12月5日土曜日、天気は晴れで気温も昨日までよりもずーっと暖かく、7℃まで上昇するみたい。昨日までは最高気温で4℃か5℃くらいだったから、やっぱり外を散歩すると違います。
今日、明日は貴重な冬のあったかい日です。
太宰治の生家がある金木町(現在は、五所川原市と合併して旧金木町ですが)から国道339号線で北上し、東日本のシジミの産地である十三湖へ。
ここは岩木川の河口部の汽水湖。ユネスコの世界自然遺産に指定された白神山地(西目屋村の雁森岳987m)を水源とする青森県最大の河川である岩木川(全長102km)の河口にあって、海抜0mは日本海と全く同じ、最大深度はわずかに3m。もともとは遠浅の海だったところに砂州が形成されて湖になったわけです。北海道にもいくつかあって、面積で日本3位のサロマ湖とかクッチャロ湖、網走湖など。東北でも小川原湖などがありますね。
海水と淡水が混ざり合った汽水湖だし、水深が浅いのでシジミの養殖に都合が良かったのでしょう。
西日本のシジミの産地は、島根県の宍道湖や中海が知られていますけど、同じような汽水湖ですね。
湖の沿岸には、「シジミラーメン」とか「シジミの味噌汁」の看板が出た食堂があちこちにありました。

50km以上離れた津軽平野の南西部に富士山型のきれいな山容を見せる津軽富士の名を持つ岩木山(1625m)。
コニーデ型の火山としては、全国にある〇〇富士の山の中でも最も富士山に近い形の山の一つです。
一つとしたのは、他にも羊蹄山(北海道・後志管内 1898m 蝦夷富士)や利尻岳(1721m 利尻富士)なども富士山に近い山の形だからです。その中でも羊蹄山と並ぶきれいな山だと自信を持って言えますね。

湖のそばにある地蔵堂。ここも金木町と並んで知られている今泉地区。
たまたまか?この日の同じ時間帯で、郷土の歴史を学ぶ高齢者の集いが開かれていて、20人ほどがここの地蔵堂を見学に来ていました。

津軽地方は、江戸時代いやそれ以前から飢饉に見舞われてきました。
江戸時代の天明の大飢饉(1782年~87年)は、「浅間山の大噴火などによる凶作で、日本各地で大飢饉に見舞われ、特に東北地方の被害は甚大で、津軽地方では餓死者が十数万人にも及んだ。飢饉により荒廃した村々では百姓一揆が起こり、都市では打ちこわしが多発した。」(図説日本史)
歴史を見ると、東北で飢饉が数多く起こりたくさんの人がなくなっています。その方たちを供養する意味で、古くから地蔵堂があちこちにあったのでしょうね。そんな悲しいつらい歴史が津軽にはあるのです。

津軽地方には、津軽三十三観音霊場があって、先に紹介した弘前市の久渡寺はその第1霊場だったことを思い出します。

道の駅「十三湖高原」へ。湖は海面と同じ高さだったけど、標高を上げて文字通りの高原地帯へ。周囲は牧場が広がり、牧歌的な雰囲気。ここには、歩いて登る展望台があるのです。

その展望台から見る十三湖。方向は南で、十三湖と津軽平野、岩木山が見えますね。

北を見ると、龍飛岬方面の山々。

東を見ると、津軽半島を東西に分ける山々。特に名前はないが、この山々は半島を東西に分けています。東側は先日の津軽線の駅があった地区で、陸奥湾に面した側。一方西側は平野部で日本海に面した側。津軽平野は西側にありますね。ほとんどが田園地帯で、津軽の美味しいお米が生産される地区です。これが南部へ行き岩木山山麓ではリンゴ農園となるのです。

地図を見ると、この十三湖周辺には城跡がいくつもあり興味を引きます。まずは、鏡城跡へ。ところが、地図で探して行っても発見できず。
次に、福島城跡へ。看板はありましたが、城跡へ行くと先ほどの郷土を学ぶ高齢者の大型バスが停まっていて通行できず。よって、狭い道路に駐車も出来ずで断念。

唐川城跡へ。地図で見ると展望台もあるのだが、そこも発見できずでこれまた断念。

ただ、十三湖の河口にある中島という小さな島があって、その島に歴史民俗資料館があるので、そこで十三湖の歴史を学べるかな?と。
地図には、「中世の頃は、安東氏の国際貿易港として繁栄していた」と書かれているので、興味津々です。
ということで、次回最終回はここ十三湖の歴史を学習します。
では、また!
今日、明日は貴重な冬のあったかい日です。
太宰治の生家がある金木町(現在は、五所川原市と合併して旧金木町ですが)から国道339号線で北上し、東日本のシジミの産地である十三湖へ。
ここは岩木川の河口部の汽水湖。ユネスコの世界自然遺産に指定された白神山地(西目屋村の雁森岳987m)を水源とする青森県最大の河川である岩木川(全長102km)の河口にあって、海抜0mは日本海と全く同じ、最大深度はわずかに3m。もともとは遠浅の海だったところに砂州が形成されて湖になったわけです。北海道にもいくつかあって、面積で日本3位のサロマ湖とかクッチャロ湖、網走湖など。東北でも小川原湖などがありますね。
海水と淡水が混ざり合った汽水湖だし、水深が浅いのでシジミの養殖に都合が良かったのでしょう。
西日本のシジミの産地は、島根県の宍道湖や中海が知られていますけど、同じような汽水湖ですね。
湖の沿岸には、「シジミラーメン」とか「シジミの味噌汁」の看板が出た食堂があちこちにありました。

50km以上離れた津軽平野の南西部に富士山型のきれいな山容を見せる津軽富士の名を持つ岩木山(1625m)。
コニーデ型の火山としては、全国にある〇〇富士の山の中でも最も富士山に近い形の山の一つです。
一つとしたのは、他にも羊蹄山(北海道・後志管内 1898m 蝦夷富士)や利尻岳(1721m 利尻富士)なども富士山に近い山の形だからです。その中でも羊蹄山と並ぶきれいな山だと自信を持って言えますね。

湖のそばにある地蔵堂。ここも金木町と並んで知られている今泉地区。
たまたまか?この日の同じ時間帯で、郷土の歴史を学ぶ高齢者の集いが開かれていて、20人ほどがここの地蔵堂を見学に来ていました。

津軽地方は、江戸時代いやそれ以前から飢饉に見舞われてきました。
江戸時代の天明の大飢饉(1782年~87年)は、「浅間山の大噴火などによる凶作で、日本各地で大飢饉に見舞われ、特に東北地方の被害は甚大で、津軽地方では餓死者が十数万人にも及んだ。飢饉により荒廃した村々では百姓一揆が起こり、都市では打ちこわしが多発した。」(図説日本史)
歴史を見ると、東北で飢饉が数多く起こりたくさんの人がなくなっています。その方たちを供養する意味で、古くから地蔵堂があちこちにあったのでしょうね。そんな悲しいつらい歴史が津軽にはあるのです。

津軽地方には、津軽三十三観音霊場があって、先に紹介した弘前市の久渡寺はその第1霊場だったことを思い出します。

道の駅「十三湖高原」へ。湖は海面と同じ高さだったけど、標高を上げて文字通りの高原地帯へ。周囲は牧場が広がり、牧歌的な雰囲気。ここには、歩いて登る展望台があるのです。

その展望台から見る十三湖。方向は南で、十三湖と津軽平野、岩木山が見えますね。

北を見ると、龍飛岬方面の山々。

東を見ると、津軽半島を東西に分ける山々。特に名前はないが、この山々は半島を東西に分けています。東側は先日の津軽線の駅があった地区で、陸奥湾に面した側。一方西側は平野部で日本海に面した側。津軽平野は西側にありますね。ほとんどが田園地帯で、津軽の美味しいお米が生産される地区です。これが南部へ行き岩木山山麓ではリンゴ農園となるのです。

地図を見ると、この十三湖周辺には城跡がいくつもあり興味を引きます。まずは、鏡城跡へ。ところが、地図で探して行っても発見できず。
次に、福島城跡へ。看板はありましたが、城跡へ行くと先ほどの郷土を学ぶ高齢者の大型バスが停まっていて通行できず。よって、狭い道路に駐車も出来ずで断念。

唐川城跡へ。地図で見ると展望台もあるのだが、そこも発見できずでこれまた断念。

ただ、十三湖の河口にある中島という小さな島があって、その島に歴史民俗資料館があるので、そこで十三湖の歴史を学べるかな?と。
地図には、「中世の頃は、安東氏の国際貿易港として繁栄していた」と書かれているので、興味津々です。
ということで、次回最終回はここ十三湖の歴史を学習します。
では、また!
コメント
コメント一覧 (5)
大阪や京都に関して、コメントの内容拝読したらずいぶんお詳しいんですね。長いこと関西圏に住んでおられるから、よくご存じなんですね。
大阪が、「GO TO」が制限されて、京都に多くの人が流れて行っていますけど、かなり密になっているのを拝見すると、ちょっと怖い感じもします。北海道では、旭川が自衛隊を派遣しなければならないほどひっ迫した状態になっていて、とても心配です。
函館も、市内の感染者は少ないですけど奥尻島から救急搬送されてきた感染者が市内のホテルに宿泊していて、これまた外出するのもはばかれるような毎日です。
とく子さんも十分気を付けて生活なさってください。自分は、既往症があるから人ごみへは出来るだけ行かないようにしています。
昨日のニュースで、京都でも感染者数最大となったと報じていましたね。全国どこでも増えていて、この先が怖いくらい!
どうなってていくのでしょうね?人口34万人の旭川では、医療崩壊の危機にまでなっていて、自衛隊の派遣をしていましたが10人ばかりの看護師派遣では焼け石に水のような状況です。
早く暖かくなって、ワクチンも普及してコロナも収束すればいいのですが・・・。