繋がりませんでした。体調不慮か脱水か分かりませんが、走ってみないと分かりませんからね。みんなの期待があるので、プレッシャーは大変だと思います。泣いていたそうで可哀想でした。因みに1月の女子駅伝と2月の車椅子駅伝は毎年京都で行われます。私も沿道に出て応援しています。駅伝は京都が発祥なのです。
京都が駅伝発祥の地とは知りませんでした。毎年、高校生の駅伝が開かれていますものね。今年も開催されるのでしょうか?
鉱山は、採掘後資源がなくなると、どこも悲惨な結果を迎えていますね。北海道の炭鉱跡の夕張などは超悲劇的で、現在の鈴木知事は前夕張市長時代どうしようもなかったのでしょうね。
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi105.html
鴨川にかかる三条大橋、東北のそばに立っています。その三条大橋を西南に渡ったとこが、東海道五十三次の終点地で、弥次喜多の1/2の像が立ってます。「なんでも鑑定団」という番組はそちらで放送されていますか?今年の3月、山下清のペン画で東海道五十三次の始点と終点の2枚が鑑定に出ましたが、2枚で1000万の値段が付きました。山下清の最後の絵だそうです。
https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20200303/03.html
夕張市長だったか鈴木知事は今が正念場ですね。1世紀に一度あるかどうかの災難に今後どうやって立ち向かうのか?試される時です。
北海道は、これから寒くなって来るからますますコロナ感染者が増加傾向になると思いますが、気を付けることはたかが知れています。それでも、出来ることはしますが。
京都でも観光客多いですね。GO TO トラベルじゃなく、GO TO トラブルですよ!